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#古典がすき

古典がすきだと感じたエピソード、学習の記録、勉強法など、古典にまつわる投稿を募集します!

急上昇の記事一覧

「己には秋を、人には春を」

律己宜帶秋氣, 處世宜帶春氣。 己を律するには宜しく秋の気を帯ぶべし。 世に処するには宜しく春の気を帯ぶべし。 ――清・張潮『幽夢影』 📖

「理解する心、思いやる心」

處富貴之地,要知貧賤的痛癢。 當少壯之日,須念衰老的辛酸。 居安樂之場,當體患難人景況。 處旁觀之地,要知局内人苦心。 富貴の地に処れば、要ず貧賤の痛癢を知るべし。 少壮の日に当たりては、須らく衰老の辛酸を念うべし。 安楽の場に居れば、患難の人の景況を体すべし。 旁観の地に処れば、要ず局内の人の苦心を知るべし。 ――明・鄭瑄『昨非庵日纂』 📖

「馴染めない」ではなく「馴染まない」ことのススメ(『荀子』不苟篇)

今回の言葉【意味】 君子は交流しやすいが、慣れ親しむことは難しい 会社や学校などの組織に所属していると、多かれ少なかれ、派閥のようなものに遭遇します。 組織によっては派閥間で対立があったり、上下関係のようなものができていたり。 一人で穏やかに過ごしたい人にとっては、なかなかに厳しい環境です。 特に、優しく真面目な人であるほど真剣に悩んでしまい、あちらを立てればこちらが立たず、という状況にストレスを感じてしまうことでしょう。 自分の心に嘘をついてどちらかの派閥に属し

「天地の一沙鴎」~さすらいの詩人杜甫

「旅夜書懷」(旅夜書懐)                             唐・杜甫 細く柔かな草がそよ風に吹かれて揺れる岸辺、 高い帆柱のもと、独り眠れぬ夜を過ごす一艘の舟。 夜空には星が降るように垂れ、平野はどこまでも広がり、 川面に湧く月影を浮かべながら、大河は遠く流れていく。 しがない詩文で世に名を立てることなどできるはずがない。 役人として活躍したくとも、老いて病弱ではそれも望めない。 飄々と風に流される我が身、いったい何に似ているだろう。 天地の間をさすら

徒然草の大根侍の話を読んで大根をよく食べるようになった|大根の恩返し

物価上昇が激しい今日この頃。 それでも週に一度の特売日に必ず買うのが大根。 通常1本398円の大根が198円で売られている。 大根を買うたび夫に「また大根だ」「冷蔵庫から大根なくならないね」と毎回言われるほど大根は我が家で食べられている。 旬だから食べる、というわけではない。 実は夏でもよく食べる。 夏はもちろん高め。それでも買ってしまう。 なぜこんなに大根を食べるのか。 それは、高校時代に国語の授業で読んだ「徒然草」の影響が大きい。 徒然草 第六十八段 世の

休日に読みたい日本古典(250216)

シゲクです。 「日本古典は難しそう」と思いがちですが、様々な作品の原点になっているものも数多くあります。 休日にこそ「日本古典」を読んでみてはいかがでしょうか。 今回は、この辺で失礼します。

いまさら「源氏物語」

 いまさらですが、「源氏物語」を原文で読んでいます。円地文子訳は読んだことがあるのですが、昨年の大河ドラマ「光る君へ」の影響もあり、原文に挑戦してみようと思い立ちました。黙読では内容が頭に入って来づらくなったので、一文一文、声に出して読みながら。  主語のない文が多いため、敬語から主語を考えなければならず、古文の授業でも難物とされますが、声に出して読んでみると心地よいリズムが感じられ、内容が自然と頭に入ってきます。  季節や色彩、宮中のしきたりなどの描写が細やかで美しく、品

楚の成王、晋の文公の徳を賞賛する。左伝僖公二十三年。城濮の戦で晋に敵対したはずの楚王は文公の流亡時代から文にして礼有りと賞賛していました。天将に之を興さんとす。天に違えば大咎有りとして丁重に送ったのです。文公も城濮の戦に於いて楚に贈送の恵有りとしてその恩を忘れなかったのです。

【詩楽劇】めいぼくげんじ物語 夢浮橋(感想)

 私は、昨年、『源氏物語』の現代語訳を読み通すことを目標としていましたが、いまだ途中までで達成に至らず、繰り越しています。  もう少し具体的に進捗状況を説明すると、同作の終盤「宇治十帖」に入っていません。それにも関わらず、今回、邪道にも、「宇治十帖」を扱った詩楽劇『めいぼくげんじ物語 夢浮橋』を観に行ってきました。  『源氏物語』の舞台というと、六条御息所や夕顔、葵の上が登場する、前半を扱ったものが多く、後半の「宇治十帖」を扱った作品は少ないように思うのです。それもあって、

【読書】暗やみに能面ひっそり

 2025年2月12日(水)、『暗やみに能面ひっそり』を読みました。「小学校中学年から」とありますように、児童書です。記録を残します。 ■本の概要 『暗やみに能面ひっそり』は、2023年9月に、BL出版から出された本です。作者は佐藤まどかさんで、絵はアンマサコさんが描かれています。  能面師を祖父に持つ少年の話です。 ■面白かった点(1)物語を通して頭に入る知識  私は、時々、能狂言を観に行くことがあり、そこから本書を手に取りました。  鑑賞後に能楽堂を出る時ぐらいに、

晋国が城濮の戦いで覇となった理由。左伝。僖公二十七年。それは文公が民の軍事徴用に先走りしそうなのを臣下が止めて文の教え即ち、義、信、禮の文徳によって民の安らかな生活を実現したからです。左伝は万民の安らかな生活を主とする王道政治の書です。一人の軍事的英雄を賞賛する書ではないのです。

【再掲】友情の梅花の香り〜万葉集より〜

九條です。 忘れた頃にやってくる「万葉集シリーズ」です(勝手にシリーズにしてすみません)。^^; もしよろしければ、興味がおありでしたら、このシリーズ『万葉集あれこれ』マガジンの過去記事もご覧になってくださいね。^_^ 古代中国の漢詩や我が国の『万葉集』を読む(鑑賞する)ことが好きな私。でも漢詩や和歌を詠む(作る)才能は全然ありません。(>_<) トホホ さて、2月も中旬。梅の花咲き匂う頃ですね。 今回は『万葉集』のなかから、梅の花の歌を通じて交わされた、古代の歌人

「太陽は朝から晩まで照らしてくれるが、いばらない。 キレイな声で鳥が鳴いても、自慢はしない。 ゆえに、少しでも自分を自慢して褒められたいと思うなら、自然界の道から離れているといえる。」 皆自分の仕事をしているだけ。 だけど、持続させていくためには、感謝を伝えることですね。

一戦而覇。文之教也。左伝僖公二十七年。この一戦とは城濮の戦いを意味するものだとするようですが城濮の戦いに勝つて覇となったのは文之教があるからだと解するのが自然です。文之教とは民に義、信、禮を教えることであるのは明らかです。仁義無くして武の力のみでは覇とはならないのだと読む可きです

梅花礼讃 〜寒を凌ぎて独り自ら開く〜

九條です。 2月も中旬となりましたね。 いま、私の頭の中では、この漢詩がぐるぐるしています。空気が少し春めいてきたからでしょうか? 私のとても好きな詩です。 余談ですが…。 日本の古典文学において「花」といえば桜が常識のように思われていますが、それは平安時代以降のことです。もっと古い時代である奈良時代以前には「花」といえば梅の花を示していました。 閑話休題。 近いうちに梅の花を観に行きたいなと思っています。 私は梅も桜も好きですが、強いて「どちらかを選べ」といわ

五覇は三王の罪人なり。孟子。小林勝人さんの訳によれば、五人の覇者、諸侯の旗頭は天子の命令も受けず、勝手に味方の諸侯を引連れて他の諸侯を討伐したとあります。三王とは所謂先王の事で、夏の禹王、商の湯王、周の文王だと言われています。先王の王命に背き非道無礼なる罪人だと非難したのでしょう

'また1歩'挑戦☺️ 日曜を目標にして、千の顔を持つ英雄上の紹介?感想を書いてみます。 この本は、悩む度に何回も開けて読んでたので、書けそうですが、経験値がかなり大きいのと、同時に失敗したらどうしよう😢ってなかなか踏み出せないです🥹 それでもまた始めの1歩を踏み出します👣

「シルクロードの砂漠を行く」という漢詩

「磧中作」(磧中の作)                             唐・岑参 唐王朝は、ウイグル族・チベット族など異民族との交戦が絶え間なく続きました。盛唐期には、岑参・高適・王昌齢・王之渙ら多くの詩人によって、「辺塞詩」と呼ばれる詩が作られました。西北の国境地帯での過酷な従軍の体験や荒涼たる自然の光景、エキゾチックな西域の風物などを題材として歌った詩です。 岑参は、天宝八載(749)と十三載(754)の二度にわたり、節度使の属官として西域の安西と北庭(共に新

周王、斉の桓公に命を賜る。左伝荘公二十七年。小倉芳彦さんの訳によれば、この時周王は桓公に覇者の策命を賜ったとしています。しかし、ここにも覇という文字は一言も書かれていません。周王朝の礼制秩序の称号たる候伯の文字もないのです。それどころか斉は異姓の国なので伯舅とするとあるのです。

【方丈記】オレの人生、なんか思ってたんと違った。でもこの世界で生きてく。

2025年2月7日(金) よっ、今週もお疲れさん。  また一週間、生き抜いたな。 『方丈記』を読んでたら、なんかこう、「人生とは?」みたいな深いところにたどり着いたんで、心に刺さった一冊として、令和の尚納言がざっくり訳してくわ。 金曜の夜、電車に揺られながら、 ぼんやりと眺めてくれ。 (あ、ネタバレ含むんで、そこんとこ宜しく!) 川の流れって、ずーっと続いてるけど、 流れてる水は同じものじゃないんだよね。 水たまりに浮かぶ泡なんて、ポコッとできたと思ったらすぐ消えち

「月あり、山あり、酒あり、友あり」の漢詩

「友人會宿」(友人と会宿す)                                     唐・李白 唐代の詩人李白の五言古詩です。友人と山中で同宿し、月明かりのもと共に酒を飲んで酔っ払ったという詩です。 詩題の「友人」は架空の人物です。俗世を捨てた隠者、あるいは道教の修行をしている道士を想像すればよいでしょう。詩の舞台は、そうした俗世離れした人物が隠れ住んでいる山奥です。 ――永遠の愁いを洗い流さんと、いつまでも飲むうちに百壺の酒を飲んだ。 「千古の愁い」

58.論語ノート、論語6巻、子貢(賜)は"やり手感"がある、子張(師)は若い、6巻で顔回は没する、

58.論語ノート、論語6巻、子貢(賜)は"やり手感"がある、子張(師)は若い、6巻で顔回は没する、 文字数2700 ■ 参考資料 岩波文庫 論語  金谷治 訳注 以下に、引用、p〜 と書く場合、特にことわっていない場合、この岩波文庫 論語からの引用である。 ■ 論語   6巻の中に 11〜12巻が 収録されていて、その中に複数の章段が収録されている。 そうした巻や章段の数を以下では簡易に、 6-11-10 とか 6-12-5  などと記載する。 これは、 論語

62.源氏物語 初学者ノート、国語便覧の人物相関図を中心にメモ書き、朝顔 藤壺中宮 夢に出てくる話

62.源氏物語 初学者ノート、国語便覧の人物相関図を中心にメモ書き、朝顔 藤壺中宮 夢に出てくる話 文字数6100 ■ 1 国語便覧で、源氏物語の人物相関図を見ている。 参照→ 主に 「わたしの古典 円地文子の源氏物語」 ことわっておくと、源氏物語の初学者の勉強メモである。 ■ 2 以下、手間を省くために、あらゆる「兄弟関係」を兄弟と書く。 兄と妹、姉と弟、姉妹なども、一律に兄弟と書く。 英語圏では、sibling(s) スィブリング という言葉があるようで、それ

「枕草子」の冬って何?って言われたから、令和の尚納言が訳したる

2025年2月6日 冬はやっぱり早朝がいい。 雪が降ってる日は、もう説明するまでもなく最高。でも、そうじゃなくても霜で一面まっ白になってるのも、なかなか趣がある。 それにしても、冬の朝って本当に寒い! そんな日は、とにかく急いで火をおこして炭を抱えて移動する人たちの姿も、冬らしくていい感じ。みんな「早く温まれー!」って必死なのが、なんか微笑ましい。 でも、昼になると気温がちょっと上がってきて、せっかくの冬のキリッとした空気もだんだん緩んでくる。そうなると、朝はあんなに

「「憤」の一字は、学問に進むための道具である。」 発憤は、悔しさを力にした行動力のことだと思います。 「絶対見返す!」「負けてはいけない!」「どうにかしないと!」と心の底から湧き出す何かがあれば、学んだことは必ず実るのでしょう。

晋の文公は、覇者と言えるのか?左伝僖公二十八年。城濮の戦いの後、文公は周王より侯伯に任じられました。是を以て野間文史さんなどの専門家は文公が覇者として認められたのだとしますが、疑問があります。そもそも、伯と覇では字が違うので意味も違うと安井息軒も論語の注で言っているからです。

【枕草子】清少納言も「冬は朝がいい!」って言ってるよね。

2025年2月6日日記 「冬はつとめて」―― (冬はやっぱり早朝がいい。) 清少納言も大絶賛の冬の朝、 やっぱり特別な時間だと思う。 雪が降った朝なんて、もはや説明不要の美しさ。庭も屋根もまっしろで、「あれ?ここ、平安京じゃなくて天界?」ってレベルの神々しさ。 霜が降りた日も捨てがたい。 草や葉っぱがキラキラ輝いて、まるで大自然が朝から張り切ってデコレーションしてくれたみたい。こんな日には清少納言も、筆を取る手が止まらなかったことだろう。 そして、寒い朝のもうひとつの主

斉桓公始覇。史記本紀。史記と左伝では書法が明らかに異なります。司馬遷は前漢の人ですから斉の桓公から四百年以上後の人です。左伝の記述を元に書かれている部分も多く、この部分も桓公が覇であるとしたのは司馬遷独自の解釈です。史記は資料の誤解等の批判も多く、他の資料と比較検証をすべきです。

「公欲がなければ、相手に思いやりを持って接することはできない。 私欲があれば、他人の貧しさを哀れみ、助けることができない。」 つまり、相手を労わることが、思いやりの連鎖反応を起こすんだと信じながら、相手と付き合えるかどうかということだと思います。

じょうらら しゃくしゃしゃ。好きな言葉

10年くらい前に買った禅語の本。最近またパラパラと読んでいて、こう在りたいなという言葉。 「浄裸裸赤灑灑」 じょうらら しゃくしゃしゃ まず、とにかく響きがいい。ひらがなにするとかわいい。禅語に、かわいいとか失礼か。でもかわいい。 洗い流したように、きれいさっぱり。そのままの姿で、飾らない姿。 ありのまま、そのままの姿で、よく見せようと自分を飾ったりしない。 そのようなニュアンスだそう。 赤ちゃんの純粋無垢、無邪気。そんな風に生きられたらきっと幸せ。けれど大人にな

立春 〜春風花草香ばし〜

九條です。 今日(2025年2月3日)は、立春ですね。暦の上では今日から春。 植物の新たな生命が芽吹く季節。復活・再生の季節。花咲く季節。古代においては、春が一年の始まりでした。新春・立春ですね。 まもなく梅花の時期。その後は桜花の季節ですね。待ち遠しいですね。ワクワクします。^_^ ※見出し画像ならびに下の画像はウチの近所の公園に咲く花(2025年2月3日 撮影) 【参考文献】 松浦友久『中国名詩集 〜美の歳月〜』筑摩書房(ちくま学芸文庫)2024年 ©2025

57.源氏物語 学習ノート、物語概観。思っていた以上に玉鬘に焦点の当たる話が多く感じる。

57.源氏物語 学習ノート、物語概観。思っていた以上に玉鬘に焦点の当たる話が多く感じる。 文字数5400 ■1 まず初めにことわっておかないといけないのは、自分が源氏物語のごく初学レベルの人間だということである。 以下のノート、メモ書きは、入門者が源氏物語の中の勝手をつかもうと模索する中で作成したもので、他の人が見て面白いものか我ながら疑念を持っている。 参考にしている図書は、 岩波文庫 旧版 源氏物語 原文 1〜6巻 円地文子訳の 源氏物語 1〜10巻 わたしの

文襄の覇。左伝昭公三年。晋の文公の後を嗣いだ襄公は殽の戦いで亡くなった文公の弔い合戦とばかりに墨染めの衣を身に纏って秦軍を破ったとあります。襄公を覇者と認める専門家はほとんどいません。そもそも春秋の五覇という言い方に明確な資料的根拠はありません。だから諸説異なるのです。

54.平家物語ノート、平家家系図と源氏家系図、国語便覧を参照。家、頼、宗、度、経 の字について

54.平家物語ノート、平家家系図と源氏家系図、国語便覧を参照。家、頼、宗、度、経 の字について 文字数1300 ■ 平家物語の後半について、最近大枠の知識を把握しようと努めている。 人が読んで興味をひくかわからないが、自分のためにあれこれノートを作成している。 書いた内容に間違いがあるかもしれない。もし自分で発見した場合は訂正していきたい。 ■ 平家物語の 重衡の最後を読んだ。 重衡は重盛の弟にあたるようである。 重衡は清盛の五男。 国語便覧は便利で、手元の「ビジュ

賢者季札。左伝。呉国の季札は春秋時代の賢者です。呉国の四人の公子の末子として生まれながら兄の存命中は即位することを頑なに拒否したので礼を知る者として名が知れ渡りました。呉王闔閭、夫差の時代、呉国は無礼非道の国として非難され越王勾践に滅ぼされます。礼無きは必ず滅ぶと言われた通りです

やり過ぎたり、足らないのは悪。 やり過ぎず、足らなくないと善。 徳川家康が女中に、「この世の美味しい物・マズイ物はなんだ」聞くと、「塩」と答えた。

不遇の若き天才詩人と励ましの詩(曹植「贈徐幹」)

今回取り上げるのは曹植の漢詩からの言葉。 肥えた田んぼであれば、刈り入れ時期が遅くなっても収穫が得られないということはないし、雨に恵まれた土地であれば、心配せずとも豊作になることが多いという意味。 つまり、徳の備わった優れた人間であれば、いつか必ず花を咲かせることができるものだ、ということですね。 曹植が不遇な友人に宛てて贈った詩です。 曹植(そうしょく / そうち、192年 ~ 232年)は、三国時代の英雄、曹操の息子として生まれました。 幼くして詩など数十万語を

孔子の仁義。左伝定公12年。孔子が魯国の司寇という重職にあった頃、公山不狃の乱が起こり定公を襲撃しました。孔子は迎撃し国外に追い払ったのです。孔子の仁は礼に基づく義の心から発するもので無礼不義なる者は情容赦無く撃退します。義を見て為さざるは勇無き也が孔子の仁と言えると思います。

大河ドラマ『べらぼう』LINEスタンプ作っちゃった話

日曜の夜は『べらぼう』を楽しみにしているHIROです。 本日は、『べらぼう』からインスパイアされた江戸時代のLINEスタンプ発売のお知らせです! 動く!粋な江戸時代すたんぷ江戸時代の武士や商人、花魁をテーマにしたLINEスタンプ16種セット。 ついついクスっと笑ってしまうようなセリフや、時代劇っぽさ満載のセリフ、動きがポイントです! 古典、歴史、時代劇、浮世絵、そして『べらぼう』ファンには大満足のLINEスタンプ間違いなし。自信を持っておすすめします! おすすめポイント紹

「歴史」を歌う漢詩3選

「蘇臺覧古」 唐・李白「蘇臺覧古」(蘇台覧古)  古びた庭園と荒れた高台に、柳だけは今年も新しい芽を吹いている。 菱の実を採る乙女たちの澄んだ歌声を聞くと、春の感傷がこみ上げてくる。 もう今はただ西江の上に昇る月だけが往時を偲ばせている。 かつてあの同じ月が、呉王の宮殿にいた美女(西施)を照らしていたのだ。 ✍️ 唐・李白の「蘇臺覧古」は、呉の姑蘇山の宮殿跡を訪れた際の感慨を詠じた七言絶句です。春秋時代、呉と越は「臥薪嘗胆」の故事成語に見るように、たえず激しい戦闘を繰

55.平家物語 読書ノート、9-12巻、腰越 堀川夜討 梶原讒言 知盛の馬 井上黒の話

55.平家物語 読書ノート、9-12巻、腰越 堀川夜討 梶原讒言 知盛の馬 井上黒の話 文字数3600 ■ 読書とメモ書きに かけた時間量、85分間。 平家物語の原文、9〜12巻の読書、音読、気になった点のメモ作成のノートである。 ■ ここでは、我流にて、巻と句 の関係を、5-45 などと記載する。 巻12 の中の 114句なら、 12-114 と書く。 新潮古典集成 の平家物語を 参考にして読書と読書メモの作成をしている。 ■ 後の話を読んだ後、手前の話を読んだ

【論考:文学】現代人が、哲学全集や古典を読む意義──あなたは古典を読んでいない時点で思想の自由は制限されています。

──『冥土に金は持って行けない。     冥土からも金は持って行けない。     しかしながら、金のある家庭、金のない家庭を選ぶことはできない。     そこで勝負は決まっている。     勝ち負けではなく、生きるか死ぬか。』── ☆☆☆  2024年4月23日(火)。21時24分。  ポケモンカードの話しかしないかもしれません。  まさかのレトロなポケモンカードを高額買取を標榜しているお店に出会いまして。はい。ポケモンカードの評価額とか資産額とかどうでもよくて。はい。

アナログ派の愉しみ/本◎『夢中問答集』

そこには為政者と宗教家の 鍔迫りあいのドラマが 日本において世俗的な権力に立つ為政者と、倫理的な権威に立つ宗教家とは、いかなる関係にあるのだろうか? その最も鮮烈な一例を『夢中問答集』に見ることができる。   「あまりに善根に心を傾けたる故に、政道の害になりて、世も治まりやらぬよしを申す人あり。その謂(いは)れありや」   仏法の善根に拠りすぎたせいで政治がうまく運ばなくなった為政者を、どう考えるべきか。この問いを発したのは足利直義だ。室町幕府初代将軍・足利尊氏の弟で、

飯疏食飲水、曲肱而枕之、楽亦在其中。論語。粗衣粗食で枕も無い荒屋で肱を枕に寝起きする生活に本当の楽しみがあるというのです。学問の道、読書の道を楽しめるのは物質的に恵まれない生活にあるのです。衣食住が貧しいと精神生活が豊かになるのです。修道士や禅僧がまさに豊かな精神生活に生きてます

久々に名探偵ポアロを夢中で見た件

画像出典:UNEXT番組紹介から 久々に名探偵ポアロを夢中で見た件 最近、ふとした瞬間に「名探偵ポアロ」の魅力に引き込まれ、気づけば一気に何話も見てしまいました 最初に見たのはかなり昔で子供のころだったんですけど、久々に再視聴してみると、やっぱりポアロの謎解きの奥深さ、そして彼のユニークなキャラクターにすっかり夢中になってしまいました❤️ 久々に夢中になった名探偵ポアロの作品名とは 作品名: 「複数の時計」 この作品は、第二次世界大戦前夜の緊迫した時代を舞台に、イギ

由依が車折神社に行ったら と勧めてくれたので 初めは文章が上手く書けたら良いなあ と清少納言さまにお願いした。 2回目は母と仁和寺の竜王戦の 将棋の会場の近くなので寄った 次はお茶道を上手くなりたいが わたしは才能ないのかな、 何度も何度もやりなおし 泣きそうになるよね。。

「隠者を訪ねたが会えなかった」という漢詩

前回の記事「閑適を歌う漢詩3選」の中で、明・高啓の「尋胡隠君」を採り上げました。 胡という苗字の隠者を訪ねに出かけた際のことを歌っています。 あちらの橋を渡り、またこちらの橋を渡り、 あちらの花を眺め、またこちらの花を眺める。 春風そよぐ川沿いの道、ゆっくり歩いているうち、 いつの間にか、君の家にたどり着いた。 さて、隠者とは「俗世を避けて郷里や山奥に隠れる知識人」のことを言いますが、中国の隠者は、おそらく日本人の多くが想像するであろう隠者とは少々異なります。 「隠者

主役は周瑜!

「赤壁の戦い」は「三国志」のクライマックスである。 この戦いは、正史『三国志』ではごく簡略に述べられているが、明代の小説『三国志演義』では、虚実入り混ぜて目一杯話を膨らませている。 諸葛孔明と江東の群儒との舌戦に始まり、孔明が奇計を用いて十万本の矢を手に入れる「草船借箭」、周瑜が老将黄蓋を棒叩きにして曹操を欺く「苦肉の計」、龐統が曹操の船団を鎖で繋ぐよう仕向ける「連環の計」と続き、黄蓋が偽の投降をして火矢を放ち、最後に孔明が七星壇で祈禱して東南の風を呼び曹操の大船団を炎で

君子求諸己、小人求諸人。論語。宇野哲人さんの訳によれば、小人は思うことが達せられ無ければ人を責め人を求めて自ら反りみることをしないとしています。言わば、君子は自省的であるのに対し小人は他罰的だと言えるでしょう。克己復礼とはこの君子の自省的な姿勢を言うのでしょう。仁は自省的です。

【漫画】『更級日記』ってどんな話? ー 『源氏物語』オタクな少女の晩年の後悔

『源氏物語』の大ファンで昼夜を問わず読み耽った少女・菅原孝標女。 彼女が残した『更級日記』には、少女時代の物語耽溺の日々を晩年になって後悔する様子が描かれていますが、それは一体なぜなのでしょう? 『源氏物語』のヒロイン・浮舟に憧れる菅原孝標女 ー 物語耽溺の少女時代 『更級日記』の作者・菅原孝標女は寛弘5(1008)年、中流貴族の家庭に生まれます。 奇しくもその年は、紫式部が女房として仕えた中宮・藤原彰子が、一条天皇の皇子(のちの後一条天皇)を産んだ年。『源氏物語』が男