「正解のない問題」を扱っていると自認しながら、実際には「正解のある問題」を出していることに気づかないケースがある。 自らはコンフォートゾーンにとどまりながら相手には(発達という視点を欠いた形で)変容を強いることで、自分が考える正解を複製する機械を生み出す行為と言えるかもしれない。
学習とは、ひとつの領域での当たり前を突き詰めた先に、今までの当たり前の外側に出るために、自分をアップデートする営み。他者の学習を支える人は、自らがコンフォートゾーンの外に出て学習し続けられるかが問われる存在でもある。
世界を広く深く理解しているような思い込みから、自分の当たり前が世界の全てという暗黙の前提に縛られ、その延長線上にない視点や情報は存在しないものとして、他者の言動を抑圧していることを自覚できなくなる人たちがいる。DEI推進の本質はこのような環境を乗り越えていくことにある。
収益のような「分かりやすい」数値だけで部門や個人の貢献度を決めることは、仕事の価値を測る難しさから逃げる行為だと思う。 自社の企業理念や行動規範、生み出す価値、実現プロセスを俯瞰的に見据えて、自分たちにとっての仕事の成果を定義し、説明責任を負うことがフェアな評価の一丁目一番地。
まもなく4月。 新たに社会人になる方も、新たに社会人となる仲間を受け入れる方も、働くって何だろう?という意味を自分なりに考える時期かもしれません。 かなり以前のものですが、ちきりんさんのブログはとても共感できるメッセージです。 https://chikirin.hatenablog.com/entry/20120328
西野さんの言葉。若手社会人の方にぜひ読んでほしいと思います。 https://chimney.town/11736/ 探し物は探さないと見つからない。やりたいことは向こうからやっては来ない。まず動いて、何かに出会う。そのきっかけがあなたをさらに動かす。 そんな趣旨のメッセージでした。
ものすごく共感。時間がかかることもある、と受け容れることが長期的な歩みのなかでは大切だと思います。 https://www.instagram.com/p/C3BbabXhKFW/?igsh=MWJ5NjVkZmZxYXlrZA==
山口周さんの言葉。「自分らしい働き方」を追求できるのは、まず自分らしさを投げ打ってまっしぐらに働く段階を経てから、と。その通りでもあるけれど、同時に「自らの意志で、自ら考え行動する」ことを習慣づけておくのも大切だと思う。 https://twitter.com/shu_yamaguchi/status/1779659781466378290?t=9pbRA8yhawKtNbpI1obBdw&s=19
「のびしろ」という言葉にはポジティブなトーンがあるだけに厄介な表現とも言える。 問題に直面したときにその状況を一様に「のびしろ」と捉えるのではなく、人や組織の本来の持ち味や置かれた文脈を丁寧に読み解き、真に解決すべきこと、注力すべきことを探究する努力を怠らないようにしたい。
もう一つ、最近の気づき。新規性の高い企画に難航するのは、この2つの落とし穴にはまっているケースが多い。まずはここを突破するところから。 「目的を捉える解像度が低い、目的と手段の関係を構造的に整理していない」 「既存のやり方や知見の情報収集が足りていない、本質理解に至っていない」
どんな分野にも、基本中の基本とされる考え方や立ち居ふるまいというものがある。その基礎を徹底的にお腹の底から理解して、自由に組み合わせて使い込んでいける力を、リテラシーと呼ぶのではないか?そのリテラシーをつける意味を体感してもらうことにこそ、学びの場をつくる意味があるのではないか?