いま使っているパソコンの背景、ほとんど、 というか100%、自分で撮った写真です。 「誰が撮ったんですか?」「きれい!」 「インターネットの画像でしょ?」 と言われたら、勝ち。 あっ、別に勝ち負けのためにやってるわけじゃないですが。 言われたら、うれしいなー、ってことです。
勝ち負けなんて関係ない、とよく言われる。 たしかにそうだ。 だけど、挑戦した人には、挑戦しなかった人には見えない風景が見える。 そこで初めて見える景色が、「勝ち負けは関係ない」くらいの宝物なんだ。 日本シリーズで頑張っている、贔屓チームを応援しながら! (中の人)
仕事とスポーツは違う スポーツは勝ち負けが明確に出る世界 一方で仕事は勝つことがゴールではない 例えばディベートで議論する際も 論破することがゴールではない 建設的な議論から価値を生む打ち手を 捻り出すことの方が重要 目の前の小さな勝ち負けに 振り回されないようにしたい
「勝ち負けにこだわり過ぎない」 同期の人に負けたくない… 友人よりも先に出世したい… 競走は内発的動機付けになる一方で 勝ち負けに振り回されて 自分を見失いがち 一喜一憂して常にストレスフルな状態に… 人との比較よりも自分と向き合う 自分で出来たと思えたらそれで十分
『自分』という「素材」で勝負をすれば、他人と比べたり、優劣を付ける必要もない。「敵が無い」=「無敵」となる。「ポジティブな面」(特技等)だけではなく、「ネガティブな面」(弱点等)も武器にすれば、より最強。 ▼全編はコチラ http://shi-shin.jp/30o6
「勝った!」と思ってる時点で、あんたの「負け」タイ。 #博多弁 #勝ち負け
負ける と言うのは幻想である。 走るのが速いほうがいいなんて、なんとも無意味な比較であり、オリンピックの競技だけで充分である。 それぞれが、この体験をしたいからと、得意なものを別々に決めて生まれてきた。 その得意なものを使っているか、使っていないかだけの話
罪悪感を植え付けて、相手をコントロールしようとしてる人には その言葉をよく考えて発言しないと 相手の思うつぼになる。 相手と対等に話をしたければ、相手に勝とうとすることをやめて、事実と自分の思いを伝えるだけにすること。