ル・クレジオの言葉、圧倒的な自然のイマージュ。人生において探究者であることができた美しい冒険時代が、人の歴史によって否応なく変貌させられる絶望、冒険の終わり。奇しくも仏語では研究者もChercheur/seという。彼が探し求めたものは決して黄金ではない、「大切なもの」であるはず。
ル・クレジオのいう思想の種子や胞子はもうひとつの遺伝子meme(文化的遺伝子)ともいえる。ミーム理論は様々でまるでウイルスのように扱うものもあるが、あくまでもユマニスムに関わるもの、種を蒔くこととして、誰かの心に希望が芽吹くようなミームを綿毛のように飛ばし続けられたなら、と願う。
ル・クレジオ、みたび。もし彼の言う通りなら、内省的になった20歳の事故以後の人生、全てはながい最終章のようだ。けれど記憶に穴が空き、進まない時間も、白紙のままの章もある。階段を一段ずつ上るように、順序よく章立てて語ることのできる人生という物語を有する人々が羨ましく、眩しくもある。