原稿はまっったく進んでないんですけど入稿してきました。二度とノンブルやりたくない。
体験をテキストに変換する、それは体験されたことと生成されるテキストとの対応付けであり、対応関係の特殊である。 その特殊な対応、関係性と関係項に媒介された対応付け機構として、ある種の一般性を持ちえる。それ故に、それとして存在しうる。 即ち媒介され、わたしは存続し、あるいは存在する。
傷付くことすら、悲しむことすら許されない(許せない)、これは別に傷付かないわけでも、悲しみを感じないわけでもない。 あえて言うなら、怪我することも痛がることも許されず、もしそれらをしようものならさらに鞭打つようなそんな振る舞いにたとえられるかもしれない。 自分の気持ちを認めたい。
「居場所はさまざまな粒度や階層ごとのアイデンティティ」によって成り立つ。 そして、「個人の経験やイメージは単に集められて全体を構成するのではなく、個々の経験やイメージが社会的・文化的な文脈において既に社会化されているため、その全体像もまた社会的・文化的な要素によって形作られる」。
したいことがわからなくなって、したくないことがたくさんあるだけ
いろいろ気になること、考えていたこと、調査した上での懸念点、不明点とか、まとめるのに時間かかるし、最初から俯瞰的な視点があるわけではないから、何度手間にもなることもある 非効率であることは百も承知だが、外付けのやり方と焦りのある状況だとその非効率さに拍車がかかる。一人になりたい。
最近文学賞に応募する小説を書きまして、もう出す段階にまで来ているんだけれども何かまだモヤモヤしてしまっています。 梅雨のジメジメのせいなのか歳のせいなのかわかりませんが…… ガチャに寄りかかって世迷言を発動してしまいました。 こうやってココロのバランスを取っています。 なんてね
真夜中 世の中 世迷言 上から読んでも 下から読んでも 世の中バカなのよ
「何もできない」、「できることなんて何もない」、本当はそんなわけはないのはわかってる。 けれども、「自分にできることなんて、取るに足らない、何の価値もないこと」だと思われる、思えてしまう方が怖いから、「何もない」と言ってしまう。もう少し「自分にできること」を誇れるようになりたい。
恣意ではなく「自由意志」を対象として見いだすこと、即ち「物件(Sache))」に「合目的性」を付与する活動(合目的的活動)が「労働」である。 「自由」即ち目的(Zweck)の展開、或いは、「人格(Persönlichkeit)、自由意志の定在化」が私有(Eigenzum)である
いわゆる「科学技術」の発展により、人々が単なる消費ではなく、なにかを生み出すために行ってきた(比喩的な意味での)"生産的消費"は、不要になり、消費的消費にいそしむことが「人類」に残された営為となってきた。しかし、"私たち"はこれから、何を消費するかを積極的に生産しなくてはいけない
「未知と既知との境界」とか「人間の在不在」(居合せるか否か)とか、そんなたいそうなものではなく、ただ、そこに居る「わたし」が、「異物」であり、わたしがいるであろう「そこ」が「わたし」に対して疎遠であり、親密さを欠いて「疎外」してくる、その不気味さ、不穏さによりそれが生起してくる。
(仮)自由研究 恐らく、ここで言われている"自由研究"とは、「自由」に題材を「選んで」行う研究(という名の学習課程)ではなく、"自由"(という概念について、また、もしそれが"実現する"という語の目的語たりうるならその実現の可否についてを"自由に")"研究する"営み、プロセスである
「実るほど 頭が下がる 稲穂かな」いい言葉だ。 今の所、実ってもねぇのに勃起の角度だけ下がってきた。
葛藤 (少なくとも私にとっての)困難の多くは、さまざまな葛藤の上に生じている 様々な事柄に引っ張られて進み、その軌跡が勝手に「らしさ」とされる これまで軸、基盤となる関心事により、ある程度一定の方向を向いていたが、今は拮抗する強さで相反す引き合いの上、右往左往、停滞している
「ポジティブ」と「自己肯定感」と自己肯定をはきちがえるな 自己肯定なくして(そんなものがあればだが)自己の判断と選択的行為はありえない
「努力」とか「自己責任」とか、そんな'架空概念'に振り回されなくてよい もちろん(可能な限りで)厳密に定義された、あるいは体系的に規定された上で適用されることもあるだろう だがあなたを傷付け、自己満足のために振りかざされる言葉は、濫用であり、妥当性を欠いたレッテルにすぎない
どうしたのか、どうしたらよいのか 分からない あてどもなく彷徨っている 今まではそれでも(わずかであれ)歩を「進めている」、そういう気持ちで奮い立たせてきたつもりだ しかし、今ではそれすらままならぬ ただ雑多な日常に押し流されている それでも自分に「是」といえるだろうか
わたしとそれがし、あわせてわたがし https://lowch.com/archives/15079
PyMeshLabについてぐぐると MeshLabのGUIツールの使い方がたくさんでてくる こういうとき公式のドキュに頼るしかないし、頼りになるのだが もちろん調べ方が悪いのだが、用途が特化されるにつれて日本語ドキュメントが限られていく 語学も教養もなく今日も疲弊中