【成長・学び】なんでも「1番」の先にあるもの
こんにちは。
きーちです。
自分の特性としては、完璧主義で失敗することを恐れる傾向にあります。
そして、その特性はどうやら娘にも引き継がれてしまったようです。
現在3歳半を過ぎた娘は、「いちばん」が大好きです。
コインロッカーの番号も「1番」、自転車を止める場所も「1番」、着替えをするのも「1番」最初が良くて、食事を食べ始めるのも「1番」最初がいい。
なぜこうなったのか。
考えてみたら、以前より周りの大人からこう言われていたからなのかもしれません。
「早くできてすごいね!」
「1番だったね、すごいね!」
子どもは褒められるのが大好きです。
我が家もそうです。以前からのそういった経験が、そういうマインドセットにつながっているのかもしれません。
その証拠に、「1番だったよ、すごいでしょ?」とか、「早かったでしょ!」とかを嬉しそうに伝えてきます。
大人のリアクションはそのまま子どもの価値観に多大な影響を及ぼすのだと少し恐ろしくなりました。
大人のリアクションと子どもの価値観については、また後日書いてみたいと思います。
「1番」を自覚できたということは、物事の比較ができるようになったということです。
そして、「1番」があるということは、「それ以外」もあるわけです。
今、娘の中にはこんな方程式ができているのかもしれません。
1番 = 素晴らしい = 褒められる = 認められる
それ以外 = 素晴らしくない = 褒められない = 認められていない
これは将来苦労するのではないかといまから危惧しております。
なんにでもいちばんになれるわけではありません。
比較の延長に幸福感はありません。
人と比較して生きていくと自分がどうあるべきかよりも、相手に対して自分はどうするかという発想になってしまい、自己肯定感にも影響が出てきかねないと思っています。
かといって、持って生まれた性格はどうすることもできません。
できるのは、本人を取り巻く周りの大人がどう接するかです。
最近は、「1番じゃなくても努力したからすごかったよ!」と話をしています。
つまり、結果を褒めるのではなく、そこまでのプロセスを褒めるわけです。
教育関係の話などでよく聞くようなやつですね。
私としては、今のうちにたくさんの挫折経験を娘に味わってほしいと思っています。
その経験がなんにでもいちばんになれるわけではないという認識につながります。
そう思ったときに、「ひとには得意不得意がある」こと、「1番じゃないことは自分を否定されたわけではなくて、あくまで結果である」こと、「1番じゃないこと(負けること)は恥ずかしいことではない」こと、「そこまで努力したことが1番素晴らしい」こと、「そこで1番になりたい(負けたくない)ならもっと努力するしかない」ことをしっかり伝えてあげたいなと思っています。
そうすれば、娘もきっと自分の得意なことで努力していける子になれるのかなーといまから考えております。
そんなときは果たしてくるのだろうか。今から楽しみです。
今日は、なんでも「1番」になりがたる娘を見て感じたことから、今後の接し方について考えたことを書いてみました。
それではまた。
きーち