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目覚め、夢見、眠りの根底にあるのは、真我?!ラマナ・マハルシ「真我」

目覚め、夢見、眠りの根底にあるのは、真我?!ラマナ・マハルシ「真我」

 トゥリーヤとは真我の自覚を意味します。トゥリーヤの文字通りの意味は「第四」であり、ここでは「第四の状態」を意味しています。「第四の状態」という言葉は、目覚め、夢見、眠りの三つの状態の根底にある「至高の意識」を示しています。(中略)

本書より

覚者:いやー、以前の目覚めと真我についての記事が、一定の評価を得たので、また、「眠り」ネタを取り上げようかなと(笑)。

ボク:二匹目のドジョウを狙ってるだけじゃないの(笑)。

でもさ、真我を知るには、いい話かなーと思ってさ(笑)。ちなみに、自分から自我が消えて、真我だけになると、真我実現といって、至福の状態になるよ。(いわば、悟りの状態だよ!(笑)。)

真我は「メタ認知」??

 トゥリーヤとは真我のもう一つの名前でしかありません。(中略)

本書より

まあ、「トゥリーヤ」ニアリーイコール「真我」ということなんだけどさ。

おさらいだけどもさ、「真我」ってなに?

「真我」=「見る者」だよ。自分の体や心が「私」であると思っている、読者のアナタも多いと思う。けれどもさ、それらは、「見られるもの」に過ぎないんだよ。「真我」=本当の「私」は、世界、さらに自分の体や心までをも「見る者」なんだ

現代の科学的・心理学的に見れば、「真我」は、一種の「メタ認知」=「認知していることを認知すること」(この定義は「カオナビ」の記事から拝借した。)じゃないのかなー、とふと思った。引用元「カオナビ」⇩

実はオレも、そうなんじゃないかなぁと思って、メタ認知の本を買ってしまった。いずれ、書評するつもりだけどもね。でもさ、真我は、実は、メタ認知よりも深いものなんだ。だって、眠っているときに「認知していることを認知すること」というメタ認知は働かないでしょ(笑)。真我は、眠っているときにも、在るんだからさ(笑)。

それもそうだね。でもさ、メタ認知をトレーニングすることって、真我探求に役立つとは思わない?(笑)。

まあ、役には立つだろうね。認知していることを認知する、って側面も、真我にはあるようにオレには思えるからさ。だって、五感・心を「見る者」=「真我」なんだからさ(笑)。認知していることを認知しているわけじゃん。

まあ、話が脱線したから、元に戻そう。

眠りなき眠り?!

ラマナ・マハルシさんによれば、目覚めのとき、「眠りなき眠り」に至れば、真我実現ということになる(笑)。

「眠りなき眠り」(驚)?

だって、眠っているとき、キミや読者のアナタは、いわば「真我」そのものになっているわけじゃん(笑)。

眠っているときの真我は、完全な無を「見る者」だよね。だったら、たしかに、いわば「真我」そのものに、なってるよね?(笑)

そうなんだ。だから、目覚めているときに、「眠りなき眠り」に至れば、真我実現ということなんだ(笑)

映画館のたとえ。

 彼は眠りの中にいます。それと同時に、彼は眠りの中のように無意識ではなく、真我の中で完全に目覚めています。それゆえ、彼の状態は眠りのない状態だとも言えます。

本書より

ラマナ・マハルシさんが、「眠りなき眠り」について解説した文章だ。

わかったような、わからないような・・・?!

わかりやすく、映画館のたとえをしよう。映画は、現象世界だ。そして、キミやアナタの前にスクリーンがある。鑑賞者もスクリーンも究極的には真我だ。スクリーンに色々なものが映し出されたり、映写が止まったりする。目覚め・夢見・眠りの状態が移り変わっても、鑑賞者とスクリーンは、そこに在るままだ。
映画がスクリーンに映ると、キミや読者のアナタは、それを現実だと思ってのめりこんでしまう。でもそれは、映画でしかない。幻想でしかないんだ。映画の中のものを掴もうとしても、スクリーンを掴むだけだ。何が映写されようと、映写されまいと、ずーっとそこにあり続けるのは、鑑賞者とスクリーンだけだ。つまり、真我だけ、ずーっとそこに在るんだ。要するに、このことに気づけば、真我探求は成ることになるんだ(笑)。つまり、わかりやすく言えば、さっき言ってたトゥリーヤみたいなものだね。そして、目覚めているとき、映画の映っているときに、鑑賞者とスクリーンに気づいているのが、言ってみれば、「眠りなき眠り」なんだ。

ずいぶん、わかりやすいたとえだね(笑)。そっかー、鑑賞者とスクリーンに気づけばいいんだね!(笑)。

普通は、「鑑賞者」=「真我」、「映像」=「現象世界」という比喩を用いるのが一般的なんだけどね(笑)。でも、今のオレの気分的には、上の比喩のほうが、シックリくるんだよなぁ・・・(笑)。だって、わかりやすいじゃん、こっちのほうが(笑)。

まあ、ボクも現時点では、そう思うよ(笑)。

ちなみに、ラマナ・マハルシさんによれば、映像までもが真我だ、としている。以下引用する。

 真我実現した賢者は、スクリーンも映像もともに真我であることを知っています。(中略)

本書より

映像って、たぶん、現象世界の比喩だから、現象世界も含めて、全てが真我の現れだ、とするのが、ラマナ・マハルシさん流の考え方らしい(笑)。要するに、自分の中に真我の現れとしての世界があるという考え方だ。あと引用すべき点は以下。

(中略)そして個人が「至高なるもの」の中に融け入ったとき、それはトゥリーヤーティータ(第四の状態を超えた境地)と呼ばれます。

本書より

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