私の日記によると、一年前の今日は私が初めて『仮面ライダー龍騎』最終話を見た日なのだそうです。いや〜この一年間、色々ありました。今は北岡視点からの考察をしていますが、難しいです。難しすぎて第13話辺りからなかなか進めません。#1の投稿、あと少しだけお待ちください。
『仮面ライダー龍騎』のおばさん。士郎を預かれなかった理由の一つには経済上の理由があるのかもしれません。お金がないと言いながらも真司や蓮を追い出さないのは、幼い優衣と士郎を引き離してしまったという後悔があり、それを繰り返さないという罪滅ぼしのような意味もあるのではないでしょうか。
今、龍騎6周目見終わりました。やっぱり最終回を見るともう一周したくなる。そんな状態は、神崎士郎に少し似ているような気がします。龍騎を見ると、現実に目が向きます。例えば、今世界で起こっている戦争や紛争、自然災害や、死刑制度の是非など。人のために生きたいと心から思うようになります。
城戸真司を「じょうどしんじ」と読んだけど、「きどしんじ」だった。
病気を持っている北岡に、射撃タイプのデッキを渡した士郎、実はそういう気配りのできる人間なんですかね?そういえば、士郎の目的は優衣に新しい命を与えることでした。その命に病気を持っている北岡はふさわしいのでしょうか。もしかすると、命には強い体ではなく強い意志が必要なのかもしれません。
課題の期限が迫って来ても 休みが手に入るから 欲望だけ刺激されて 思考停止
『仮面ライダー龍騎』で、真司がバンクシーのチンパンジーのTシャツを着ている時がありますが、2002年当時、バンクシーはまだ有名ではなかったそうです。真司(の衣装さん)は時代を先取りしていたのです。なんだか面白いですね。
『古畑任三郎』を古畑任三郎視点で見ると、どんな感じになるんですかね。気になります。面白いとは思いますが、まずは古畑任三郎くらい賢い頭にならないといけないと思うので、実践は難しいかも知れません(笑) ちなみに私『仮面ライダー龍騎』を蓮視点で見るという記事は書いているので、是非。