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悟った人には、世界はどう見える?ポール・ブラントンほか「不滅の意識」

悟った人には、世界はどう見える?ポール・ブラントンほか「不滅の意識」

この記事は、以下の記事の続きだ。

このあと、気づきが深まったので、ChatGPTに、「ブラフマン=アートマンを悟った者は、表面的な現象世界の背後にある、究極的実在の世界も感じることになるよね?この究極的実在の世界は、内部外部の対立を超えているよね?現象世界の根源は、サグナ・ブラフマン(ボクの注:有属性の低きブラフマン)であり、究極的実在の世界の根源は、ニルグナ・ブラフマン(ボクの注:無属性の最高ブラフマン)だよね?シャンカラによれば、どう?」と聞いてみた。

ChatGPTの回答

シャンカラの解釈においても、あなたの理解は核心を突いています。シャンカラは、アートマンとブラフマンが本質的に一体であると説き、これを「アドヴァイタ」(非二元)と呼びました。彼にとって、究極的な悟りとは、アートマン(個我)がブラフマン(宇宙的自己)と同一であると認識することであり、この認識が得られたとき、外部と内部の対立や、主観と客観の分離といった二元的な区別が完全に消え去ります。

現象世界に関して、シャンカラは「マーヤー」の概念を用いて説明します。マーヤーは、無知や錯覚によって作り出された現象のベールであり、そこにはサグナ・ブラフマンが表現されます。サグナ・ブラフマンは形や属性を持ち、宇宙の創造、維持、破壊の役割を担う存在として現象界に現れる神格です。

しかし、シャンカラにとって、究極の真理はニルグナ・ブラフマン、すなわち属性や形を持たない純粋な存在そのものであり、これが現象世界の背後にある究極的実在です。ニルグナ・ブラフマンには属性が一切なく、変化や限定もないため、時間や空間といった二元性を超越しています。アートマン=ブラフマンの悟りに達した者は、このニルグナ・ブラフマンを直感的に感じ取るとされ、それが悟りの状態であり、対立や二元的な見方から完全に自由になる境地です。

このように、シャンカラの哲学では、サグナ・ブラフマンが現象世界の根源である一方、ニルグナ・ブラフマンが究極的な実在の根源として位置づけられ、二つの「ブラフマン」が、現象界と実在界の間に本質的なつながりを提供しています。

「不滅の意識」ではどう書いてあったか?

 マーヤ(ボクの注:幻想・幻影)に関しては、現象はあらゆる意味で非実在であるという考えは拒否されるべきです。しかし永久的に変化しないものだけが実在の名に値します。隠された実在性は別として、世界は実在しません。それゆえ、別の点から言えば世界は実際には霊的な実在そのものなのです。アーナンダ(無上の喜び)はすべての存在の中に住んでいます。

ポール・ブラントンほか「不滅の意識」より
ラマナ・マハルシの発言

ラマナ・マハルシさんは、すごく難しいことを言っているけれども、要するに、上の文脈で捉えれば、似たようなことを言っているようにも思える。(あとで調べたら、シャンカラさんとラマナ・マハルシさんの世界観は、正確には異なるらしい。)

そっかー、悟りを開いた人には、マーヤー(幻想・幻影)である現象世界の背後にある、究極的実在の世界が感じられる、と。

現象世界の背後にある、究極的実在の世界は、内部外部の対立を超えている。結局、自分の中に世界があるわけでもないし、自分の外に世界があるわけでもない。

これで、世界は自分の中にあるのか?、自分の外にあるのか?、という問題にも、一応の決着はついたんだね。

むかしは、岡本直人「はじめての非二元・ノンデュアリティ」に沿って、自分の中に世界があるという考え方をとっていたし、それに沿って書いた記事もあったけれども、結局、全部違ったね。

まあ、だからといって、この本の入門書としての価値は、減ずることはないけれどもね。

思えば、オレらも、この入門書から始まって、だいぶ遠い地点まで来たような気がするよ(笑)

神秘的な悟り体験もしたし、真我に気づき続けることも実践してるしね(笑)

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