ひとりでも、ふたりでも、どっちでも
毎日、普通に暮らしている。
実家で暮らしていた学生のときも、知らない土地で就職してひとり暮らしをはじめたときも、もちろん、結婚した今も。
なにも事件は起きない、事件が起きたとしても、たぶん気づかない。
気づいたとしても、さして気にならない。
気にせずに過ごしていたら、そのうちなんとかなっている。
なんとかなった頃には、きっと笑い話になっている。
ただ、日々の流れに身をまかせるだけの、ごくありふれた、普通の暮らし。
ひとりの生活も、それはそれで。
わたしは普通に暮らしながら、存分に楽しんだ。
誰も咎める者がいない、独り占めの毎日。
自分だけの布団で、どんなに広がっても、どんなに暴れても、好きなだけ眠れる。
ごはんだって、テキトーでいい。
食べたって、食べなくたって、わたしの意志だけで決められる。
パン屋さんで買ったシナモンロールも、クロワッサンも、ガーリック明太も、全部わたしだけのもの。
深夜のラーメンに苦言を呈するのもわたしの中のわたし、寝る前のアイスを許してくれるのもわたしの中のわたし。
仕事に行く道すがらに視界に飛び込んでくる桜並木の美しさも、お風呂上がりに濡れた髪のままベランダに座り込んで飲む缶チューハイの喉越しも、疲れた体を引きずって乗り込んだ電車の窓から見える紅葉の鮮やかさも、ポケットに手を突っ込み首を縮こめて寒さに耐えながら歩く冬の夜の静けさも、わたしだけの世界の楽しみ。
悩み事だってわたしひとりで解決してやれる、泣き顔だって誰にも見られることはない。
寄り道して買うミスドも、一目惚れして買うワンピースも、コンビニで見つけた新商品のカップラーメンも、全部わたしのため。
髪を切って鏡の前でご機嫌になる時間、ふと思い立って遠くまで行ってみようと自転車のペダルを思い切り踏み込む瞬間、眠れずにインターネットを徘徊する夜、わたしはわたしのために時間をつかう。
ひとりの、自由で、自己責任の、ありふれた普通の暮らし、万歳。
ふたりの生活も、これはこれで。
わたしたちは普通に暮らしながら、存分に楽しんでいる。
朝起きたときに感じる、隣の温度。
「どんな風に寝たらそんな頭になるの」と、ひどい寝癖を笑う声。
シングルベッドひとつできゅうきゅうになりながら、ふたりで寝てた日々があった。
引っ越してシングルベッドを2つくっつけて広くなっても、結局片方のベッドは冷えたまま、一緒に眠る毎日。
先に寝ている夫の隣にそろそろと入ると、寝ぼけながら引き寄せてくる腕。
先に寝ていれば、やさしく顔を撫でられる感触。
パン屋さんでの「しょっぱいパンと甘いパン、どっちにする?」といういつもの質問に対する、「しょっぱいパンと甘いパン、ひとつずつ」といういつもの返答。
深夜にラーメンを食べようとすれば「こんな時間に食べたら太るよ!」という厳しい声、寝る前のアイスを食べようとすれば「今日だけ特別ね」という背中を押してくれる甘やかす声。
どちらも、わたし以外から発せられる声だ。
満開に咲いた桜の下で「去年も一緒に見たね」と話しながら食べる、イベント価格でちょっと高いのに普通の味のぜんざい。
汗だくになって入ったカフェでアイスティーをがぶがぶ飲んでいるわたしを見て「君はほんとうに暑さに弱いねぇ」と言う夫。
「松尾大社に行ったのはいつだっけ?」「3年前かな? たしか…」と、何度も一緒に見てきた紅葉の答え合わせ。
もこもこに着込んでいるのに、寒さに震えている夫を見て「あなたはほんとうに寒さに弱いねぇ」と言うわたし。
4分の1だけもらう焼き芋、一口交換する醤油ラーメンと味噌ラーメン、500mlの缶チューハイはわたしの方が多め、ピノはきっちり半分こ。
不格好に焼けたほうのハンバーグはわたしが、ふたりで1つの傘をさすときに肩が濡れてしまうのは夫。
繋いだ手をポケットに突っ込んだときの狭くてやさしい小さな空間、鼻歌泥棒はお互いさま、家の中ですれ違うときの下手くそなダンス、「なんてラブラブな夫婦なんだ…!」「こんなにも仲良しの夫婦はきっと他にいないよね…」という茶番劇。
心配性な夫が落ち込んでいるときは「そんなことで悩んでるの?!」と背中をバシバシ叩いて、「おいしいもの食べてたくさん寝たら治るよ!」という荒療治をしてやる。
わたしが悔しくて仰向けになって大泣きしているときは「豪快に泣くねぇ、そこまで出し切れるなんて大したもんだ」と感心してくれる。
寄り道して買うミスドはふたり分、「かわいいから」と買ってくれたマフラー、「かわいいから」と買ってあげた帽子。
髪を切れば、鏡を見る前に「かわいいかわいい」と褒められる。
突然思い立って深夜にびっくりドンキーに行き、お腹いっぱいの状態でストーブの前で毛布にくるまって転がるデート。
歩いて30分のところにあるおいしい蕎麦屋さんまでの道のりで何を食べるかずっと思いを馳せるデート。
発車時刻の10分前に一緒に急いで飲むドトールのコーヒー。
布団の中で「眠れないからなんか子守唄を歌ってよ」と言うと、小さく聞こえてくる、くるりの『さよならリグレット』。
「今から帰るね」「夜ごはんは何食べたい?」という、毎日のやりとり。
求めたときにくれる全肯定、抜け出したいときにくれる正論、垂れ流したいときにやってもいい王様の耳はロバの耳。
それぞれの暮らしの重なり、時間の共有の中で成り立つ自由、お互いを尊重しながらの共存、万歳。
ひとりも楽しかった。
でも、ふたりも楽しい。
いつだって変わらない、なんてことない日常、当たり前の生活。
この当たり前が、ずっとずっと当たり前でありますように。
当たり前が続くように、当たり前に楽しみながら、ずっとずっと努力できるわたしたちでありますように。
このnoteは、BRILLIANCE+と開催する「 #あなたに出会えてよかった 」投稿企画の参考作品として、主催者の依頼により書いたものです。