三島由紀夫「肉体の学校」「複雑な彼」
三島由紀夫の通俗小説に、今さら読む意味を見出す人間はほとんどいないだろう。
実際筆者が単なる物好き/マニア的な興味から読んでいると言われても文句は言えない。
ただ、改めて言えば1963年発表の「肉体の学校」及び1968年発表の「複雑な彼」は、どちらも小説の技法として小慣れてスマートであり、一種「消耗品」としての美しさを保っている。
そう、筆者は思うが、「百年残る文学」などいう大義名分を掲げたときから文学は駄目になった。消耗品で結構、羽より軽い虚構で結構。その軽さが思いがけぬ何