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【観音霊験記 秩父巡礼】第十四番長岳山今宮坊/武田信玄の家臣石原宮内

出典:国立国会図書館デジタルコレクション
観音霊験記 秩父巡礼十四番長岳山今宮坊 武田信玄の家臣石原宮内

観音霊験記 秩父順禮ちゝぶじゆんれい 十四番 長岳山ちやうがくさん今宮坊いまみやばう

 むかしより たつとも知らぬ 今宮いまみや
   まゐるこゝろは 浄土じやうどなるらん

奉額
 此所は 八大竜王りうわうの 社地しやちなるときゝて
   いのらぬは なほとうとし なつあめ


武田たけだ信玄しんげん家臣かしん 石原いしはら宮内くない
當山たうざん灵驗れいげん數夛あまたあるなかに、信玄しんげん家臣けらい山形やまがた三郎兵衛さぶろべゑ組下くみしたなる石原いしはら宮内くないは、つね觀音くわんおんしんじ、軍法ぐんぽうにもくわしきものなりしが、時田合戦かつせんのとき、軍配ぐんばいをくりちがひしにや、進退しんたいわろきゆへ信玄しんげん大にいかりて、たちまち  そなへを立直たてなほして、つひ勝利しやうりとなりしが、後日ごにち 宮内くないそれがしそなへにてまけにはならず。

※ 「灵驗れいげん」は、霊験。

信玄公しんげんこう短慮たんりよなりと人にかたりしこと、信玄しんげんみゝり、ことほかはらたち軍法ぐんぽうそなへは、たとへ 陳平ちんぺい張良ちうりやうとて、操損くりそんじはあるものなれば、とがめもいひつけざるものを、よしなき言葉ことばをもつて、しゆうきずをつくるだん不届ふとゞきなり。これによつて死罪しざいに定めらる。

※ 「陳平ちんぺい」「張良ちうりやう」は、秦代末期から前漢初期にかけての政治家・軍師。ともに前漢の初代皇帝 劉邦りゅうほうに仕えました。

そのすでに十七日なれば、宮内くない他念たねんなく、観音くわんおんじんじて、翌日あす縁日死えんにちにしぬこと、せめてのたのみと覚悟かくごしてけるに、その信玄しんげんゆめ十歳とをばかりなる小坊主こぼうずきたりて「われ今宮いまみやのもの  宮内くないをひとへにたすけ給へ」とあれば、佛勅ぶつちよくかんじて、いそ山形やまがためいじてたすけしのみならず、近習きんじゆ召出めしいだして恩賞おんしやうたまはりしこと、まことありがたき灵驗れいげんなり。



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