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誰かの言葉に呪われない

まだ社会がこんな状況になる少し前、前の職場の人と飲みに行った時のことだ。
ちょうど1年ほど前に私はその会社を辞めたのだけど、職場の人たちとは結構仲が良くて、今でも飲みに行ったり遊びに行ったりする。その日も定期的に飲みに行くメンバーで予定を合わせていたのだが、直前になって一人から連絡がきた。

『Iさんも誘っていいですか? 来たいって言ってて』

Iさんというのは、私のひとまわり年上の女性社員だ。職場で顔を合わせれば雑談を交わすくらいには良好な関係だったけれど、個別に連絡を取り合うほどではなかったので、辞めてからは1度しか顔を合わせていなかった。会いたいかときかれれば、正直に言うと「どっちでも」くらいの温度感の相手だった。
でも、「来たいって」って、それもう声かけてるじゃん。「NO」の選択肢ないけど。苦笑して『わかった』と返事をした。

当日、私の会社近くの居酒屋。最初は近況報告やお互いの仕事の愚痴なんかを話していたのだけれど、おもむろに私を見つめ、Iさんは言った。

「満島さん、Kさんのこと大変だったのに、気づかなくてごめんね」

え? と、あっけにとられた。なんで今になってそんな話?

私が会社を辞めたのにはいくつか理由があるのだけれど、その中で一番ネガティブな原因が「部長のKさん」だった。
Kさんは普段は温厚なのだが、自分と合わない意見が出ると頑なで強い口調になり、相手を根本から否定して抑えこむという、いわゆる「パワハラ」の人だった。私も二度ほどそういう目にあって、「いかにKさんと正面衝突しないか」を念頭に置いて仕事をしていた。
私だけでなく、Kさんの部の人間はみんな同じように叩き潰されたことがあるので、「Kさんがヤバい」ということは共通認識だったし、私が辞めた原因の一つがKさんであることも、みな理解していることだった。

とはいえ1年も前の話だ。思い返せば腹が立つが、もう関わることもない相手だと思っていたから、今になってそんな風に言われて驚いてしまった。
でもまあ、気を使ってくれたのだなと、「ありがとうございます。でも別に今は関係ないし気にしてませんよ」と軽く返した。
けれどもその飲み会中、Iさんはたびたび似たようなことを口にした。
「助けてあげられなくてごめんね」「Kさんのことそんなにつらかったって思わなくて」

最初は「心配してくれてるんだな」と単純に捉えていたのが、繰り返し言われるたびにだんだん疑問が生まれてくる。
なんでこの人は、こんなにこの話題を蒸し返してくるんだ?

辞めた原因の一つは確かにKさんだけれど、キャリアアップしたかったとか、自分の実績らしきものができて転職活動でも通用しそうだったからなど、別の理由もあった。
それに、さっきも書いたように、私一人がKさんから攻撃されていたわけではない。それこそIさんだって例外ではなく、何度かKさんと衝突しているのを知っている。
だから、どうして彼女がここまで私は心配してくるのかわからなかった。釈然としない気持ちでいたら、また言った。

「本当にごめんね。私、自分がああいう人あんまり気にならないから、そんなに嫌な思いしてると思わなくて」

そこで、バチっと回路がつながったように理解した。
“あなたがそんなにつらかったって思わなかった。だって私は平気だったから”
ああ、そういうことか。
この人は、私に「かわいそう」でいてほしいのか。
それに気づいた瞬間、反射的に「いや、やりたいこともあったし、遅かれ早かれ辞めてたと思いますよ」と強く言い返していた。
でも、すぐにその気持ちはひっこめた。この人とやり合っても意味がない。
飲み会の最後、みんなで「また会いましょう」と言い合ったけれど、私はひとり駅のホームを歩きながら、Iさんにはしばらく会わないでおこう、と決めた。

*

“気がつけなくてごめんね”

よく耳にする言葉だ。一見、気づかいにあふれた優しい言葉に思える。
でもIさんこれをずっと言われ続けたら、私はどうなっていただろう。
「私はかわいそう」「私はつらかった」「私は不幸」
自分のことを、そんなふうに思うようになっていたんじゃないだろうか。
「不細工だね」と言われ続けた人が自分を不細工だと思い込むように。
「馬鹿だ」と言われ続けた子どもが自分を馬鹿だと決めつけるように。

言葉は簡単に呪いになる。
誰にだって、棘のように刺さって抜けない言葉の一つや二つあるだろう。言葉を使って生きている以上、その影響から逃れることはできない。
私だって誰かの言葉に呪われてきたし、私が何気なく発した言葉が誰かの呪いになっていることだってあるだろう。意識して、人を呪って言葉を使ったこともある。
人は言葉で簡単に人を呪えるし、呪われる。藁人形や呪力なんか必要ない。

“気がつかなくてごめんね”
繰り返されるIさんの言葉。これは呪いだ、と思った。

Kさんから逃げた私と、今もこの先もKさんと仕事をすることを選んだIさん。
彼女からすれば、私が「耐えられないほどつらくてかわいそう」であってくれたほうがいいんだろう。逃げなかった自分が「まだ大丈夫」であることを確かめるために。
彼女の中で、私が「かわいそうな人」であることで、Iさんが今の場所で生きやすくなるのは別に構わない。
でも、現実の私までそれに付き合う気はない。

「自分の幸せは自分で決めろ」というフレーズがあるけれど、不幸だって同じことだ。
この先の人生で、私が不幸になることは当然あるだろう。
でも、私は誰かに押しつけられて不幸にはなりたくない。何が私を不幸にするかは自分で決めたい。自分が納得した不幸だけを引き受ける。
なのでIさん、「かわいそうな満島さん」は、あなたの頭の中だけで、どうぞ。

*

言葉を使う社会で生きている以上、言葉の力から完全に逃れることはできない。でも、言葉の呪いを回避する方法はある。
それは「自分で考える」ということだ。「自分で決める」ということだ。投げかけられた言葉が正しいのか、それを真正面から受け止めるべきなのか、頭を使って判断することだ。
お金も、道具もいらない。「考える」というのは能力かもしれないけど、訓練すれば誰だってある程度身に着けることができる。

だからどうか、簡単に影響されないで。
いまこうして私は言葉で書いているけど、この文章だって簡単に鵜呑みにしてほしくない。
考えて、疑って、比較して、納得してから呑み込んでほしい。
納得できないなら受け入れなくていい。
好きも、嫌いも、幸福も不幸も。
自分で選んで決めてくれ。
全部、自分で決めていいんだよ。


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満島エリオ
ハッピーになります。