人の道に優劣はあるのか
世の中には自分の道が絶対正義だと思いこみ、他人の道は劣ったものと考えている人がいる
それぞれの人生なのだから、優劣はないのではないだろう
それぞれの世界のなかで育てたいものを育てていこう
しかしここには大いなる逆説が潜んでいる
優劣はなくそれぞれの道を許しているのなら、自己の道を正当化し、他人に布教していく道も許されるのではないかという逆説だ
私の理論を完全に正当化するには、優劣は存在しないということを証明できれば主義者たちを無視できる
というのも優劣が存在するから自身の進んだ道を劣った者に宣教すべきという彼らの理論が背景にあるからだ
人の道に優劣はあるのか、
「私は無い」
と主張したい
人には人の幸せがあるからだ
あるものは出産して子供を育てることが幸せだと思う人もいるし、一方では子供は負債でしかないと思う人もいる
ただ世間一般的に会社員になり、結婚して、子供をもち、定年していくことが幸せのひともいる
一方で女性を何人も抱え、その人たちと過ごしていくのが好きな人もいる
幸せの感じ方は人それぞれでそこに優劣をつければ世界の多様性は失われ、画一的な社会になる。
一元的な社会では極一部の人が幸せになり、
その他大勢が不幸になるという社会が待っている
ここに自己の道が正義でありその他は悪だ。
と主張する人は他者の幸福を顧みない絶対主義者と換言できよう
一方で絶対主義者ではない人は相対主義者とここでは定義する
絶対主義者が絶対主義者たる所以は、
自己の求める絶対解のために他者を排斥しているためだ
絶対主義者は世界に唯一つ存在する正解を追い求め、自己の解を正当化するために物事、自己、他者に優劣をつけているのだ
しかし、そのような絶対解は存在しないし、人の求める道に優劣は存在しないのだ。
理由は先にも述べたように、
人によって幸せに感じることは違うからだ
幸せに優劣をつけることはできない
むしろ相手を尊重した上で、
自己の幸福の追求をする道を選んでいくほうが大多数の幸せが得られるだろう
一方で、他者の幸福論についていきたい人は
その道に他者を巻き込まなければという条件付きで
そちらの道を選べば良い
このことから先に述べた、
「(道に)優劣はなくそれぞれの道を許しているのなら、自己の道を正当化し、他人に布教していく道も許されるのではないか」
という逆説は存在しない。
私は絶対主義者も相対主義者も共存する道を模索していく道を主張する。
そのためには絶対主義者は相対主義者に対して過干渉はしてはいけない。