他人から不幸そうに見えてようがその本人が心から幸せならそれでええやないか なのに多くの人は幸せに優劣をつけたがる。 そんな価値観でしか幸せを証明出来ないのなら、今後もそういう第三者に幸せに見せなきゃいけないというプレッシャーに押し潰されて、自分で自分を苦しめ続けるだけだ。
人に対して 一流 二流 三流 付けて何がしたいんだろう その人にはその人の背景や考えが方がある この答えを出したから何流 人の考えに正解なんてない 優劣なんてない みんながみんな 必死で考えて行動している 根こそぎ否定する権利のある人なんて 本当にいるのかな
「しょうがいのある人」だから キモイとか劣って居る、いじめの対象とかになるけど そこが悪いんじゃなくて 「人」っていう一括りで見ると 悪い人は居ないんじゃないかな って思う。 後ろ指を指す側も刺される側も。 しょうがいも個性の1つ 優劣を付けるものでは無い。