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勝ち負けの問題ではない

どうしても感染話になってしまうのだが、これは割と多くのことに当てはまると思う。今回のコロナも「コロナに負けるな」というのをよく見かけるけど、それはちょっとちがう。勝ち負けではない。折り合いをつける感じ。お互いの世界で生きている分には、影響はない。だって、動物の中で彼らが生きていた時は、このウイルス知らなかったし。

今の時代は「共生」がテーマだ。ノーマライゼーションから始まり、バリアフリー(この言い方もよくないという人もいる)、インクルーシヴ。
今回のCOVID19は人の命をすごいスピードで奪っていくのでそんなことも今言っていられないけれど、本当はあらゆる生き物は共生できるのが理想だ。循環型社会、自然を守ろう、動物愛護、諸々。菌のイメージは今悪いけれど、発酵食品ができるのは菌のおかげである。本来は、バランスが取れていたのだ。

だから今回のウイルスとも、できればうまい形で共生できるのがいいと思う。どちらかが強すぎると必ずどこかに負荷がかかる。それは見えても見えなくても。たとえば人同士の関係も同じだ。誰かが圧倒的に良い状況にある時は、誰かがよくない状況になってバランスを取っている。バランスをとるつもりはないと思うけれど、結局プラスとマイナスでみるとバランスだと思う。

そんなことを考えていたら、今回のウイルスのことをなんとかしようと、アイヌの方々が祈りを捧げたという記事を発見した。アイヌ民族は全てに神が宿るとして常にあらゆるものに感謝をしながら生きている。彼らは、病気の神に対して鎮まるようにお願いしたそうだ。戦わない。ただ、「近づかないで、何とか鎮まりください。お互いに生きていきましょう」とお祈りしたそうだ。この感覚は私はわかる。やっつけるという発想は、戦争につながる。

このnoteをはじめた一番最初の私の記事も、たしかこんなことだったはず。お互いのエリアをこれまで、ボーダーラインを超えて押しかけすぎていたのだ。山を崩し、木を倒し、動物を食べ、魚を食べ。住めずに山から降りてきた動物を殺し、加工のための有害物質を空中に放ち、それで新たな病気に人間がなっても対症療法の薬でなだめて、ここまで来た。

今、一斉に人間が死んでしまっているが、これがこれまで、人間でない生き物になされてきたことだ。順番が来た、ということだろうか。
私はおかげさまでまだ生きているので、のんきに自分だけの考察なんかを書いている。でも、順番が来ないとは限らない。生きているうちには、いろいろと伝えた方がいいと思ったことを書いて、残しておく。いつかは死ぬ。

話がそれた。
とにかく、勝つ、という発想のままでは もし今回の感染拡大の被害がおさまったとしても、また同じような状況がやってくる。と思う。
今、強制的に行動範囲を狭められて、自分の周りをいやでもみなければならない状況になってる。発想の転換をしないと鬱々しそうな状況になってる。発想や価値観の転換を求められているのだと思えてならない。考え方とやり方を、この世界規模でリセットをかけるタイミングとしか思えない。

勝ち負けの概念は、戦争を招く。いつまでたってもきっと、それでは似たような繰り返しを長い時間をかけてするだけだ。発展だと思ってこれまで向かってきたことが実はその反対に進んでいたのかもしれない。今度こその、本気の共生。勝ち負けはスポーツの世界だけにしておきたい。

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