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長谷部浩の俳優論。

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歌舞伎は、その成り立ちからして俳優論に傾きますが、これからは現代演劇でも、演出論や戯曲論にくわえて、俳優についても語ってみようと思っています。
劇作家よりも演出家よりも、俳優に興味のある方へ。
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記事一覧

 【劇評352】苛酷な現実に向かい合う演劇の想像力。『Someone Who`ll Watch Over Me〜私を見守ってくれる人〜』。

【劇評352】苛酷な現実に向かい合う演劇の想像力。『Someone Who`ll Watch Over Me〜私を見守ってくれる人〜』。


世界の現実を見つめる

ウクライナやガザ地区での紛争を受けて、苛酷な状況にいる人々を私たちは、映像や報道を通じて毎日見ている。双方の陣営に少なからぬ捕虜がいて、その救出は家族にとって、どれほど重大な問題であることか。

 捕虜の今、置かれている状況は、どれほど残酷なものなのか。理念としては理解していても、私たちは、その現実から目をそらしてはいないか。

 一九九二年にフランク・マクギネスによって

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池谷のぶえ藝の冴え

池谷のぶえ藝の冴え

 特異であることが、すなわち自然であること。

 あるいは、どこにもいずはずもない人間が、どこかにいるはずの人間に見えてくること。

 野田秀樹作・演出の『正三角関係』で、池谷のぶえが演じたウワサスキー夫人は、俳優であることのパラドックスをよく体現していたように思う。おしゃべりで、おせっかいなおばさんと見えたところが、劇が進むにつれて、巨大な陰謀の黒幕のようにも見えてくる。なぜ、こんな謎めいていて

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【劇評351】俳優、峯村リエへの巧みなオマージュ。『ミネムラさん』の慈愛あふれる世界

【劇評351】俳優、峯村リエへの巧みなオマージュ。『ミネムラさん』の慈愛あふれる世界

 

注目の劇作家

今、注目の三人の劇作家、笠木泉、細川洋平、山崎元晴が、俳優、峯村リエのために、新作を書き下ろす。ここまでは、例がないわけではないと思うが、全体のタイトルが『ミネムラさん』となれば、虚実が入り交じった演劇の本質に斬り込むのではないかと期待された。

 こうした予想を覆すように、劇壇ガルバの主宰山崎一と演出の西本由香は、さらに智慧を絞って、企画・構成にひねりを加えた。当日、受付で

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【劇評350】『妹背山婦女庭訓』と『勧進帳』。藝を後世に手渡す舞台

【劇評350】『妹背山婦女庭訓』と『勧進帳』。藝を後世に手渡す舞台

播磨屋と秀山祭

 時が過ぎるたびに二代目吉右衛門の役者としての大きさが胸に迫る。

 秀山祭九月大歌舞伎の夜の部は、歌舞伎の代表的な演目が並んだ。なかでも、『妹背山婦女庭訓』の吉野川は、仮花道を使った劇場そのものが桜満開の吉野を写す。重厚な義太夫狂言だけに、そうそう出せる演目ではない。

 歌舞伎座の立女形として重い位置にある玉三郎が、あとに続く役者のために、歌舞伎のあるべき姿を示す舞台となった

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【劇評349】観客の心を熱くする歌舞伎役者。尾上右近の「研の會」の達成

【劇評349】観客の心を熱くする歌舞伎役者。尾上右近の「研の會」の達成



 歌舞伎を観て、心を熱くした
 自主公演も第八回を数える。尾上右近による『研の會』は、大阪、東京と二都市でそれぞれ二日、昼夜四公演だから、熱烈に支持する贔屓が、右近を後押ししているとわかる。その期待にきっちりと応えていくだけの技倆と熱意が備わっている。

出にたちこめる過去

まずは、『摂州合邦辻』。右近によって、人間の業をめぐる芝居だとよくわかる。花道の出から、堂々たるものだが、夜の道をひと

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野田秀樹は、なぜ唐松富太郎を花火職人としたのか。

野田秀樹は、なぜ唐松富太郎を花火職人としたのか。

 

俳優と役柄 

やくざと兵隊

日本人の男優は、やくざと兵隊を演じさせるとうまい。そんな警句は今でも流通しているように思う。

 日本の映画界は、長くヤクザ映画や戦争映画を量産しつづけてきたから、俳優の思想的な背景とは直接むすびつかないにしても、やくざや兵隊を演じる機会が数多く与えられたのは事実だろう。やくざも兵隊も、その言動は様式に縛られていて、その定式をはずなさければ、「それらしく」見え

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舞台で主演する資質とはなにか。

舞台で主演する資質とはなにか。


男優の資質  野田秀樹作・演出の『正三角関係』で、松本潤は、堂々たる厚みで舞台を支配していた。松本には、スターとしての帝王学がそなわっているからだというのでは、理由を解明したことにはならない。まぎれもなく松本は、野田秀樹の舞台の主役ととして、揺るぎなく舞台にいた。
 私はかつて友人たちと交わした会話を思い出していた。

 昨年の冬だったろうか、気の置けない友人たちと、神保町の新世界飯店で夕食をと

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【劇評348】篠井英介の富姫が『天守物語』をふたたび現代に召喚する。

【劇評348】篠井英介の富姫が『天守物語』をふたたび現代に召喚する。


初演からの歴史

 意欲的な快作を観た。

 篠井英介の富姫による鏡花の『天守物語』(構成・演出桂佑輔)である。今回は、『超攻撃型〝新派劇〟天守物語』と題している。あえて、〝新派劇〟と名乗ったのには、理由がある。この芝居は、長く舞台にのらず、読む戯曲(レーゼドラマ)と思われてきた。昭和二十六年になって、ようやく新派によって初演されたからだ。このとき、鏡花はこの世から去っていて、初演の舞台を観てい

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【劇評345】法廷劇に巻き起こる風。野田秀樹作・演出『正三角関係』。

【劇評345】法廷劇に巻き起こる風。野田秀樹作・演出『正三角関係』。

 『正三角関係』には、何が賭け金となっているのだろう。
ずいぶん以前、夢の遊眠社解散のときに、野田秀樹の仕事を概観して、「速度の演劇」と題した長い文章を書いた。今回の舞台は、まさしく役者と演出とスタッフワークの圧倒的な速度を賭け金として、日本の近現代史のとても大切な結節点にフォーカスしている。
 舞台写真にあるように、色とりどりのテープ、球、蜘蛛の糸などが、大きな役割を果たしている。

年齢を重ね

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【劇評343】趣向の夏芝居で観客を沸かせる幸四郎。進境著しい巳之助と右近。

【劇評343】趣向の夏芝居で観客を沸かせる幸四郎。進境著しい巳之助と右近。

 趣向の芝居である。
 七月大歌舞伎夜の部は、『裏表太閤記』(奈河彰輔脚本 藤間勘十郎演出・振付)が出た。昭和五十六年、明治座で初演されてから、久し振りのお目見え。記録によれば、上演時間は、八時間半に及ぶ。私はこの公演を見ていないが、演じる方も、観る方も恐るべき体力が必要だったろう。

 二代目猿翁(当時・三代目猿之助)が芯に立つ。猿翁は、スピード、ストーリー、スペクタクルの「3S」によって、復活

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 【劇評342】文学座の『オセロー』は、滑稽で愚かな現代人の鏡となった。

【劇評342】文学座の『オセロー』は、滑稽で愚かな現代人の鏡となった。

 鵜山仁演出の『オセロー』(小田島雄志訳)は、滑稽にしか生きられない現代人のありようを写している。

 イアーゴの巧みな計略によって、ムーア人のオセローが嫉妬に燃えて、妻デズデモーナを殺害する。この筋は、現代においては、悲劇ではなく、滑稽な惨劇になってしまう。
 シェイクスピアのメランコリー劇だからといって、荘重に演出するのではない。SNSのなかで、興味本位にいじられるスキャンダルに、人間の愚かさ

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花組芝居の『レッド・コメディ』を観ながら、思い浮かんだ感想いくつか。

花組芝居の『レッド・コメディ』を観ながら、思い浮かんだ感想いくつか。

 さしたる根拠がないので、劇評には書きにくいことがある。

 今回の『レッド・コメディ』は、『一條大蔵譚』の長成が、意識されているような気がしてならなかった。加納幸和演じる葵は、桂木魏嫗として歌舞伎の舞台に立っていたとき、硫酸による暴行に巻き込まれた。本作のほとんどは、東新聞社主の田岡の庇護のもとに、狂気を癒やしているという設定になっている。

 狂気といったが、加納が演じる葵は、実にわがままいっ

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【劇評341】細川洋平は、俳優と観客の顕微鏡的な関係を再構築する。

【劇評341】細川洋平は、俳優と観客の顕微鏡的な関係を再構築する。

 細川洋平が、ほろびての初期作品に改訂を加えて上演した『Re:シリーズ『音埜淳の凄まじくボンヤリした人生』』は、「ボンヤリ」観ることを許さぬ緊迫した舞台となった。

 冬である。登場人物たちは、熱いコートやマフラーをして、下手の扉から登場する。中年の音埜淳(吉増裕士)は、息子の大介(亀島一徳)と、気の置けない父子のやりとりをしている。上手の机に置かれたラップトップコンピュータに向かっている。

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【劇評340】加納幸和にとって「赤姫」は、人生そのものだった。

【劇評340】加納幸和にとって「赤姫」は、人生そのものだった。

 赤姫という言葉がある。

 歌舞伎好きには、何をいまさらといわれそうだけれど、役者には、得意の役柄があり、「仁にあっている」と呼ばれたりする。女方の役柄は、姫、娘方、世話女房、武家女房、女武道、傾城、遊女、芸者、悪婆、婆、変化などに分類される。
 なかでも、姫は、女方の精華であり、主に時代物に登場するお嬢様で、恋に身をゆだねる役が多く、緋綸子または緋縮緬の着付なので「赤姫」と呼ばれることもある。

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