東の野に炎の立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ ひんがしの のにかぎろいのたつみえて かへりみすればつきかたぶきぬ 万葉集にある柿本人麻呂の歌。 ここ最近よく実家に帰り断捨離をしている。 父が亡くなって15年経つ。実家から父の服がわんさか衣装ケースから出てきた。もはや迷わず捨てた。捨てて捨てて捨てまくった。 その父の好きだと言う和歌が冒頭の柿本人麻呂の歌である。父の服、特に大事に着ていた背広を箪笥やら押入れの中の衣装ケースやらから見つけ出す度に大きなゴミ袋に入れた
タワーマンションに住むことが一種のステイタスらしい。 元造船技師として一言言いたいとすればゾッとする。 造船屋と言っても船の性能屋さん、ドンガラ屋さん、電気屋さん、機械屋さんなど色々ある。僕は機関部の担当であったのでいわばプラント屋である。言い換えれば、パイプ屋さん。配管設計が主な設計業務だ。 タワマンでまず気になるのが停電と宅急便。停電になるとエレベーターが使えない。水道も時間が経てば流れなくなるだろう。住んでいる階まで登ったり持って上がらねばならない。ウンザリ。長期
2020年の秋引っ越しを考えていた。住んでいる所はさほど不便を感じてはいなかったが、隣の市に魅力的なアパートを見つけたからだ。 2020年と言えば世界的な騒動が始まった年となる。 自宅軟禁にまぁまぁ近い状態でテレビを観る時間が多くなった。それでテレビは百害あって一理なしであることを通感した。 世界的パンデミックの実情とテレビで流れる常識の極端な差。今は様々なSNSがありその気になれば海外の情報はテレビを通じて得る限られてかつ偏向されたもの、偏見に満ちたものから多少は逃れ
止めなければならない、止められないで続けると自滅してしまう。その3つを砂糖、小麦粉、サラリーマンとした。 3つ目のサラリーマンとはどんな麻薬か。どんな風に止められないのか。安心と安全という幻想からである。高度成長時代の戦後の昭和、低成長時代の平成。そこまでは比較的良かった。今や安心や安全な会社や職業というのは無いのではないか。 いや、むしろ心配や恐怖心に真に向かい合って逃げずに対峙してそこへ自ら飛び込むことこそ逆説的ではあるが安全で安心なのではないか。死ぬ間際になって恐怖
正しい姿勢を保つ、キープする。 それだけでエクササイズになる。 人にはそれぞれ癖がある。時間が経つにつれ、歳を取るにつれその癖が強く片寄りが出てくるのが普通だ。その姿勢を矯正するのは容易いことではない。体幹を鍛える。姿勢を正す。立っているときは足裏でしっかり床や地面を踏む。椅子に座っているときは坐骨でしっかり上半身を支える。肋骨と骨盤の間にしっかり隙間を作る。 言うは易し、行うは難し。 結局はこれも鍛錬の成せる技なのか。 自分の経験から一つ。重力に逆らって上へしっか
止めなければならない、止められないで続けると自滅してしまう。そう分かっていても止められない、止まらないのが麻薬。自分にとっての止められない麻薬は何であるかを考えてみた。 文字通りの麻薬、例えば、コカインやヘロインとかは除いて日常法には触れない範囲で常用可能なもので3つ挙げる。 第一は砂糖だなと確信する。 アトピー性皮膚炎という持病のある自身にとって甘いものは禁忌であることが常識でありながら長い間止められなかった。口にするものへの執着は顕著である。悩みの大きい病気のまさに
やっとたどり着いた終わり。と思ったらそれは始まりだった。 終了のゴングが第1ラウンドの始まりの合図と気付いたらどうなるのだろう。 今日は正にそういう日となった。 「『4年かけて1ミリ背が伸びた』ことに喜んでるようじゃどうしようもない。」 そりゃそうなんだけど。 しかも実際のところ、身体的には4年で1ミリ縮んでいるんだよなぁ、、、 気が付けば160センチ台から150センチ台への転落。ま、それはどうでもいいけど。 学生時代に終わりを告げ晴れて社会人になるという春のある日
今住んでいる神奈川県から実家のある兵庫県までドアツウドアで5時間程度かかる。JR在来線、新幹線、バスを乗り継いでのこと。 東海道新幹線での車窓は楽しい。山陽新幹線もそれなりに楽しいのではあるが、路線が新しい分線路を通す土地買収の困難なためだろうかトンネルが多くて少しイライラする。それに比して東海道新幹線の車窓は富士山をはじめ風景にバリエーションがありさまざまな工場も見えて日本の大動脈といった感がある。 いきなり話が逸れた。 昭和1桁生まれの父、その父と1歳違いの母。幼少
文藝春秋『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』鈴木忠平著 「読んで」ではなく「聴いて」としたのはAudible(Amazon)で聴いたからです。 学生時代就職活動で大学の研究室仲間と共に関東方面にいた。その際横浜でプロ野球ナイターを観戦した記憶がある。確かロッテに在籍していた落合博満選手が2打席連続ホームランを放ち淡々とホームベースを周っていた。ベンチに戻る前に観客席に手を振って声援に答えていた。 直接観た落合博満という人間は後にも先にもこの1回のみだが、もう
父は転勤族だった。自分が生まれてから高校までで引っ越しを要する転勤を5回。それに伴い中学入学までに4回引っ越しした。小学校入学と同時に初めて関西から関東に、茨城県に引っ越しした。昭和40年代半ばのことである。 6歳の子供にとって関西から関東に移るのは一種のカルチャーショックだったのだろう。ズーズー弁を話すクラスメートにびっくりした記憶がある。そこで小学校4年生の半ばまで、つまり3年半を暮らした。 私立の学校など近辺にない環境である。もちろん通っている小学校も地元の町立の学
僕「どうしたの?」 彼女「りょうへい、聞いて。私、できちゃった。」 僕「できたって、何が??」 彼女「貴方と私の間にできたのよ。分かるでしょっ!」 僕「ええっ、、、」 かくして彼女と別れてから家への帰り道にどうしようどうすれば良い??とアレコレ悩む事となる。お金がない。彼女の実家になんて挨拶すれば良いのだろう。そもそも自分は父親になれるのか、、、 独りになってからの帰り道ベビーカーがやたらと目につく。赤ちゃんをおんぶした母親の姿。子供をあやす夫婦。 これは急に通りに赤ちゃん
今試していることがある。 お風呂に何を入れるか。 一戸建てに住んでいた頃24時間循環風呂をしつらえていた。それは長崎に住んでいた頃。東京に出てからは独身寮、アパート2軒と5年で3カ所を回り何となく放浪生活になってきた。 東京、関東圏は不動産関連が他の地域と全く違う。お風呂もバスタブが無かったりする超狭いワンルームもざらにある。バスタブがあっても追い焚き機能がない!って初めて知ったときなんじゃそりゃ??と思ったが一度知るともうそれが当たり前。入る際に熱めに温度設定したらい
カバンというものは厄介だ。 上さんと二人暮らししていた頃。パートナーに言ったことがある。「カバンなんて大中小の3つあれば十分じゃないの?」即反論された。「男の人はそう言うけど女性はそうはいかないのよ。季節に合わせる。着る服に合わせる。だから色々カバンも合わせるものに合わせて3つで足りる訳ないわ。」「そういうものかな??」「そういうものよ。」 かくして議論は終わった。見事完敗。反論する余地なく押し切られた。かくして押し入れには色とりどりのカバンが所狭しと並ぶ。並び続ける権利を
結論から言う。自由には責任は伴わない。そもそも責任が伴うという時点でそれは自由とは言わない。 責任が伴うのは権限である。例えば、職場で課長は人事という権限を持つが故にその業績に責任を持つ。権限と責任は2つで1セット。この関係が崩れると組織は崩壊へと向かう。権限だけを行使して責任を負わなければ組織は膿む。 では、自由には何が伴うのか。少なくとも責任ではない。あえて言うなら危険である。人はその時その時何かを選択している。その選択肢に制約が無く自由であれば時には無茶なことをする
久しぶりに投稿する。 TwitterやInstagramなどでアトピーをツイートしたり投稿したりするのを時折、というかよく見る。 そんな中で自分自身がアレルゲンの食べ物を日常的に食していた頃の、正に皮膚が炎症を起こしていた頃にそっくりな皮膚をしている人を時折見かける。不思議なものでアトピーの人はアトピーの人を良く見分けられる。不思議ではない。当たり前か。いや、ただアトピーというだけではない。その病状、症状の進捗状況も何となく想像出来る。どれほどの痒みなのか。あるいは痒みよ
GW中は特に大きな予定もなく遠出もせずのんびり過ごす。晩春は気温も上がり春眠暁を覚えずで寝ても寝ても眠い。そんな時は家で過ごすに限る。 そんな休暇の過ごし方は結局好きな映画を観るとほぞを固めるとamazonのprime videoで何か探して観る、というパターンになる。 で、たまたま、「ヒキタさん!ご懐妊ですよ」という映画を観た。 観ていて30代後半の妊活をしていた頃のことを思い出していた。下関造船所に勤めていた頃で当時上さんが言い出して通いだした。北九州は折尾にある結