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55.平家物語 読書ノート、9-12巻、腰越 堀川夜討 梶原讒言 知盛の馬 井上黒の話

55.平家物語 読書ノート、9-12巻、腰越 堀川夜討 梶原讒言 知盛の馬 井上黒の話



文字数3600





読書とメモ書きに かけた時間量、85分間。

平家物語の原文、9〜12巻の読書、音読、気になった点のメモ作成のノートである。




ここでは、我流にて、巻と句 の関係を、5-45 などと記載する。
巻12 の中の 114句なら、 12-114 と書く。

新潮古典集成 の平家物語を 参考にして読書と読書メモの作成をしている。





後の話を読んだ後、手前の話を読んだりしている。
それなので、内容の前後関係の方向は一貫していない。

12- のことを例えばメモした後に、10-のことをメモしたりしている。

ページをめくって、自分の把握の度合いの低く感じる人名の出てくる場面を中心に音読して、気になった記載に遭遇する都度、スマートフォンでメモ書きをしている。






巻12、114句 腰越 こしごえ
12-114


元暦の時のことで、次の115句 時忠 能登下り にて、文治 ぶんぢ  に元号が変わる。
この腰越の句で、義経の鎌倉戻りを、頼朝が「腰越の関所設置」による「義経の通過阻害」したことによって、頼朝と義経の対立の構造が明確化したようである。
(読み間違いでないといいが。)


左馬之   、〜 尉 ジョウ、二位、五位、などの官職名というのか、そういうものがあまり自分にはピンと来ていない。
国語便覧などにそうしたものの説明がある気がするので参照したい。



岩間 イワアイ
遠流 エンル ゑんる
平大納言 ヘイ ダイナゴン 、 タイラノ ではない。
内蔵頭 クラノカミ
雑色 ザッシキ、  ゾウシキではない。

時忠 → 平大納言、能登に行くことになる。(能登下り)





12-116   堀川夜討 を読んでいる。

堀川は、義経の宿所のようである。そこが攻撃を受けたようである。

堀川 → 堀の字はツチヘン。 このホリの字はテヘンと時々迷う。堀 VS 掘。



頼朝は、義経に雑色 足立の新三郎 清経を 付けていたが、これは義経に不審な動きがないかを見張らせる役目だった。
ショウシュン(土佐房)が切られたのを見て、清経は急ぎ鎌倉に戻り、義経がショウシュンを切らせたことを伝える。
ショウシュンの漢字変換は難しい。晶の下の日日が一つの日になった字だが… 書いている内に「昌 マサ」 だと思い出した。 ショウシュンだと変換発見が難しいが、マサハルと入力すると見つけやすい。

ショウシュン → 昌春 、 読もうと思えば マサハルと読める漢字。





頼朝は、範頼に命じて義経を討つように言う。範頼は辞退する。
頼朝は怒り、範頼はやはり心を改めて命に従う旨を伝えるが、頼朝は怒りおさまらず、範頼は不遇となる。
範頼は平家物語だと、その場面ですぐ死んでしまう。史実だとそこから8年は生きたようだ、と解説に書いてある。



おだしきこと →平穏無事に済むこと


義経は九州の鎮西に落ちくだることを決める。
鎮西は、高校バレーボールでよく名前を目にする。
もののけ姫の、オッコトヌシが鎮西から渡ってきていたように思う。






ページ戻って、11-103 梶原讒言

伊勢三郎  義盛に義経命じて、教能 のりよし を生け捕ることを命じる。
義盛は、盛の字がつくが、源氏方のようである。


教→ のり  と読む。

強る →つよる 、 〜より強くなっていることを示す。


教能、話を聞いて無条件降伏してしまう。三千人の手下は、「世の乱れをしづめ」られる者に従わせようということで、さっきまで敵だった義経の配下に入る。
ずいぶん柔軟な変容に感じる。

別当?

河野 かわの?こうの?
通信 みちのぶ、ツウシンみたいに見える、平家物語の割と早い段階から名前が出ているように感じる。

田内 でんない
渡辺 地名
こみ乗り → 寿司つめに乗り

ちなみに2月の出来事。寒そうである。

巳の刻 → 午前10時頃

葵 →あふひ → アウイ と読むか、アオイ と読むか?

船の艫舳 → ふねのトモヘ 、これはトモエでなく、トモヘ

摂津の国 → ツのくに
上古 → ジョウコ 、音が濁る、ショウコではなく、
怨敵→オンデキ

義経、兄の三河守 範頼と協力。(時系列が逆だが、先に書いたメモで、この範頼は頼朝の怒りをかい没落へ。)

平家船1000強、源氏船3000強、
「源氏の勢はかさなれども、平家の勢は落ちぞゆく。」
引用 p239



卯の刻 → 午前6時頃

矢合わせ →戦闘開始
いくさせん → 梶原と義経の口論紛糾、実際に双方太刀に手をかけ、実力行使へと向かう機運へ。途中で人に止められる。

奉行を承る→ 指揮をおおせつかっている
主 → しゅう

義経、怒り、梶原に向けて太刀に手をかけると、梶原も太刀に手をかけ、「身づくろいする」。
そこへ、三浦の介、土肥の次郎 実平 割って入る。


「これより梶原、判官をにくみはじめて、つひに讒言してうしなひけるとぞ聞こえける。」引用 p240





ページ飛んで、 9-89  一の谷、

盛長の話、

尼公→にこう
法橋→ 法印、法眼ほうげん に次ぐ僧位、律師に相当する、と解説に書いてある。
供したり→ トモしたり? わからない。
三位 → どのくらいかわからない。
うたてさ→ 情けなさ、だろうか

備中の守 師盛 もろもり、 これは重盛 小松殿の末子らしい。

師盛が生年17歳の時の話、

知盛 トモモリ→ 新中納言

知盛 新中納言の侍に、清右衛門 せいえもん というものがいて、海に落ち、助けの船を得るが、乱暴に乗り上がろうとして、船を転覆させる。
船の主は結果討たれる。
現代にもこういうことはありそうに感じる。教訓めいて感じられる。

「さらば静かに乗るべきに、静かにも乗らで」と解説に書いている。解説よりの引用。p105

落ち着きのない粗暴な人を助けようとし、その結果、助けの手を差し出したものは被害に遭う。




備中の前司 → 前司の位がわからない。
師盛は備中の守なので、この備中の前司と関係が深いのだろうか。


大夫 だいぶ、こうした地位について詳しくなりたい。

大力 だいちから → 力持ちみたいな感じか

業盛、常陸の住人、土屋の五郎にほとんど勝利するが、そこへ五郎の兄 四郎が駆けつけて、二体一にて、土屋の兄弟が勝つ。
いかに業盛が強力でも、数的不利によって勝利は得られなかった。


監物けんもつ、 堅 とは違う字で、下が「皿」である。
監物は中務省の出納を観察管理する職分らしい。


平家 →赤旗
源氏 →白旗、白旗といっても降参の意味は無し。


児玉党 → 新中納言 知盛と、従者らによる集団のことか? だとすると十騎ばかりの勢力、
「児玉党とおぼえて」とあるが、自分たちを児玉党と名乗ったのか?

究竟 くきょう → 苦境とは違い、究めた境地に入った実力者ということか。監物太郎が究竟の者とのこと。


取りてげり  → こうした「げり」 は 「けり」と同じ意味か?それとも違う意味なのか?


敵が童 わらわ → わらわ と言っても、幼いわけでなく、割と戦闘能力を持ちうるくらいの年齢のようである。


頼方 → 監物太郎のこと、どういう言葉だろう。
射させて → まるで人に射るように命じたみたいだが、自分が他の人に本意ならず射られたことを指すようである。


いながら → そのまま
井上黒→ 馬の名前 → 源氏方に渡り、河越黒と名付けられる。
大臣殿 → 宗盛
あるべうもなし → あるびょうもなし(あるべきでない)


中納言 知盛  、馬を船に乗せられないと知り、馬を岸へ単独で戻させる。手下は、敵の手に馬が渡って活用されるのを防ぐために馬を始末することを提案するが、中納言 知盛は承服せず、

「何の物にもならばなれ、命をたすけたる馬なり。あるべうもなし」 引用 p107

成能 → 能 の字、ヨシと読む。もっと自分に馴染ませたい。


まぼらえて → 見守って
御厩 → みまや
もとも → もともとの意味
御馬 → オンウマ? オウマ? 御〜 系で自分はよく迷う。
信濃の井上 → そこで馬の井上黒が育った



宗盛→ その弟は知盛、 宗盛 内大臣昇進の際に井上黒を賜る。それを中納言 知盛 (宗盛の弟) が秘蔵し、大切にし、その息災を毎月 祈祷し、まつる。その結果、知盛は井上黒に命を助けられる。
pが108  

毎月 → まいげつ。 まいつき ではない。






ページ飛んで、
10-96 高野 コウヤ


御山 →オヤマ 。 御〜系は、迷うことが多い。
滝口入道→ 「いまだに三十にだにたらぬ者」引用 p173 → 三十にたらぬ、となると20台後半か

維盛 → 三位の中将。 大臣殿(おそらく一位)や二位より地位にて劣る。それらと気心知れぬようである。






ひとまずここで区切りにする。

2週間前くらいより、平家物語の人名、色々な出来事に馴染みができてきた感触を得ている。

今後も、馴染みの薄く感じる句を音読して、メモを作成して、土地勘を育てていきたい。



ここまで。

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OndokuAikouka(音読研究×小林秀雄散策)
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