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『金語楼のむすめ物語』(1940年4月10日・東宝京都撮影所・中川信夫)

柳家金語楼

『金語楼のむすめ物語』(1940年4月10日・東宝京都撮影所・東宝=吉本興業共同作品・中川信夫)。これは初見、ユーモア作家で喜劇映画脚本を手掛けていた山崎謙太による、柳家金語楼ワールド全開のコメディ。

 柳家金兵衛(柳家金語楼)は、早くに妻に先立たれ、男手ひとつで三人の娘を育て上げ、長女・富子(渋谷正代)、次女・常子(江波和子)を嫁がせて来た。今日は三女・春江(若原春江)の結婚式。感無量で泣きはらす金兵衛。

長女・富子(渋谷正代)
次女・常子(江波和子)江波杏子さんのお母さん!
三女・春江(若原春江)

 春江は、デパート勤務の夫(立松晃)と、奈良、京都、大阪へ新婚旅行へ。金兵衛は、若夫婦のためにせっせと家をきれいにしている。やがて、新婚旅行から帰って来た春江夫婦に、もっと仲良くした方がイイと、新婚心得を指南する金兵衛。

 最初はしおらしくしていた春江だが、父の薫陶を受けて、ラブラブぶりがエスカレート。金兵衛は、当てられっぱなしで、居場所がなくなって… 東宝の「妹キャラ」でアイドル的(そんな言葉は当時はないが)の若原春江が、可愛らしい。お料理しながら歌を歌い、そうした場面では画面にフォーカスがかかっている。

 次女・常子の夫は、売り出し中の画家(坂内栄三郎)で、何かにつけて、養子の富子の夫(三田國夫)と酒を呑んで、それぞれの女房にツノを立てられている。常子を演じた江波和子は、この年『東京の女性』(1940年・伏水修)で、原節子の奔放な妹を演じている。コケティッシュな魅力の日本人ばなれした美人で、なんと戦後、大映で活躍する江波杏子のお母さんである。

 さて、エノケン、ロッパ、エンタツ・アチャコと並ぶ、東宝のドル箱喜劇スター・柳家金語楼映画。その芸風から、破壊的ギャグや強烈なキャラクターがあるわけではないので、どうしてもホームドラマ、シチュエーションコメディになってしまう。

 大抵は、お人好しのお父さんが、よく出来た娘や息子たちに囲まれ、奮闘努力をするという人情コメディとなる。それゆえ時局迎合、プロパガンダにはピッタリで、倹約生活を奨励する『プロペラ親爺』(1939年・渡辺邦男)や、戦時下の耐乏生活アイデアあれこれの『愉しき哉、人生』(1944年・成瀬巳喜男)などが企画され、内務省の覚えも良かった。戦時下でも人気者で、戦後も、そのままリベラルで物分かりの良いお父さんや、頑固親父を喜劇で演じ続けることになる。そういう意味では、戦後、女装をしての「おトラさん」シリーズは、金語楼映画の大発明でもあった。

さて、奇才・中川信夫の『金語楼のむすめ物語』は、こうした時局迎合のセリフはあるにはあるが基本的に、三女の新婚生活のアツアツぶりに当てられた金語楼が、長女や次女の家を転々とするも、いずれも夫婦のラブラブに、辟易、自分も青春の血がたぎる。回春の情が湧いて来たところで、清川虹子演じるオールドミス・黒岩るいと出会い、密かに交際を始める。

艶笑というほどではないが、とにかくアツアツのカップルに金語楼が当てらる、というのが本作の笑い、となる。

若原春江の可愛さ!

 おかしいのは、三女の新婚生活の邪魔になるからと、次女・常子の家の手伝いに行った女中(伊井吟子)が、いつの間にか御用聞き(花沢徳衛)と出来てしまう。「アタシを騙したら嫌よ」なんて言っている現場を目撃した金兵衛、さらにカッカしてしまう。戦後、僕らの世代でもお馴染みの花沢徳衛が、ちょいとスケベそうな御用聞きをワンシーン演じているのがいい。

 さらに金兵衛が留守のときに、入っていた泥棒(吉本興業専属・昔々亭桃太郎)に、滔々と説教をした金兵衛。その身の上話を聞いてやる。酒で身代を潰して、女房(吉本興業の芸人・谷崎歳っ子)に愛想を尽かされて、結局泥棒になったと。ならばと、商売の元金を渡して、さらに亡くなった女房の着物まで持って行きなさいと。善意の金兵衛、盗人に追い銭をする。

 それから、しばらくして、堅気の支那そば屋になった泥棒と再会、その家に招かれ、祝杯をあげていると、女房が帰ってきて、金兵衛の前でいちゃつき始める。またもや、カッカした金兵衛、たまらずに逃げ出す。

 といったパターンの笑いが展開。気持ちを鎮めようと亡妻の墓参りに行くと、そこに女房と瓜二つの黒岩ぬい(清川虹子)が現れて…

 爆発的ギャグはないけど、ひたすら金語楼が笑ったり、怒ったり、泣いたり、説教したり、ショボンとしたり。いつものように、百面相的表情、リアクションがなによりのご馳走。また、長女夫婦の家に金兵衛が厄介になっている時に、暇を持て余して、近所の寄席に出かける。

 舞台では、夫婦漫才・浅田家壽郎・花月志津子が登場。この二人の動きがなかなか軽快で、どつき漫才ほどではないが、これだけ派手なアクション漫才がすでにあったのかと驚いた。二人は吉本興業の専属で、前年の東宝京都作品、藤原釜足主演の喜劇『のんき横丁』(1939年9月19日・山本嘉次郎)に、新婚夫婦の役で出演。林田十郎・芦ノ家雁玉、川田義雄とミルクブラザース、秋山左楽・右楽といった面々が出演しているので、ぜひ観てみたい。

夫婦漫才・浅田家壽郎・花月志津子
本物の金語楼登場!

 さて、寄席では続いて、柳家金語楼自身が登場、ネタを延々を披露する。落語家ではあるが、ここでは背広姿で、浪曲師のような見台を前にして、漫談をする。スタンダップコミックのスタイルである。客席の金兵衛は、金語楼が出てきたので、大いにクサり、漫談の間中、豆を飛ばしたり、あんぱんの紙袋を膨らませてパン!と割ったり。その挙句に出て行ってしまい、本物の金語楼を大いにクサらせてしまう。

 本作は倹約生活、耐乏生活を奨励する時局映画ではあるが、ラストシークエンスがすさまじい。晴れて夫婦になった金兵衛と黒岩るい。金語楼と清川虹子。最初はしおらしく敬語を使っているが、台所でのお茶碗やお椀の置き方で揉め始める。金兵衛は埃が入るからとお茶碗を伏せようとするが、るいは、バイキンが付くからとお茶碗を上向きにする。ならば横にすればいいと金兵衛。新妻のやることなすことに、金兵衛がケチをつけ始めるので、るいの怒りのボルテージがどんどん溜まってくる。

ついには、お皿やお茶碗、鍋釜を投げて、ヒステリックに大爆発。金兵衛も負けじと、瀬戸物を豪快に割り始める。さすが『エノケンの頑張り戦術』(1939年・東宝東京)の中川信夫。二人のバトルがエスカレートして、エンドマークとなる。これには当時の観客も大爆笑だったことだろう。

この『金語楼のむすめ物語』公開の3ヶ月後、1940(昭和15)年7月7日、「ぜいたくは敵だ」をスローガンに、「奢侈品等製造販売制限統制」(七・七禁令)が始まることとなる。それゆえ、ラストの茶碗壊しの豪快さは、時代への抵抗(そんなつもりはなかったろうが)という風に感じてしまう。「パーマネントをやめませう」も七・七禁令のスローガンだが、『金語楼のむすめ物語』には、春江の夫が「パーマネントをかけてきたら?」「でも日曜日だから」春江は夫と一緒にいたいと甘える。それを見た金兵衛「サンデー、サンデー」と呆れる。「パーマネントはやめませう」の寸前まで「パーマかけてきたら」の日常があったことがわかる。

 本作から8ヶ月後の金語楼喜劇『まごころ親爺』(1940年12月4日・東宝京都撮影所・藤田潤一)は、7.7禁令後の「新体制」プロパガンダに変節してしまう。その温度差を見比べると、時代の「変わり目」を体感することができる。たかが喜劇映画、されど喜劇映画である。


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