この度、わたくしの念願だった、ペットロスの方向けの本を出しました。 亡くなったペットと交信するチャネラーさんや、獣医さんにも寄稿いただき、ペットロスの方を少しでも笑顔にできるようにとの思いで出版しております。 応援いただけましたら、大変ありがたいです🙏 【本日の抜粋】 『飼い主さんの愛情が深かった分だけ、ペットたちもそれに応えるように深く感謝して、お空に旅立っていきます。この本を通じてそういったことを是非知っていただきたいと思った次第です』 Am
自分とは、 「意見」 が合わない。 ただ、それだけで、 相手のことを 「イヤなやつだ」 とか、 「嫌いなんだよね」 とか、 思っている自分がいないか?、 ということなのです。 感謝、合掌 慈永
相手の瞳の中に、 自分が写っている。 それは、 相手が、ちゃーんと、 自分を見てくださっている、 そういう証拠。 日常のあたりまえの中で、 そういうことに気づけると、 しあわせを感じる瞬間は、 格段に多くなっていくのです。 感謝、合掌 慈永
「弱み」というものは、 その存在に気づくことさえも できなければ、 すなわち、 「弱点」となる。 「弱み」というものは、 その存在に気づき、 何か手を講じようと目論めば、 すなわち、 「課題」となる。 まずは、 素直に己を観る。 つぎに、 「弱点」のままで放置しない。 そして、 「課題」へと昇華させていく。 感謝、合掌 慈永
あのね、 「白黒」なんて、 つけなくてもいいの。 どうしてかと言うと、 世の中、 「白黒」つけられないものの方 が多いからです。 人間だって、 そうでしょ? 完璧な善人もいないし、 完璧な悪人もいない。 無理矢理、「白黒」つけずに、 「灰色」こそを あえて受け容れていく。 それを 生きる「知恵」 だと言っているのです。 感謝、合掌 慈永
今から15年ほど前、 当時の気難しい上司から、 「お前はいつもヘラヘラしてる」 と、 お叱りをいただくことがよく ありました。 今から10年ほど前、 その気難しい上司が定年退職 される際、 「お前の笑顔に救われたことが 何度もあった」 と、 目に涙をためてお話をいただ いたことを覚えています。 ね、 何を言われてもね、 「笑顔」というものは、 とても大切なのです。 感謝、合掌 慈永
「祈り」というものの本質は、 叶うかどうかわからない、 というところにある、 ということです。 もし、何かが100%叶う、 と知っていたならば、 それを祈るひとはいない。 どうなるかは正直わからない、 でも、 何とか叶ってほしい、 そういうひとの切なる思いが、 数々の奇跡をもたらしていく。 「決してあきらめない」 ということ。 「祈り」というものの本質は、 叶うかどうかわからない、 というところにある、 ということなのです。 感謝、合掌 慈
一日を「振り返る」とは、 その日の、 良かったこと、 悪かったこと、 に思いをはせるのではなくて、 人を思いやる心があったか?、 人との約束を守る心があったか? 人への恩を思う心があったか? 人への影響を慮る心があったか? 人から評価される心があったか? そういうことこそを振り返って、 良い悪いという結論ではなくて、 ありたい自分でいられたのかを 確認する、 ということなのです。 感謝、合掌 慈永
「得る」ことばかりに意識が向く、 だから、 「今、ここにある」 ものに気づかない、 ということです。 「得る」「得たい」 という気持ちは、 「今、ここにない」 を意識するからこそ、 生まれてくるわけです。 では、 「今、ここにある」 を意識するためには、 どうしたらよいのか? それは、 「失う」ということに、 意識が向けばよい、 となるわけです。 つまり、 何かを失えばこそ、 その何かがあった時の有難さ が身に染みる、 ということで
あのね、 例えば、 「挨拶をしない自分」 が嫌いだとするでしょ? そうするとね、 「挨拶をしない他人」 も嫌いになるわけです。 例えば、 「不甲斐ない自分」 が嫌いだとするでしょ? そうするとね、 「不甲斐ない他人」 も嫌いになるわけです。 例えば、 「努力をしない自分」 が嫌いだとするでしょ? そうするとね、 「努力をしない他人」 も嫌いになるわけです。 ね、 要するに、 「嫌い」というのは、 他人さまの中に、 嫌いな自分の姿を
「失う」とは、 「執着」すること。 「手放す」とは、 「執着」しないこと。 消えてなくなった、 だからこそ手に入る、 そういうものもある。 感謝、合掌 慈永
時と場合によっては、 「急ぐ」 ことも大事。 「急ぐ」時でも、 「急ぐ」場合でも、 何事もいつもより集中して、 「丁寧」 にすることが大事。 そして、 「急がなくてもいい」 ように時間を管理すること、 これが、 何にもまして、一番、大事。 感謝、合掌 慈永
世の中、 「理不尽」なこと、 いっぱいあるでしょ? それでもね、 文句を言わずに、 淡々と、 「理不尽」 へと向き合っていく。 あの時の「あのせいで」 は、 将来、必ず、 あの時の「あのおかげで」 へと、変わる瞬間がある。 まだ見ぬ、未来の自分あてに、 しっかりと贈り物をするのだ、 ということなのです。 感謝、合掌 慈永
「晴れの日」に、 笑顔で歩く、 それを 「感謝」と言う。 「晴れの日」に、 文句を言いながら歩く、 それを、 「わがまま」と言う。 「雨の日」に、 文句を言いながら歩く、 それを、 「我慢」と言う。 「雨の日」 に笑顔で歩く、 それを、 「辛抱」と言う。 「感謝」、 「わがまま」、 「我慢」、 「辛抱」、 長いようで短い人生、 どれを選んで生きていくのか、 ということです。 感謝、合掌 慈永
「〜しなければならない」 と思うことは、 自分の本心ではない、 ということです。 「〜したい」 と思うことこそが、 自分の本心。 「〜しなければならない」 ばかりになると、 人生は必ず、つまらなくなる。 「〜したい」 の方を少しでも多くする。 日々、 そういう生き方を心がけたい ものです。 感謝、合掌 慈永
自分の正しさを主張する、 それと同じく、 他人の正しさも主張する。 自分の悔しさに涙する、 それと同じく、 他人の悔しさに涙する。 自分の寂しさに寄り添う、 それと同じく、 他人の寂しさに寄り添う。 要するにね、 自分自身で味合った感情、 それがなきゃ、 他人の気持ちなんぞ、 わかりようがないんですから、 大人にでもなったつもりで、 自分の感情を見て見ぬふりを しない、 ということなのです。 感謝、合掌 自分