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『金語楼の親爺三重奏』(1939年12月13日・東宝映画京都・小國英雄)

 アノネのオッサン研究。山崎謙太作、柳家金語楼主演、東宝・吉本興業共同作品『金語楼の親爺三重奏』(1939年12月13日・東宝映画京都・小國英雄)を久々にスクリーン投影。

 金語楼と若原春江の父娘人情ものだが、この作品強烈なのが、タイトル・ロールの「親爺」三人のキャスティング。当時の宣伝チラシには、「金語楼の育ての親! 大辻司郎の生みの親! 高勢(アーノネエのおっさん)の義理の親!! ポチャポチャ娘若原春江をめぐって、珍無頼、此親爺三重奏の出現!!」との惹句が踊る。

 しかも演出が(脚本ではなく)小國英雄! この年、10月10日公開の『ロッパ歌の都へ行く』が監督デビュー作で、本作と合わせて生涯で手かげた2本の映画が、喜劇スターの映画だった。さて『親爺三重奏』は、まずタイトルバックのインパクトに圧倒される。。金語楼・アノネのオッサン・大口の大辻司郎のデフォルメ・イラストをバックに、スタッフ・キャストのクレジットとなる。製作主任(助監督)は加戸野五郎と小田基義。音楽は谷口又士。

強烈なタイトルバック!

 金語楼映画では、ほぼ娘役の若原春江は、1919(大正8)年、東京市麻布区に生まれ、宝塚音楽歌劇学校予科から、松竹楽劇部を経て、日活多摩川撮影所で『ためらふ勿れ若人よ』(1935年・田口啓)で映画デビュー。和歌山小浪の芸名で、原節子も出演した『魂を投げろ』(1935年・田口啓)などに出演、その後、1938(昭和13)年に東宝に移籍して、若原春江として再デビュー。歌手としては若浦小浪時代にポリドールからレコードデビューをしている。なので、金語楼映画でも、若原春江は毎回2曲ぐらい歌っている。本作でも谷口又士作曲の挿入歌をトップシーンと、中盤に歌っている。

ポチャポチャ娘・若原春江 御年、20歳!

 金語楼の役は、「龍虎丸」で知られる日本橋馬喰町の老舗薬舗「柳屋」の主人・柳屋金兵衛。下痢の薬を開発中で、その材料となるトウゴマの栽培を、全国各地の農家に副業として依頼。佐渡島、鹿児島、朝鮮、秋田と、全国津々浦々を歩く金兵衛の姿が描かれる。それほど仕事熱心なのは、近代化に乗り切れずに経営が苦しい「柳屋」を再興させて、二十歳になる娘・春江(若原春江)を幸せにしたい一心だった。

 しかし、金兵衛が全財産注ぎ込んで、新薬の開発を依頼している先生が、なんとインチキ臭い、アノネのオッサン・高山先生(高勢實乗)だけに前途は多難。柳屋に取り立てにきた高利貸し・金田(昔々亭桃太郎)は、柳屋のばあや(清川虹子)から「絶対の投資になる」とごまかされて、アノネのオッサンの研究所へとやってくる。「アノネ君、儲からんものを誰が発明するんだネ? 儲かる儲かる。これは絶対に儲かるんだよ。あ、そりゃ、確実なることは石のごとく、儲かることは金の如くじゃ」と嘯いて、「あのね、握り飯はまだかね。頭を使うとどうも腹が減ってかなわんよ」と怪しいことこの上ない。

アノネのオッサン!高勢實乗(1897〜1947)

 オッサンには薬学部に通っている秀才の息子・高山勝彦(立松晃)がいて、こちらは頼もしいことこの上ない。トップシーンで、春江が女学校の友人たちと山にハイキングに来て、ひとり、父のために薬草を摘んでいると、勝彦が「ダメじゃないか、戻しなさい」と上から目線で説教する。「この山はあなたのものじゃないでしょ」とやり込める春江。初対面で大喧嘩、二人は相性が悪く、ことごとくぶつかりあう。可憐な春江だが、勝彦に対しては「ツンデレ」を発動。それもまた可愛いのだが。

 金兵衛がトウゴマのタネを配りに行く地方のシーン、佐渡では「佐渡おけさ」、鹿児島では「おはら節」が流れてローカリズムを強調。朝鮮では「アリラン」が流れて、金兵衛、懸命に農民たちに説明するも言葉が通じずチンプンカンプン。ならばと金兵衛、ボディランゲージで説明する。これがなんと「ジェスチャー」なのである。戦後、NHKテレビで柳家金語楼と水の江滝子が男性軍、女性軍のキャプテンとなって一世を風靡する「ジェスチャー」(1953年2月20日〜1968年3月25日)のルーツは、金語楼のこの芸だったのである。百面相とともに、寄席やステージで、こうした「ジェスチャー」を得意としていたことが、この動きでわかる。

ジェスチャー!
百面相!

 で、金兵衛、秋田でトウゴマのタネを配っていると、いきなり議員の家に拉致される。実は二十年前、この家の夫婦が貧しくて、生まれたばかりの赤ん坊を、薬の行商にきた金兵衛に押し付けてしまったのだ。実はその赤ちゃんが春江で、金兵衛は亡妻と、春江を手塩に育ててきた。しかし今になって春江の父・辻野辻吉(大辻司郎)は、成功して裕福となったので「春江を返して欲しい」と、妻・おたね(英百合子)とともに、金兵衛に懇願する。そんな虫のいい話はないと、激怒する金兵衛。

大辻司郎(1896〜1952)喜劇映画専門の活動弁士として活躍、関東大震災映画館が営業できなくなり、自ら造語した「漫談」を提げて漫談家となる。1926年、失業弁士たちによる「ナヤマシ会」を徳川夢声らと開催。古川緑波、山野一郎も加わり「笑の王国」に発展。

 これが普通のキャスティングなら、生みの親より育ての親の感動ドラマとなっていくのだが、なんせ生みの親は、奇怪なキャラで大人気の大辻司郎。素っ頓狂な奇声と、ガマのような大口。おかっぱ頭がトレードマークの人気コメディアン。オッサン同様、出てくるだけで、子供たちは大笑いしたことは容易にわかる。

 どうしても返してくれない、会わせてくれないならと辻野は実力行使に出る。なんと、東京へ引っ越しして、金にあかして日本橋馬喰町の「柳屋」の隣に、なんと「辻野薬局」を開業してしまう。隣の家ならば、いつでも春江に会えるから、というのがその理由。ひたすら怪演の大辻司郎は、完全に金語楼を食ってしまっている。それに、アノネのオッサンが出てくるのだから、いつ映画が壊れてもおかしくない。だけど、そこは昭和14年の東宝映画、若原春江と英百合子の実の母娘の再会のドラマや、ツンデレ彼氏・立松晃の「国策のため」「人々のため」の理想で、父の破綻した研究をフォローしていく。予定調和のドラマが展開していく。

 小國英雄の演出も、奇を衒うことなく、三人の喜劇人の親爺の三重奏の見せ場を展開しつつ、起承転結はきっちり描いている。この時期の青柳信雄や齋藤寅次郎の喜劇のようなアベレージを維持しているのがいい。

 辻野が、春江に会わせろ、会わせろと連日モーションかけるので、金兵衛はオッサンの家に春江を預けることにする。資金を出してもらっているのでオッサンは快諾して、女学校への通学時に、勝彦をボディ・ガードにつけることも請け合う。でも、春江と勝彦は犬猿の仲。登校時にも一悶着。嫌い嫌いも好きのうちなのだが。

オッサン、やたら食べまくる!

 とはいえオッサンの研究は頭打ち。どれだけ試薬を作っても結局はアマニ油となってしまい、自ら服用するとすぐにお腹が急降下。オッサン、いつも特大おにぎりを女房に作らせているので、余計に悲惨なことに。とまあ、オッサン・パートはひたすらギャグの連続。

 一方、辻野の妻・おたねは、どうしても春江に会いたいと、下校時に待ち伏せして声をかけ、すき焼きをご馳走する。座敷で二人きりになった途端、春江は「なんで私を捨てたの?」と母をなじるも、やっと会えた喜びを味わう。二人は写真館で記念写真を撮るが、それを金兵衛が見つけて大ショック。娘に裏切られた気分なのである。

 そこへオッサン、実験は失敗に終わり、薬はできないと、金兵衛に告げにやってくる。このシークエンスでのオッサン、かなりおかしい。いい加減なオッサンに怒り心頭の清川虹子。思わずオッサンの禿頭をポカリ。焼き餅のように、オッサンの頭にコブが湧くのがおかしい。

 というわけで弱目に祟り目の金兵衛。そこへ全国の生産者からトウゴマが貨物列車いっぱいに届くも、オッサンの実験が失敗に終わったので、無用の長物となり、焼却することに。借金を返すアテもなく「柳屋」を閉めた金兵衛は、春江は辻野夫婦に返すことにして、失意のままお遍路の旅へ。

金語楼の持ち味は、この表情!

そこに流れる『傾城阿波鳴門』の浄瑠璃、金兵衛、浄瑠璃で巡礼娘・お鶴が語る「ととさんの名は十郎兵衛、かかさんはお弓と申します」を声真似。そこへ、勝彦が慌ててやってきて、トウゴマが関連地の航空機の燃料凍結を止める効用を発見したと、金兵衛に告げる。しかし時すでに遅し、トウゴマは焼却寸前のピンチ。走って、走って、なんとか焼却現場にやってきた金兵衛と勝彦、必死に消火リレーで、ことなきを得る。

 この勝彦の発見は、国策に叶うと新聞にも報道され、金兵衛は辻野の出資でトウゴマ工場を作ることに。そして春江は、オッサンの提案で、勝彦の嫁となる。で、最後に、育ての親の金語楼、生みの親の大辻司郎、義理の親のオッサン、揃い踏みでの高砂屋〜と相成る。

 金語楼と若原春江の「父娘の人情喜劇」のなかでも、一番アナーキーな笑いに溢れている。オッサンと大辻司郎の破壊力あればこそ。

よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。