他人と比較することは、無駄なこと。なぜなら、成長に必要なのは「過去の自分」と比較して「今の自分がどうあるか」だから。何より人は、他人と比較することで自身の能力を相対的に評価し、その評価を絶対的評価と錯覚してしまう生き物である。それも踏まえ、他人と比較することほど疎かなことはない。
意識を変えれば行動が変わるでは遅すぎる。 行動を見直す際に、「意識を変えれば行動できるようになる」という考えに至る人が多いですが、それでは遅すぎます。意識を変えるとかそれ以前に「まず、やってみる」これがすごく大事。そしてなにより、行動してると自ずと意識は変わってくるものです。
欠点の裏側には必ず利点がある。なぜなら事象というのは、ある視点から見た主観的判断でしかなく、別の視点から見ると違う見え方をするから。例えば、長時間止まる渋滞を「人から見られる」という観点から利点と捉え、広告を貼り付けたラッピングバスがある。出来事なんて誰かの主観的判断でしかない。
生まれた瞬間から「格差」が始まってるこの世界で唯一平等に与えられているのが「時間」 平等に与えられているのに、それに対する考え方や使い方は、いわゆる成功してる人とそうでない人で大きく違う。せっかく平等に与えられた唯一のものなのだから効率よく使わないと損しかない
自分に主導権のないもののことを考えることほど無駄なことはない。孫子も「敵が勝たないようにするのは難しいが、自分が負けないように動くことはできる」と述べてる。その代表例が「過去」と「他人」であろう。変えられないものは割り切って、主導権がある「自分」と「未来」について考えた方がいい。
成功するか失敗するかは、自分の考え方次第。何となくうまくいきそうとか、失敗しそうと思うのは、過去に条件づけられたサインに当てはめて、成功と失敗の兆候を感じ取っているだけ。成功を信じることで成功しやすくなったり、失敗するのではと弱気になることで実際に失敗してしまうことはよくある。
「難」が無い人生は「無難」な人生、「難」が有る人生は「有難い」人生。人生は、困難の連続で逃げたしたくなるもの。しかし、出てきた「難」から逃げていたら、無難かもしれないが、人生の選択肢を狭めることになる。「難」が出てきたら、「有難い」ことだと捉え向きあうと人生の幅が大きく広がる。
タスク管理できないのは、ゴミ屋敷に住んでるのと同じ。人は、少しの妥協を許してしまうとそれから連鎖的に、そのものへの許容レベルが下がってしまう。ゴミ1つない場所にゴミが落ちてると気になるが、ゴミ屋敷にゴミが一つ増えようと気にしない。タスクも着実に終わらせないと溢れかえることになる
コミュニケーションやプレゼンなど何か自分の思いや感情を相手に伝えるとき、大前提として認識しておくべきことは、あなたにもあなたの世界があるように「相手にも相手の世界がある」ということだ。見えてるものが違うのだから、「これだけ話したから伝わっただろう」は通用しないということ。
ビジネスの現場で横文字の言葉を「無駄に」多用している人をよく見かける。自分では頭いいと思っているだろうが、端から見たら「頭良さそうに作ってるだけ」にしか見えない。バナナをナイフとフォークできれいに食べて、「俺上品だろ」と言っているようなもんだなと今日ふと思った。
情報収集は「素早く60%くらいのレベル」でいいと思う。何かを始める時に情報を100%集めないと前に進めない人がいますが、情報を100%集めたところで100%失敗しないなんてことはまずない。それなら、60%くらいで始めて早々に壁にぶつかって改善してまた前に進む方が圧倒的に早く進める
弱者には弱者の戦い方がある。わざわざ背伸びをして身の丈に合ってないフィールドで戦ってもまず勝てないし、何より自分の強みを活かせない。自分の強みを生かせる「自分のフィールドを選ぶ力」も一種の武器だと思う。
プレゼンや説得において目的を押さえるというのは、「相手の着地点を押さえるということ」あなたがプレゼンや説得をした後に、「相手にどうして欲しいか」これを考えることで、うまく伝えることができますし、なにより「どう伝えればいいのか」も明確にわかってきます。