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誠実であるためには、悩み続けなければならない
「正しい」とは何なのだろうか、と考える機会が増えた。
自分にとっては正しく見えることも、他の人にとっては間違いに見えたりする。SNSがその違いを可視化させたことで、自分が信じてきたものは本当に正しいのだろうかと揺さぶられる機会が増加したように思う。
一般的に、悩んだり迷ったりすることはネガティブに受け取られることが多い。そんな時間があったら行動した方がいい。何があっても信念を貫くことで人はつい
2021年にする6つのこと
2020年をひとことで例えるなら、「いちごの乗っていないショートケーキ」。
いちばん楽しみにしているものがないと分かりながら、食べ切っても満足感がないと諦めながら、ケーキをくるくる回したり、美味しい紅茶をいれてみたりしながら過ごしました。
毎日にこにこしながら中指をたてて過ごす生活でしたが、2021年は最悪の事態になって迎えるのが初めてではない分、まだましな年になると思っています。本当に、やん
” 上手く生きられない ”っていうのが ” 生きてる ”ってことだ
人間向いてないなぁと思うことが何度もあるので、前世は猫だったのかもしれない。
大晦日に何言ってんの?って思われるかもしれませんね。
でも大晦日だからこそ、したい話があります。
人間向いてそうな人って、多分前世も人間だったと思うんですよね。
一度人間を経験してるからなのか、なんかこう、要領が良いというか。
そういう人いるじゃないですか。集団の場にすぐ馴染めたり、仕事を効率よくこなしたり、
人生は、意思とたまたまでできている
はたらくってなんだろう、と考えられるようになったのは、30歳を過ぎてからだった。
わたしが18歳のときに父親が病に倒れ、そこから4年間は介護をしながら入院費を稼ぐために働いた。父が亡くなってすぐ、23歳で子供を産んで、そこからはシングルマザーとして、生活費と子どもの学費のため、母の生活費のために働いた。
当時のわたしにとって、仕事は、困らないようにお金を稼ぐ手段でしかなかった。
介護中も子育
“母は強し”の裏側は #今日もLINEからつながる
「女は弱し、されど母は強し」というのは、『レ・ミゼラブル』を書いたヴィクトル・ユーゴーの言葉である。
“母は強し”。
恥ずかしながら、友人や姉など身の回りの「母ではない人」が「母になっていく過程」を目の当たりにするまでは、この言葉になんの違和感もなかった。母、イコール強い。それは1+1=2くらいの常識であるような、言うまでもない当たり前の事柄であるような、そんな気分だったように思う。
けれど
かわいくなりたい理由は壮大
「美容院に行くとき、君はいつも楽しそうだね」と夫は言う。
あたりまえだ。わたしは、こう願いながら美容院に行くのだから。
「生まれ変わりに行く。わたしの世界を変えるんだ」。
*
日々に溢れる“生まれ変わる瞬間”に、これまで何百回と救われてきた。宇宙が生まれてから今の今まで、時間は一本の川の流れのように絶え間なくぬるぬると進んでいるはずだが、不思議なことに人間にだけは“区切り”がある。年末年始、
上手な責任転嫁のススメ。がんばれない自分を責めないためのコツ。 by夏生さえり
「雨の日だけど、ピクニックに行きたい」なんて荒唐無稽なことを言う人はいない。なにを急に? と思ったかもしれないが、ちょっと一緒に考えてほしい。雨の日ピクニック。ふむ。映画に出てくる、ワガママで突拍子もないことをしては周囲を振り回し、ん”ん”ん”超迷惑…だが…そこがキュ〜〜〜ト!!!!!という主人公ならわからないが、普通の人は、まあしないだろう。雨の日にピクニックを決行することが、どれだけ無理難題か
もっとみる誰かの言葉に呪われない
まだ社会がこんな状況になる少し前、前の職場の人と飲みに行った時のことだ。
ちょうど1年ほど前に私はその会社を辞めたのだけど、職場の人たちとは結構仲が良くて、今でも飲みに行ったり遊びに行ったりする。その日も定期的に飲みに行くメンバーで予定を合わせていたのだが、直前になって一人から連絡がきた。
『Iさんも誘っていいですか? 来たいって言ってて』
Iさんというのは、私のひとまわり年上の女性社員だ。職
ひとりでも、ふたりでも、どっちでも
毎日、普通に暮らしている。
実家で暮らしていた学生のときも、知らない土地で就職してひとり暮らしをはじめたときも、もちろん、結婚した今も。
なにも事件は起きない、事件が起きたとしても、たぶん気づかない。
気づいたとしても、さして気にならない。
気にせずに過ごしていたら、そのうちなんとかなっている。
なんとかなった頃には、きっと笑い話になっている。
ただ、日々の流れに身をまかせるだけの、ごくありふれた