「常識」はひとつではない。でも世の中には「常識」が必要だ。
親の言動や考え方は、子供にとっての「常識」になる。
耳や目から入ってくる情報は無意識でも影響が大きい。年を重ねるにつれて、経験を重ねるにつれて、強く実感している。生活環境を共にしている家族の影響、特に親の影響は大きい。
幼少期に言葉使いや生活態度を親を見て学んでいるからだ。
そして親の言動や考え方は、子供にとっての「常識」になる。
良い意味でも悪い意味でも。
母からはよく「父親と性格が似ている」と言われる。
事前に確認・準備できていないと不安な面、突発的なことに焦りやすい面や、短気な面など(短所な面ばかり言ってくる)
父からは「最近母親に似てきた」と言われる。
部屋着が裏表逆で気づかない、気づいてもまあいっかと流してしまう事や、いろいろ大雑把になってきている事など(それは娘がおばさん化してきただけなんだけど)
自分でも父親・母親の影響を色濃く受け継いでいる自覚がある。
近い存在だからこそ短所がよく目につくが、短所だとわかっているのに私も同じ様な事をしてしまうのだ。
単に私が感情的になりやすい性格で短絡的な考え方だから、短所だと理解していてもやってしまうのだが、そういう性格も幼い頃から形成されてきたもので、近くにいた大人の影響や自らが体験してきた積み重ねから出来ている。
年齢を重ねて感じる「常識」の違い。
小学生くらいの頃から、「家によって違う当たり前」を感じるようになった。
祖父母と同居している同じ年の従兄弟は、毎日お小遣いがもらえるのが当たり前。家族が自営業をしている友人は、学校帰りにお店に寄って手伝いをするのが当たり前。同じクラスの友人は、目玉焼きにソースをかけるのが当たり前。
中高生くらいには、「常識」の違いを感じるようになった。
礼儀やマナー、必要最低限の知識の問題。
大人にとっての常識は、中高生にとっては知っているかいないか人それぞれ、学んでいる過程だった。
え?なんで知らないの?と相手の知識にびっくりする事もあれば、
うわ、全然知らなかったーそうなんだと相手の知識から学ぶ事もあった。
大学生になって就活をしている時、「常識」を知らないと恥ずかしく不利な状況になった。ちょっとした言葉遣いや単語を知っているか知っていないか、ちょっとしたことだがボロが出て差になった。
社会人になって「常識」はある意味最低限の共通のマナーであり、ある意味個人の意見の押し付けに感じた。
みんなが協調生をもって同じ職場で働くためのマナーだった常識が、だんだん「あんな事するなんて信じられない」「普通はこうでしょ」と、自分にとっての常識が社会のマナーの様に感じられ、正義のように振りかざされる。
実際、私もそうやって新人をたしなめた事がある。
今思えば本当に社会人のルールとして指摘したのか、自分ルールだったのか、怪しい…ひどい先輩だ。
耳や目から入ってくる情報。
会社でも、耳や目から入ってくる情報が無意識に影響している。
驚いたのは、大嫌いな上司と同じ笑い方を私自身がしていた事だ。
ゾッとした。
どんなに嫌いな人でも、身近にいて毎日のように耳にして目にしていれば、似てきてしまう。
大人になれば、マナー違反な行動や個人的な見解を含んだ言葉を識別できる。それを信じられない!と感じるか、そういう人もいるのかと感じるのかは人それぞれだ。
でも成長途中の子供にとっては、ひとつの例であり、覚えていなくても無意識に記憶に残ってしまうこともある。
子供のした事がすべて親の責任、周りの大人の責任とは思わない。
子供自身が経験したことで性格は形成されるし、子供は子供なりに考えや思いがあって行動している。
それでも
親になる人は子供を育てることがどんなに重要で大変なことか改めて考えて欲しい。
大人は、世間の子供たちが「自分の言動を見ている」ということを、そして「自分の言動の影響を受ける人がいる」ということを意識して欲しい。
会社でも日常生活でも、人は誰かしらの人と関わっている。
ひとりで生きている人なんて、どこにもいない。
「常識」はひとつではない。でも世の中には「常識」が必要だ。
人には個性も必要だと思う。
社会には常識も必要だと思う。
でも個性と常識のバランスは難しい。
「常識」は人ぞれぞれで同じではないけれど、みんながみんな、それぞれ思うままに動いたら世の中は混乱する。
「常識」という皆んなが生きるためのルールは守りつつ、「個性」である良い面は認めてあげられるような柔軟な生き方が必要だと思う。
時代による変化は必ずあるのだから。
「〜であるべき」と頭デッカチな私は、明日からは頭を柔軟にしていこう。
人によって「常識」は異なるし、もしかしたら私の「常識」が人と全く違うのかもしれいない。
そしてちょっとした気配りや表情にも気をつけたい。丁寧に、笑顔で。
私だって誰かに影響を与えているから。
家族に長所を似ているねって言われるように。