TOMOKI
右片麻痺還暦オヤジ。とにかくなるべく書きます。 読んで下さい、救って下さい。
脳出血で倒れてから、やたらと夢を見るようになりました。しかもハッキリとした夢を。せっかくだから小説のように記録しておこうと思います。
詩
白本 朋求(シラモト トモキ) Tomoki Shiramoto 1964年10月14日大分県日田市生まれ。 2015年10月、左視床下部に37㍉の脳出血で倒れる。 右片麻痺の2級身体障害者となる。 一生リハビリで奮闘中。
脳出血で右片麻痺となった不良中年の俺が、 まさか親の介護をすることになるとは…。 老人介護には未来も希望もない。 誰かフォローして下さい。
若い世代の眠りは疲れを取り、癒すためのもの、中年世代は既に習慣、老人の頻繁な睡眠は永遠の眠りにつくための予行練習。
どスケベ物書きの永井荷風が書いた春本「四畳半襖の下張」をベースにした、1973(昭和48)年の、神代辰巳監督・脚本の作品「四畳半襖の裏張り」。 “下張”だと思って間違えて借りて観たけど、大正中期の東京・花町で、遊び慣れした中年男と初見の芸者・袖子との汗みどろの“まぐわい”シーンを中心に描いた、初期の日活ロマンポルノ作品であった。 芸者は、客を喜ばすために、アソコを武器にした芸を練習したりしてるが、一方で、客と寝る時は、お義理で、恥ずかしがる仕草を決して忘れない。「恥ずかし
世界を動かす偉人や、時に神を創り出す、崇高で高貴な場所も、糞とションベンが出るところのすぐ近くにあるのだ。 どんなに利口で頭が良くて、華奢な可愛い子であっても、ある状況においては、男よりも数倍強かったり、手に負えないバカになったりする。男にはわからない女の不思議な魅力のひとつだ。
ヌーヴェルヴァーグの祖母、アニエス・ヴェルダ監督の、1985年の作品「冬の旅〈さすらう女〉(Sans toit ni loi)」(フランス)。Amazonプライムにて。 真冬の南仏を、寝袋とリュックを背負って、あてもなくヒッチハイクしながら浮浪する18歳の少女モナを追ったロードムービー。 彼女はなぜ、浮浪を続けているのか、どこから来たのか、素性が明かされることはない。 「彼女は海からやってきたのかもしれない―」。 農村の畑の片隅で、汚いなりで行き倒れになって、冷たくな
結婚は、最初は恋愛、次に習慣、そして、契約と移行していく。ある意味、人生の修道院に入るようなものだ。 で、案の定、俺は早くに修道院を飛び出しちゃった。 幸せだなぁって思うのは、それをすぐに忘れることができるからだろう。つまり幸福は非歴史的というか、繋がってないのだね。
新藤兼人監督の、1988(昭和63)年のドキュメンタリー・ドラマ、「さくら隊散る」。 昭和17年から活動していた、各地を移動する演劇集団「さくら隊」を追った再現ドラマを入れたドキュメンタリー。ナレーターは、お馴染み乙羽信子。 社会派作品も撮った新藤監督らしい作品だ。 さくら隊は、演劇の内容が、戦時に好ましくないと特高に引っ張られたこともあったが、演劇興行を続けて、昭和20年8月6日に広島に滞在しており、原爆投下のために、劇団員9人が、後の原爆症(放射線障害)も含めて、命
巨匠ジャン・ルノワール監督によるフレンチ・フィルム・ノワール、1932年の古典作品「十字路の夜(La nuit du carrefour)」。Amazonプライムにて。ルノワールがノワールを作った(笑)。 パリ郊外の村の十字路で起こった、宝石ブローカーが殺された事件を、あのメグレ警視が解決するという推理ミステリーもの。メグレ警視の始まり? メグレ警視を演じたのは監督の弟だって。 不思議な関係の兄妹や、ドラッグを隠してたガソリンスタンドと怪しい従業員などが登場して、結局、
思考を巡らすには、ある程度の度胸が必要だと思う。 最後には、訳の分からないことになっても、思考が暴走するのは楽しいものだ。 俺も今にたっぷり他人に迷惑をかけて楽しむ年齢になるだろう。 健全な人間は、みんなそうやって自分の孤独を救済するのだ。 健全な人間の成れの果て。 made in japan. Ah mistake.mad in japan!
7〜8世紀くらいに書かれた日本の古典文学にある様々な出来事は、そっくりそのまま全て真実だとは言えないけれど、全くの創作・作り話であるとも言えずに、現代にも通じる我々の日常・生活に即したものであり、何らかのメッセージが潜んでいるということだ。 記紀から始まって、万葉集、常陸国風土記、出雲国風土記、播磨国風土記、懐風藻、日本霊異記、続日本紀…。 生と死、再生の物語から男女のアレコレ、殺人・エロ・グロ・ナンセンス、スキャンダル、近親相姦、カニバリズム、地震・津波等の天変地異と、
今の高齢者の一番の楽しみは、スマホで動画等を見ることだという。 人差し指で画面をサッサッと上下させることで、一日の大半を使ってしまうこともあるらしい。 ほとんど中毒で、スマホは、歳に関係なく、人間の脳にドラッグみたいに作用してるみたいだ。 確かに、一度ショートの動画を見始めると、次から次へと見てしまい、気付けば時間が経ってることはあるよね。 良いか悪いかはわからないけど、すでに、スマホの電磁波(?)が、人間に与える影響は言われなくなったのだろうか? 自分も使ってるし、スマホは
今村昌平監督の、1964(昭和39)年の日活作品「赤い殺意」。Amazonプライムにて。原作は藤原審爾の小説。超名作「にっぽん昆虫記」を観る前に。 鬼才・今村監督は、主に、地方の日本人の営みを、飾ることなく、生と死、苦悩、闘い、エロスに至るまでに肉薄し、そのまんま躊躇なく徹底的に描く。それだけにウンザリすることもあるのだが、やはり受ける衝撃が大き過ぎて、目を離すことができないのだ。 この作品も、今村節が冴え渡る、まさに“重喜劇”である。2時間半の長尺だ。重喜劇とは“軽喜劇
ストイックだがだらしがない、 波瀾万丈に見えるが平穏無事、 自堕落で情熱的、 どスケベだが純粋、 深く愛するが目移りが激しい、 根暗だが突き抜けた明るさを持つ、 哀しみに満ちているけど呑気なバカ、 しっかり生きてるけど、すでに死んでもいる、 また死んでいても生きている、 救われないけど救われることが多い…。 人間は矛盾するからこそ面白い。矛盾する人間こそ面白い。 多分、これからも、そんな修羅な道のりぢゃないかと思うけど、まあいい、これ以上、大きく外れることはないだろうから
中坊の頃、一時期、BCLに凝っていたことがある。海外の日本語短波放送を聞いて、受信報告書を書いて国際郵便で送り、ベリカードを集めていた。 VOA、BBC、モスクワ放送、北京放送、バチカン放送、KTWR、FEBC、ドイチェ・ヴェレ、ラジオ・オーストラリア、朝鮮の声…etc。 今はインターネットが主流となってるから、短波放送は少ないのだろうなぁ。 確か“アンデスの声”だったか、俺の手紙が読まれたことがあった。早朝に聞いて感激したものだ。 クリスマスプレゼントとして親に買っ
“ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)の祖母”(母の方が良いと思うけど)といわれるアニエス・ヴェルダ監督のデビュー作「ラ・ポワント・クールト(La Pointe-Courte)」(1955年、フランス)。Amazonプライムで見っけ。 ゴダールの「勝手にしやがれ」よりも5年も早くに撮られた作品。海辺のロケ中心、素人っぽい演者の台詞や演出など、ルールを度外視した即興的と思われる撮影手法に、低予算とくれば、まさにヌーヴェルヴァーグの始まりである。 結婚して倦怠期を迎えた夫婦。 夫(
母と待ち合わせをする予定だったが、その予定を母は覚えているだろうか。 電話しても繋がらない。 とりあえず待ち合わせ場所に向かうことにする。 目の前には、眩暈がするほどに圧倒されるデカさで、雄大な阿蘇が灰色の岩肌を覗かせている。 人通りでせわしない電車通りの信号を横切ろうと、青に変わるのを、ビルの影で待っている。 気付くと、ワラワラと人々がコチラに寄って来る。 どうやらビルに入ろうとしてるみたい。 先生と思われるスーツの中年男に引率された制服の女学生の集団が、キャーキャー騒ぎな
Amazonプライムで、古い巨匠の名作がちょこちょこ観れるのはうれしい。 フランスの巨匠、ジャン・ルノワール(印象派の画家ルノワールの次男坊)の、1935年の作品「トニ(Toni)」。当時、若きルキノ・ヴィスコンティが演出で関わってる。実際の犯罪実話をベースとしている。 多くの出稼ぎ労働者が集まる南フランスの町が舞台。 主人公のトニも採石場で働くためにやって来たが、最初に泊まった宿の娘マリーと夫婦になる。 しかし、トニは、マリーの束縛と嫉妬に嫌気が差しており、洗濯をしてた