モディアノ/ル・クレジオ各一編。
筆者はパトリック・モディアノ作品を読もうと、ここしばらく頑張った。
その成果は、短編を一つ読んだきり。やれやれである。
作品は「家族手帳」。安永愛氏訳。
「一昨日生まれたばかり」の娘を持つ「僕」。
彼は「家族手帳」を「めくりつつ」「偽名で載っている」父親について思いを巡らす。
「父と母は一九四四年二月、ムジェーヴで何をしていたのだろう。」
(このあたりの描写はモディアノ氏の実体験に即しているようだ)
その後、「僕」は「大通りに路上駐車してある」「コロマンデの車を見つけ」る。彼は「父の青春時代の友達」だ。
「その深いとても優しい声、"r“の巻き舌に聞き覚えがあった。」
それから二人は「(注:「僕」の)娘の出生届を役所へ提出しに行く」約束をする。
しかし、「コロマンデの車は(注「僕」の目に)昨夜よりも一層ポンコツに映」る。
読者としては、すでに嫌な予感がする下りだ。
そして案の定、「信号は三回変わった」のに「コロマンデは出発しようとしな」い。
その後も「赤信号を無視」「危ういところで車を一台かわ」す、
「『方向は確かですか?』と(注:「僕」は)コロマンデに尋ねた。
『いや、ちがうな』」
そして「またしても赤信号を無視した。」
と、「僕」はさんざんな目に遭う。
二人はやっとの思いで「戸籍課」にたどり着く。
「係員は三人」。彼らはそれぞれ「臆病さと脅迫的な感じとがまじっ」た口調、「とげとげし」い声色、「しかめ」面を有している……
―つまり、「我々の闖入(ちんにゅう、突然入り込むこと)は最悪の事態であったのだ。」
その後も「あの、万年筆はありませんでしょうか……」と「僕」は聞き、「髭の係員は呆然とした様子だった」、
さらに
子供に「この名前を付けることはできません」「フランスの聖人歴にこの名前はありません」
と、彼の娘を巡る手続きは難航する。
と、ここでコロマンデが「秘密を暴くかのようにささや」く。
「これは、この人の代母の名前だったんです」
「それなら、特殊事情ですので、話は別ですね」
こうして娘の名前は
「ゼナイドで良しと」なる。
そして最後。
「髭の係員はとても優しい、ほとんど父親のような眼差しで僕を見ていた。」
この印象が逆転する描写はわざとらしさがなく、静かで、何より温かみがある。
そして、過去の―「僕」の父を巡る記憶の―話が始まり、コロマンデは「僕」の父との思い出を明かし、「僕」の感慨で短編は終わる。
「結局、僕たちは今しがた、何かの始まりを共にしてきたわけだ。この小さな女の子は、いわば僕たちの希望の星なんだ。そしてこの子は、いつも僕たちの目の前から逃れ去ってきた、あの実に不思議な宝を一発で受け取ったわけだ。つまり「戸籍」を。」
この説明では伝わりきらなかったと思うが、カポーティの短編を読んだような、「フェアリーテイル」の感覚を味わえる作品だった。
静かな幸福感がある。
みなさんもぜひ、と言いたいが、私が読めたモディアノはこれっきりだ。
ル・クレジオも一作が限界だった……
「海を見たことがなかった少年」
ダニエルという少年がある日姿を消す。彼は海を見に行ったのだ。騒ぎになるが、彼は相変わらず見つからない。
月日が経つ。彼の存在は他の少年たちにとって美しい幻想となる。
いわば「永遠の少年の象徴」―それがダニエルである。
ただ、海を見に行ったダニエルがタコだの貝だのと戯れる下りは(筆者には)長すぎた。
ここが大切な下りなのは分かるが、私の心は少年の美しさに酔うには、世間の荒波と排気ガスで汚れすぎているのだ。悲しいものだ。