天正3年(1575)5月21日は長篠設楽原の戦いで織田・徳川連合軍が武田軍を破った日。かつて3千丁の鉄砲隊が三段撃ちで武田騎馬隊を打ち破ったといわれたこの合戦の様子も最近では随分と違って語られる。ただ大量の鉄砲が使われ武田氏で信玄以来の多くの重臣が討死した影響は大きかったのでは。
天正3年(1575)4月29日は武田軍の山県昌景らが二連木城を陥落させた日。三河に侵攻した武田勝頼は足助城、大野田城など落とし吉田へ進んだ。二連木城に続き家康・信康父子が入城した吉田城を攻めたが攻略を諦めて長篠城へ向かい5月1日に包囲した。ここから長篠・設楽原の戦いがはじまる。