世の中に溢れている「なんで?」

もともと自己分析は好きだったし、人の行動に関する心理とかを知りたいなー。と思っていました。
最近はより一層、「あの人は、どういう考えであの行動をとったんだろう」というのを、聞いてみたい欲が止まりません。

先日、「その探究スイッチが入ったきっかけは?」と聞かれました。
私にとっては、子どもが産まれたことが大きいです。


「子育て」は「親育て」

子供を育てることは、困難の連続です。
新生児は、まさに0の生き物。
さらに、赤ちゃんのころは、言葉を発せません。しかし、言葉を話せなくても意思表示はするし、意思疎通をしようとします。
これが、1番大きいところだと思っています。

「意思」や「感情」を誰かに伝える手段は言葉だけではありません。
なので、普段言葉に頼りきっている私たち大人は、自分の言葉を疑う必要があります。


あなたが話す「言葉」とは。

普段、何気なく話す言葉。
それは私たちが様々な経験をして、身につけてきた武器のようなもの。
例えば、良く感情を表す言葉として言われるのが「喜怒哀楽」です。
でもこのように、感情を綺麗に4区分することはできません。

言葉を持っていない赤ちゃんと接するとき、大人の持つ言葉でその子の感情をカテゴライズするべきではないと思います。


「えらい」ってなんだ。

私が子供を育てるようになって1番始めに疑問に思ったことは、「えらい」という言葉。 

何かができた時とかに、「えらいねー」と、褒め言葉として使われていますが、もう私の頭の中は「??????」な感じでした 笑

子どもが、大人の意図した行動をしたとき それは「えらい」のか。
「えらい」と言ってそれは具体的に何を褒めているのか。
「えらい」とはなんなのか。

よーく考えてみた。

「えらい」っていう感情は、その相手を下に見ていることが前提なのではないか?
そもそもいま自分自身がこの年齢(30歳)で「えらいね」と言われたら、子供扱いすんなよと思う。
それに、私は大人に対して「その行動、えらいねー。」とは言わない。
(一部の地域では、「つらい、きつい」というニュアンスで使うので、それは別)
自分と相手の関係がフラットもしくは上下が不明のときに「えらい」という言葉は出ないのではないか。
つまり、無意識のうちに「大人の方が子どもよりも上の立場にいる」と思い込んで、その子と接しているのではないか。

私は、これとても危険な無意識だとおもっています。
子どもだろうか、大人だろうが、その「個人」を尊重して接しないといけないなと。

また「えらい」って褒められた子どもにとっても、行動する目的が「えらいと言ってもらうこと」にすり替わって、結果に行き着くためのプロセスをどう踏めばいいかがわからなくなります。

だから、私は「えらい」とは言いたくありません。同様の理由で、「すごいね」も。
子どもの行動そのものや、方法を褒めてあげたい。そう考えています。


気を抜かなくなった

「自分の行動や発言は子供に影響する。」と意識しながら生活をするようになりました。

行動したあと、発言したあとに、「いまのやり方(言い方)で大丈夫だったかな?」と考えるようになり、そのことで、何気なくとっていた行動、適当にしていた発言を使わないように意識するようになります。
もちろん、自分自身は完璧じゃないので、うっかり口がすべったりする事もあるけど。笑

そして自分を振り返る事で、「あの人の場合はどうなんだろう。」と思うようになりました。


常識とは?

子育てをするうちに、よく考えるようになったことは、「常識」とはなにか。

相対性理論を提唱したアインシュタインは、「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。」と言ったらしい。

ふむ。たしかに、それはとてもわかる。

18歳まで、という区切りが果たして正しいかはわからないけど、自分の常識は世界の常識ではないし、そもそも、世界の常識なるものがあるかもよくわからない。
よく言うのは、当たり前だと思うことに対して疑問を持つこと。

なにかを問われたときに、「そんなの当たり前じゃん。」とか「そんなの常識じゃん。」と言うのはナンセンスだと思う。
そういう考えをした途端、私の頭は思考が止まってて、考えることが面倒だから、「常識」という言葉に隠れているだけだと。

子どもは偏見がなく、目の前にあるのものをただありのままに受け止めている。
そこに大人の持っている「常識」を押しつけてしまわないようにしてあげたいおと思うのです。


哲学的思考を持つこと

先に挙げたように、普段なんとなく生きてしまうと気づけないような、常識とか、当たり前とかには、まず疑問でぶつかる。

「当たり前だと思ってたけど、なんで当たり前だと考えていたんだ?そのきっかけは?経験は?」
というように。

私はこういう考え方を「哲学的思考」と勝手に呼んでいます。
自分の思考の傾向とか、偏りを認識もできるし、思考回路の整理をすることにもなります。
就活の時によくわからずやっていた自己分析なんかよりも、もっと深い次元で自分はどういう者であるのかを考えられています。

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