昭和12年1月の「現代落語家名鑑」より⑥ 横浜生まれで英語が堪能だった才人・初代柳家三語楼は、金語楼や志ん生の他、初代権太楼(新作で人気)や音曲の柳家三亀松ら、クセスゴな後進を育てました。1938年3月に誕生した志ん生の次男(志ん朝)に「強次(きょうじ)」と名付けたのもこの人。
昭和12年1月の「現代落語家名鑑」より⑩ 柳家三語楼の門下が金語楼・志ん生・権太楼・三亀松らクセ者揃いなのは書きましたが、もう一人、七代目林家正蔵も。現在の九代目正蔵の祖父で、初代三平のお父さんです。ただ写真が載ってなかったのでこの人を代演に(写真)。誰だかわかります?
昭和12年1月の「現代落語家名鑑」より⑨ 柳家金語楼と共に落語芸術協会(創立時の名称は日本芸術協会)を立ち上げ、初代会長を長く務めた六代目春風亭柳橋(写真)。ここまで若い写真って見たことないので新鮮。紹介文には映画界での活躍も記され、金語楼同様当時の売れっ子ぶりが窺えます。
昭和12年1月の「現代落語家名鑑」より④ この当時「当代一の人気王」と称されたのが柳家金語楼(写真)。戦後は喜劇人として名を馳せましたが、戦前は落語家として絶頂期でした。当時35歳でこの頭。紹介文中「(柳家)三語楼の躍進に新時代の要求を悟って新作に努力」とあります。(続く)