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「ぶれない軸」とその功罪①

マネジメント層の仕事は、大小様々な問題を前にしながら常に選択肢をつくり出して意思決定し、実行責任を果たす場面の連続とも言えます。

そのときに問われるのは物事を捉えるための視点と判断基準、そして胆力であり、言い換えれば「ぶれない軸」というものですが、この軸とは何か、どうやって獲得に至るのかには諸説あるところです。

このシリーズの初回として、まずは私が過去に目にした反面教師としての事例を挙げたいと思います。


受け売りという言葉があります。

入口では他者の言説を表層的な理解のまま借り受けているだけの状態でも、やがて自分自身の思考や体験を通じてその確からしさを実感するようになると、それは信奉理論となって。

ただその段階では、本人が大切だ、そうあるべきだと思っているだけで、実際の言動に結びついているとは限らない。

厄介なのは、言行不一致が起きているときに本人はそう認知できていないケースが多いこと。

私がそのことを身をもって思い知らされたのは、十数年前、当時働いていた職場の先輩社員が頻繁に「軸」という言葉を使うようになった頃のことでした。

その人はマネジメント層を対象とする研修を担当し始め、事務局として何度も外部コンサルタントの講義を聴いていた。講師の話は含蓄に富み、具体的なイメージの湧くものであったし、多くの受講者が影響を受けていた様子でした。

その講義ではマネジメント層としての判断軸をいかに研くのか、そもそも軸とは何か、といった話が度々扱われていました。そもそも、人と組織を通じて短期的な成果と中長期的な成長の両立を目指してマネジメントをするとは、という基礎に何度も立ち戻りながら。

そしてある時期からその先輩は「自分は軸を大事にしている」という発言を繰り返すようになりました。

しかしながら周りで働く者たちにとってはその軸が一体何なのかは、一向につかめませんでした。何しろ、当の本人の行動というのが、いわゆる「丸投げ、垂れ流し」型のものだったから。ステークホルダーからの要求を何一つ咀嚼せず、したがって課題形成もなく、実行プロセスの読みも浅く、何かあれば周りに単純に押し付けるばかり。

受け取った側が懸命に考え、行動を続けているなかで成果が出そうと見るや、急に自分が的確な指示出しや支援をしているとばかりの立ち回りを見せたり、あるいは受け取ろうと努めながらも度重なる丸投げに疲弊したメンバーが出ると、わざわざ人前で丁寧にフォローする姿をアピールしたり。そうかと思えば、部門長が抱える小さな手間を甲斐甲斐しく引き受けてみせるようなことも頻繁にあって。

結果として若手は一人、また一人と姿を消していき、中堅層はますます疲弊を重ね、一方でその本人は部門で出した成果を全て我が物として階段を登っていく、というJTCの典型的な組織が再生産されていく姿を目の当たりにすることになりました。



上記の例では、当の本人は至って真剣に「自分の軸」というものを大切にしているつもりであり、実際に様々な信奉理論を頭のなかには持っていたのだろうと思います。けれど傍目から見れば、それは非常に空疎なものだった。少なくとも、行動として発揮されることは皆無に近かった。

そこでは何が起きていたのかを考察しながら、本当はどのような形で「ぶれない軸」を獲得していける可能性があるのかを、次回から紐解いていきたいと思います。

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