【エッセイ】ノルウェイジャン・フォレストキャットとの午後 ~あるいは文章書きのリハビリ~
思うに、人は皆、他人の弱音なんか聞きたくないんだ。
どうなんだよおい、と、相棒のノルウェイジャン・フォレストキャットが宣う。
本日ガチャガチャで縁を結んだこのゴージャスにしてボリューミィなキャットは、冷めた挑発的な目で見つめてくる。
対人的な会話を行うたびに、そういう人間の本質的な部分を垣間見てしまう。そうしてちょっとだけ傷ついている私に、この猫は非生物である身をものともせず核心を見よと迫る。
私は今、人生でこれ以上はないと言ってもいいほど弱い。
けれど周囲は、「弱いところを見せるな」「我々はそんなお前を見たくない」とでも言うかのように、たしなめてくる。少なくとも、そうされているように感じる。
この世界で生きていくには、弱いところを見せてはならないのだろうか。弱音を吐き、泣き言を言う人間を世間は嫌う。空元気でも「大丈夫さ」と言って笑っている存在の方が、世間には歓迎される。
何故ならみんな、本質的には弱いからだ。弱音を聞くと本能的に忌避したくなるのは、自分自身の弱さを見せつけられるような気がするからだ。あるいは、忘れている気になっている弱さを、思い出させられるからだ。
そう考えてみると、本当に自分の弱いところを見せられる相手、その弱さを受け止めてくれる相手というのは、案外貴重なのかもしれない。
それが今の私にとっては、このキーボード上に陣取って私がタイプするのを眺めているガチャのキャットだ。無機質な物体であるはずのこの造形物は、近年の技術向上のおかげでやけに細部までクオリティー高く仕上がっている。その為なのか、見つめていればいるほどその表情や毛流れに生命の息吹を感じるような気さえしてくる。
ノルウェイジャン:「初めて見たけど、カチャカチャカチャって……。お前こんなことやるんだね。面白いじゃない」
時に、造形物は話しかけてくることすらある。
その小さな声に、私はココロを救われるのだ。
何か悲観的になってしまった梅雨の午後、世迷言を発動してしまいました。
ガチャのキャットは心強い相棒です。
*何故ガチャにハマったかは、エッセイ『沼です。笑ってやってください。』に書いてます。よろしければ読んでみてください。 ( ´艸`)
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