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笹山敬輔著「昭和芸人 七人の最期」〜“末路哀れは覚悟の前“を愛情で描く

昨日は熱海五郎一座について書いたが、その観劇準備として読んだのが笹山敬輔の近著「笑いの正解」。読了後、彼の著書「昭和芸人 七人の最期」(2016年 文春文庫)を購入していたことを思い出し、確認すると読書中で放置されていたので、再度冒頭から読み通した。

本書で取り上げられる七人は、榎本健一古川ロッパ、横山エンタツ(横山やすしは孫弟子)、石田一松、清水金一、柳家金語楼、トニー谷である。活躍時期の長短はあれ、人気を博した芸人たちである。

ただ、私は石田一松という人を知らなかった(本書によって、「のんき節」とつながった)。それ故、その章の手前で読書がストップしていたのだ。もっとも、エノケン・ロッパは映画の中で見ただけだし、エンタツは録音された漫才を聴いた程度、シミキンは名前のみである。

あとの二人は若干リアル・ライム。金語楼はTV番組「ジェスチャー」等の記憶があり、落語の録音も聴いている。トニー谷は、「あなたのお名前なんてーの」で有名だった、「アベック歌合戦」をTVで見ていた。後年、大瀧詠一がプロデュースしたCD「ジス・イズ・ミスター・トニー谷」を何度も聴いた。

1961年生の私でもこの程度しか知らない芸人を、ひと世代下の笹山敬輔氏(1979年生)が、演劇研究者とは言え、なぜ取り上げたか。

ダウンタウンを筆頭とする、笹山氏が同時代で体験した芸人も、<いつの日か、私たちは彼らの晩年を目の当たりにしなければならない〜(中略)〜私はその姿を見ることが怖い>(「昭和芸人 七人の最期」より、以下同)。<昔のお笑い芸人について書こうと思ったのは、その不安を少しでも和らげるためだ>とする。

私からは、笹山氏の芸人・喜劇人に対する愛情の表現に見える。私自身は、時折「喜劇」が好きなのか「喜劇人」が好きなのか分からなくなることがある。「喜劇」は好きだが、小林信彦や本書を始めとする「喜劇人」についての本を沢山読んできた。その根底は、「喜劇人」が好きだからだ。

“お笑い“という芸は、残酷なものである。「歌は世につれ」という言葉同様、“お笑い“も世の中に振らされる。大衆は飽きやすい。“一発屋“と呼ばれる芸人を山ほど見てきた。人気を持続できる、才能の持ち主も存在するが、彼らはごく一部である。

<本書で取り上げる昭和の芸人たちは、華やかな絶頂期に登りつめた後、次第に人気が凋落していった>、<ハッピーリタイアができた芸人は一人もいない>、そして<多くのファンに悲哀を感じさせた>。

桂米朝が、師匠の四代目桂米團治から言われた言葉、「芸人になる以上、末路哀れは覚悟の前」を思い出す。努力を積んだからといって売れる保証はなく、たとえ人気が出たとしてもそれがいつまで続くかは分からない。経済的な保証もない商売に身を投じる以上、それなりの覚悟が必要だという教えである。

“末路哀れ“を感じながら、喝采を追い求める“喜劇人“たち。七人の姿を、愛情あふれる表現で記録した一冊だと思う


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