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#8 仮面ライダー龍騎5周目だから蓮視点で鑑賞してみる(第17話〜第19話)
ガイを倒すことができなかった後、蓮はどのような感情を抱いていたのでしょうか? 前回、今の蓮が最終回近くの真司と重なるという話をしましたが、ガイを倒せなかった後の蓮も、大切な人のために人と戦うことを決意したのに、いざ戦うとなると人を殺すことができず、それに苦悩する。という点では最終回近くの真司と似ています。この頃の蓮の心ではたくさんの苦悩が複雑に絡み合っていたと思いますが、その「苦悩」とはどのようなものだったのでしょうか?
「人を殺せないこと」がこの苦悩の原因だということはわかります。ですが何故それが蓮を苦しめているのかを真正面から考えてみたことは私はまだありませんでした。では何故蓮は「人を殺せないこと」に苦しんでいるのでしょうか?
考えられる理由の一つとしては、やはり「人を殺せないとライダーバトルに勝ち残れない=恵里を助けることができない」という理由があるでしょう。蓮は恵里を助けるという願いを叶えるためだけにライダーになりました。そして第21話で優衣が言っているように、第11話(記憶喪失になる回、次の回で恵里が昏睡状態にあることを思い出す)ごろから蓮は「人を殺せないこと」に悩むようになっています。おそらくそれには第9話、第10話で真司を意図的に助けたことも関わっているのでしょう。そして第19話では蓮は手塚(自分に?)に向かって戦うことができなければ自分には存在する理由がないと言います。これは自分には人を殺せないことがわかったことに大きなショックを受け変に穏やかになり、自暴自棄になっているから出てきた言葉だと思っていましたが、蓮視点で鑑賞してみて、そうではないのではないかと言う考えが浮かんできました。それは、蓮は神崎士郎からカードデッキを受け取った時から、戦うことができなければ自分に存在する理由はないと思っていたのかもしれない。ということです。
蓮は第37話で一時的に目を覚ました恵里と話しているときに、ライダーになる前は褒められない仕事につまらない喧嘩をしていた。という発言をしています。褒められない仕事とは何なのかはわかりませんが(気になります)蓮の口ぶりから蓮は自分の人生を価値のあるものとは思っていなかったことが感じられると思います。ではそんな蓮に生きる意味を与えてたのは何でしょうか? 私は、恵里の存在であると考えます。つまり、蓮はライダーになる前の普通に毎日を暮らしている時から恵里がいるからこそ、自分に存在する理由を見出していたのではないかということです。蓮の過去や内面はほとんど語られないので想像だけで語ることになってしまいますが、蓮の苦悩は何かを考えるためには蓮の全ての人生の中で恵里がどのような存在だったのかを深く考える必要がありそうです。
蓮は幼い頃に両親を亡くしており、恵里も同じ境遇です(仮面ライダー超全集下に書いていました)。二人がこれほどまでに愛し合っているのは、蓮自身が言っているようにお互いに相手しかいなかったからというのも一つの理由なのでしょう。それも共依存といったような形ではなく、お互いに相手が幸せに生きていることが、一番の願いになる。といった形の愛なのでしょう。
そして蓮は、恵里が昏睡状態に陥り神崎士郎に俺を殺すかライダーになって戦うか、どちらかを選べ。と言われ、戦う方を選びます。この選択には秋山蓮という人間がよく現れていますね。恵里が昏睡状態になる前は恵里に生きる理由を支えてもらっていた蓮は、恵里が昏睡状態に陥ってからは恵里を救うことに生きる理由を見出していたのではないでしょうか(『メメント』の主人公のように)それなら、人を殺せないことは自分に生きる理由がないことになります。ですので、蓮の苦悩の中の一つには「自分に生きる理由がない」という事があるのではないでしょうか。
ガイを追って、蓮と手塚は戦場へ身を投じます。その道中に手塚は蓮を見て「死ぬきか?」と頭の中で考えます。蓮は何も言わずに(考えずに?)ライダーの戦いへと向かいます。蓮はどのような気持ちでガイとの戦いに挑もうとしていたのでしょうか? そして蓮は本当に死ぬ気だったのでしょうか?
結論から言うと、蓮はこの戦いでガイを倒せなければ死ぬ気でいたと思います。なぜならば蓮は自分のために戦っているからです(それは悪いことではありません)。どう言うことかというと蓮は自分が恵里に生きていて欲しいから恵里を助けようとしています。そして蓮の生きる理由は恵里を助けることでしたから、もし、自分が本当に人を殺すことができない(恵里を助けることができない)ことがわかったとすれば自ら死を選んでいたのではないでしょうか。ガイがファイナルベントを発動した時に手塚は蓮の破滅のイメージと今の状況を重ねています。そのファイナルベントは真司がガードベントで庇うことになるのですが、蓮は自分から積極的にガードベントをしたり避けたりはしていません。
そんな中、蓮たちのもとに北岡と浅倉が現れます。そしてみなさんご存知の通り北岡のエンドオブワールドを浅倉がガイを使ってガードベントします。そしてガイは浅倉に倒されます。そんな浅倉を見て蓮は何を感じたのでしょうか? 私は「憧れ」を感じていたのだと思います。第14話を考察した時には蓮は真司に憧れていたのではないかと書きましたが、ガイを殺せなかった後では蓮は「命を尊重する」人間よりも「命を尊重しない」人間になりたいと考えるようになったのではないかと考えます。つまり蓮は自分の願いを叶えるために、人のために戦う真司ではなく、100%自分のために戦っているガイや北岡や浅倉に憧れるようになったのではないか? と言うことです。
追記
今回は想像多めの回になってしまいましたね。ほとんどが私個人の見解なので考察というよりは感想として受け取ってください。愛について書くのは気恥ずかしかったです。愛についての文章は、いくら賢い人が書いたものでも読むのが気恥ずかしくなるような気がします。でも、蓮の苦悩を考えるためには恵里に対する愛を考えるしかなく、恵里に対する愛を考えるにはこのように愛について考えるしかなかったんです。私も恵里さんみたいな人に出会いたいです。
それではまた今度。