常識というのを不動の規律とするならば、あるか無いかの話だが、それぞれがそれぞれの常識間のようなものを持っているとするならば、不一致が多いという話になる 明確な常識一つに絞り、他を排除する方向で行くか、自身たちにとっての常識を決めるが他も認める方向で行くか。 自分は寛容な方がいい
常識の一致が無ければ、いかなる正論も空転するだけだし、非道な行いもごまかしきれてしまうのではないかと思う 如何に今の社会では恥や罪悪という感覚の普遍的な共有が難しいのかということとそれが異常な状態であることの両方の認識の輪を広げていく必要がある思う
面白いページを見つけました。 世界の衝撃的な「10の真実」。多くの人は気づいていない・・・ | TABI LABO https://tabi-labo.com/212508/shocking-facts 「10の真実」のリストは必見。 これらの内容について疑問に思うことが大切です。
「〇〇だから××だろ!」 「△△ってことは☆☆だよな?」 この先入観に気づけるか気づけないかがヒントになる。これすなわち常識を疑うという事。
多数意見が必ずしも正しい訳ではない。ルールから外れたことを多数の人が行うならばそれは「常識」として扱われるから。
こちらから辞退した会社から、お見送りの連絡が。 なんだ。負けず嫌いか。 フラれるのはいやか。