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掌編小説、詩など

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2022年1月の記事一覧

ハードボイルド書店員日記【73】

ハードボイルド書店員日記【73】

「2冊だけっておかしくないですか?」

肌寒い午後。ダンボールの山を台車に載せて店の仕入れ室まで運ぶ。おかげで少し体温が上がった。中には明日発売の新刊が詰まっている。協定品じゃなければ今日販売してもいい。芥川賞を獲った話題作が入っていた。さらに熱くなる。待っているお客さんに早く届けたい。

だが。

文芸書担当の女性が舌を鳴らし、残りの箱も全て開けた。「ない! やっぱりこれだけです」「さすがに少な

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ハードボイルド書店員日記【72】

ハードボイルド書店員日記【72】

今日はずっと暇だ。

マスクの下で欠伸をしつつ、店内を巡回する。万引き防止の声掛けと棚整理が主な目的だ。乱れを直し、違う本が平積みの上に載っていないかを確かめる。特に実用書のコーナーで展開している暦は念入りにチェックする。一見どれも同じで全て異なるのだ。

「古畑任三郎のDVDどこ?」そんな声が聞こえる。黒いニット帽を被った眼鏡の老紳士がアルバイトの女の子に訊ねている。「実習生」の札が外れたばかり

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ハードボイルド書店員日記【71】

ハードボイルド書店員日記【71】

「ねえ『のしろゆうすけ』って作家、知ってる?」

3連休の最終日。陽が沈むにつれて客足も鈍ってきた。明日から本格的に仕事なのだろう。事務所でFAXの整理をしていると、横のPCで補充注文をしていたコミック担当に声を掛けられた。

彼女はマンガと同じくらい純文学を好む。いつだったか同僚と「文芸誌って誰が読むの?」という話をしていたら「私読むよ。今村夏子か村田沙耶香が載ってたら必ず買う」と右斜め後ろから

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ハードボイルド書店員日記【70】

ハードボイルド書店員日記【70】

年末年始の賑わいもひと区切り。昨日降った初雪の影響で、明日発売の雑誌と午後の新刊を載せたトラックの到着が遅れると連絡が入った。朝の時点ではまだ積もっていた。たまにアスファルトで靴底が滑る。車も急ぐのは危ない。

「仕方ないんですかね。道も混んでるだろうし」仕入れ室。共に荷受けに行く雑誌担当の男性がつぶやく。言葉とは裏腹に顔がヘミングウェイ並みに硬い。もうひとりの担当が突休したせいで、朝からずっとこ

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ハードボイルド書店員日記【69】

ハードボイルド書店員日記【69】

元旦の書店。

店によってはクリスマスよりも混む。初詣の帰りに家族連れが立ち寄るからだ。「お年玉」という余剰金を手にした若者も多い。親戚や祖父母からクリスマスに「図書カード」を贈られた子どもも。

「暇っすね」「朝はこんなもんだよ」前日に夜更かしした連中がそろそろ起き出す頃合いだ。「午後は混みますか?」「去年はそれほどでもなかった」「ああ社会情勢的に」アルバイトの男性とふたりでレジに立っている。彼

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