宮島10年毎に比較「嚴島神社」弥山「御山神社/大願寺/大聖院/大元神社/千畳閣」全部【宮島特集シリーズ】
2010年代と2023年見比べ!先代の大鳥居と新しい大鳥居見比べ!
593年創建とし、安芸守を命じられた平清盛など平家一門からの篤い信仰を受けてきたのが厳島神社。大鳥居は、奈良の大仏と同じ高さで、干潮のときは歩いて鳥居の下まで歩ける。島自体が神であるから、血や死によって島が穢れることはご法度なので、宮島にはお墓がひとつもない。信号もコンビニもない。
変更履歴
2024/02/27 厳島神社の未参拝摂社・末社情報追加。船で参拝するところ(https://news.mynavi.jp/article/20240212-2880492/)
2024年正月 初版
→参拝準備!?
宮島の旅行は次のNOTE参照ください。伝えたいことは、全国屈指の聖地「弥山」も行かなければいけない!世界遺産になったのは、この霊山があってこそなので!!
あと、平家一門、足利将軍家、豊臣秀吉、伊藤博文などの歴史上の偉人や、鳥羽天皇や明治天皇などの皇室のをはじめ、ダライラマ法王も訪れた「大聖院」も見逃せない。そして、その風景を頭に「弥山」に行くと「神島」であることがわかる。
最新情報は宮島観光協会公式HPをどうぞ。ライブカメラで込み具合も確認できます。
宮島の紹介の前に日本三大弁才天の「江島神社」と「宝厳寺/都久夫須麻神社」を貼っておきます。
あと弁才天と言いえば、天川ですね。
では、本題です。
宮島の神社仏閣を1本で書き上げるので長いです。まずはダイジェスト版です。(私はガッキーじゃないです。)
→奇麗に参拝するルート
神社仏閣以外も楽しむなら次の旅行記をどうぞ。
なぜ?世界遺産か、なぜ1本で書き上げたのかは次の通りです。
世界遺産こと文化遺産は「世界に価値の高い文化遺産や自然遺産を人類共有の財産」として認め「危機にさらされても各国で協力して保存しよう」というものである
1992年に「宮島」という島自体が世界遺産となる
登録されてのは、宮島神社というイメージだが、神社前の海から弥山原生林全体が世界遺産である
原生林は、概ね古社の禁足地だったところが多く、宮島もそのひとつ。(そのほかは、春日大社、下鴨神社など)
▽嚴島神社(厳島神社):廿日市市宮島町1-1
祭神は宮島自体をご神体とした「市岐島神(イチキシマ)」だったが、時代とともに海の神様として有名な「宗像大社」の宗像三神・市岐島姫命(イチキシマヒメ)と似ているので同一神として祀られるようになったそうな。そして、「田心姫命(タゴリヒメ)」や「湍津姫命(タギツヒメ)」の姉妹を宗像神社から勧請し、宗像三神を祀ることになったとさ。宋との貿易をすべく、瀬戸内海の航路のポイントとして鎮座させたとも諸説ある。
まずは某宿から神社全体を見てみる!
てな感じで、宿から鳥居が見えるところに泊まると良いですよ!貼っておきます。
【宮島の宿】厳島神社が見える部屋「聚景荘」「ホテル菊乃家」に宿泊した【宮島特集シリーズ】|やんまあ@宿・食 (note.com)
元に戻して、神社だが参拝料(拝観料)を徴収されている。春日大社(私のNOTE)、下鴨神社(私のNOTE)、上賀茂神社(私のNOTE)、談山神社(私のNOTE)など数が限られている認識だが、ここも拝観料が必要。ただし、2023年時点で300円は安い・・・。
こんな時もあるようなのでご注意を!
ではでは参拝です!
厳島は「安芸の宮島」とも言われ、松島、天橋立と並ぶ「日本三景」に数えられる
「いつきしま」という古名を持ち、意味は「神を斎いつき祀まつる島」で、島そのものがご神体である
日本国内に500社あると言われる厳島神社の総本社
祭神は宗像三女神で、市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命
平氏の崇敬を受け、厳島の合戦で勝利した毛利元就に庇護され、豊臣秀吉も大経堂(千畳閣)建立を命じた
593年、佐伯鞍職(さえきくらもと)により創建と伝えられてる
神をいつきまつる島「神の島」と琵琶湖の竹生島(私のNOTE)と似た言い伝えである
社名は「いつき島にまつれる神」という意味から、「伊都伎島(いつきしま)神」、「厳嶋神社」等で呼称され、現在は、「嚴島神社」となった
正確には「厳」ではなく「嚴」を使用
元々は「斎く」という読みでこれが根幹である
私見だが、自然信仰は「厳しい」面がありそこから「厳」となり、言霊信仰から「嚴」になったのかなと
平清盛は海運の要所を握るべく今の社殿作る
社殿は「寝殿造」で平安時代の宮廷文化を残す
弥山(みせん)を御神体とする神社で、山頂には巨石がある
神事「御島巡り」は海に小さいイカダの上に団子を浮かべ、カラスが来たら善しとする神事
1146年、平清盛は安芸守に任官され、平家の守護神として尊崇し、平家一門の権力が増大するにつれて、この社を尊崇する度合いも増し、社殿を現在の姿に造営
1168年、平清盛が創建
1996年、弥山も含めて世界遺産に登録された
この世界遺産には神山「弥山」の存在が大きく、御神体が山で手つかずの原生林なんだそうな
そして大神神社などと同じく御神体の頂上には磐座がある
大鳥居は70年ぶりの大修理で2022年修復完了した
石の大鳥居は明治の石鳥居である
社殿は平安時代の貴族の「寝殿造」を基にした構成と言われている
寝殿前に庭があり、その前に池があり、東西に回廊のようなものがある様式を海上に表現した
平清盛はなぜ海上に社殿を造ったのかというと、本来は宮島自体が神島で人は住めなかったことから、陸地に社殿を建てるのは不敬だと海の上に社殿を建てたのが真相とされる
神社に奉納した『平家納経@国宝』の願文から「以前からイツキシマは信仰されていた」と記されており、「言葉では言い表せないぐらいのもの」と書いている
本殿は1571年に毛利元就が寄進したもの
拝殿・本殿前には平舞台があり、寝殿造の庭の部分でお祭りで使われる場所であるのだが、社殿を守るために必要なものでもある
海の上にあるため、自然石を礎石にし、石に合わせて柱を乗っけることで満潮干潮などにも柱が浮き元に戻る構造にしている
大きな自然災害で本殿以外の社殿は壊されているが本殿は一度も壊されていないのだが、ちゃんと計算して設計されているんだそう
海側から山側に少しずつ本殿は高くし、本殿より海側だけ壊れるように設計している
これが平舞台の後ろにある本殿側は波が小さくなるので、本殿が傷つかない設計になっているのだそうな
また、礎石とは別に柱に乗っている平舞台や床自体も固定されていないので、柱より波が上になっても床が浮き、元に戻るということなのだそうな
ただ、重みを加えるべく、町民が灯篭を置く行動が昔はあったそう
さらに平舞台や回廊は床板の間は隙間があるので、波の力を半減しているのも理由の一つで、2004年の台風の写真では隙間から高くて太い水しぶきがあがっている写真がある
私見だが後は、社殿の大きさや広さから来る重みで流されないのだろう(これは奈良や京都の三重塔・五重塔などの設計と同じ)
背後の山からの突風のルートは社殿に当たらないように建てた設計をしており、土石流などは庭園砂防が守っている
海のシロアリには根継ぎで保守をし続けているそうな
平舞台で行われる「舞楽」は、清盛によって大阪・四天王寺(私のNOTE)から移されたもの
社殿は東廻廊、西廻廊、客神社@国宝、朝座屋@重文、祓殿、高舞台@国宝、平舞台@国宝、左右門客神社、火焼前、大国神社、天神社、能舞台、反橋、長橋、揚水橋@重文、内侍橋@国宝から構成されている
大鳥居は自然災害で再建を繰り返しているのだが、その都度、大願寺がお金を出している
本殿、拝殿、回廊等6棟が国宝で、他に14棟が重要文化財。回廊の柱の数は108本で、その柱と柱の間は8尺(1尺は約30.3cm)、柱と柱の間の床板の数も8枚と末広がりになっている。
→参道風景
→大鳥居@重文
まずは写真でどうぞ!2023年12月8日は干潮でした!2023年12月9日は夜に見ました!そして2023年12月10日は朝6:30~7:35までみっちり参拝しています。
平安時代から数えて9代目の鳥居。平安時代は長いけど、9代で終わっているところに歴史の凄さを感じる。
夜は満潮に近い方が良いですね。船で鳥居を潜れます。干潮時に下まで行ったので、船に乗るのはやめました。2023年10月8日は宿から鳥居をくぐる船を見たので、翌日の10月9日に船が潜るところを見に行ったのですが、くぐらなかったですね・・。
干潮なので大鳥居まで行きましょうか。
干潮時でも真ん中は水が流れています。なので下鴨神社の鴨川と同じく、石の飛び石みたいなのがあります。そこからの写真。この石は左右に行き来する道にもなっているので、長居はやめましょう。
海の中の天然木の大鳥居は、干潮のときは、大鳥居の真下まで行くことができる。
額には昔の呼び名の漢字で表記され、表(海側)は今の神社名で表記だれている!干潮時なので見られた!!
本来の参拝は海上参拝で、ここを通るのが正式参拝であったとか。ちなみに外側の額束には「厳島神社」で内側には「伊都伎島」となっている。有栖川宮熾仁親王の筆とのこと。
修復最終の「扁額」取り付け模様を動画でどうぞ!(2023年からは戻っています)
ちょっとした知識を得るための写真を貼ります。
ではメディア情報をどうぞ!
→石燈籠とカラス
東回廊の神社入口にある石燈籠の上にカラスがいる。八咫烏と思いきやカラスで、石燈籠は左右それぞれにあり、ブロンズ製のカラスがいる。なぜカラスがいるかというと「神鳥伝説」から来ている。
イチキシマは、この地の豪族・佐伯鞍職に「高天原の神鳥が案内する場所に神社を作りなさい」と命じた。ご神託を受け、佐伯鞍職が適した場所を探していると、烏の導きによりこの地が選ばれたそうな。って八咫烏っぽいな・・。
→客神社(まろうど)
まずはセルフ祓をしましょう。
厳島神社に入って一番最初に訪れる神社。平安期に作られたとされ、国宝に指定。ここには天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)、天穂日命(アメノホヒノミコト)、活津彦根命(イクツヒコネノミコト)、天津彦根命(アマツヒコネノミコト)、熊野櫲樟日命(クマノクスビノミコト)を祀る。
主祭神と合わせるとアマテラスとスサノオの誓約で生まれた神様勢ぞろいですね。
神社の祭典はこの神社から始まる。人気の撮影スポット! 客神社から社殿中心部の写真
東回廊から本殿方面へ!途中、客神社を見ます。
→東廻廊と鏡池
社殿を結ぶ廻廊は、1168年に平清盛の援助を得て造営されたと伝わっている。床板は釘を1本も使っていない。西廊を合わせて270mあり、幅は4mの広さ。
上の写真左に看板がありますね。ちょっとこの風景覚えておいてください。
先ほどの写真を思い出してください。干潮時は次のような感じになります。
干潮時にしか見ることが出来ない「鏡の池」がある。昔の方はその時こそ美しいと言ったそうな。それが次の写真です。
→朝座屋
客神社@国宝を過ぎた所にあるのが朝座屋(あさざや)。神仏習合の江戸時代には社家・神宮寺の僧侶・巫女が祭典や会合の際に集合した場所。
この神紋は後述する奥宮にもあります。
→枡形
客神社と廻廊で囲まれたところを[「枡形」という。毎年旧暦6月17日に行われる「管絃祭」で御座船や阿賀・江波の曳船がここで船を3回廻す。廻廊に大勢のお客様が陣取り、管絃祭のクライマックスを迎えるところです。
→高舞台
一段高くなった舞台で神様への舞楽が行われる場所。京都の文化を持ってきたとされ、天皇(含、上皇)や貴族などを意識したとか。
春と秋に舞楽が行われる。
朝参拝だと美しい!
ビューポイントの1つですね。
→映えスポット「火焼前(ひたさき)」
大鳥居を正面に見える平舞台先から、大鳥居を撮る。海外の方も日本人に習って並ぶのが面白い。
2012年は満潮に近い時だったのかな・・。次は2023年です!
→「平舞台@国宝」から「祓殿@国宝/拝殿@国宝/本殿@国宝」
平舞台は600平方メートルもあるよう。
日の出待ち。
→「祓殿@国宝/拝殿@国宝/本殿@国宝」
御本社は、それぞれ国宝に指定されていて、祭神は宗像三女神で、本殿は、三女神のほかに30柱の神様が相殿に祀られているとか。
平清盛は瀬戸内の海賊を平定して海運業者を支配した。日宋貿易によって莫大な財を築き、急速に昇進したようだ。瀬戸内や宋との交易船の航海安全を祈るため、また瀬戸内海航路の要衝であった厳島を篤く信仰していた。
明治維新までは厳島弁財天も祀り、神仏分離令により大願寺に遷した。
拝殿の下から見上げると棟が2つが見え、その上を一つの棟で覆っている。これを三棟造りといい、奈良時代の建築様式といわれている。
では、祓殿@国宝、拝殿@国宝、本殿@国宝の写真です。
→「祓殿@国宝/拝殿@国宝/本殿@国宝」から「平舞台@国宝」
→大鳥居から「祓殿@国宝/拝殿@国宝/本殿@国宝」
って、外からの祓殿@国宝、拝殿@国宝、本殿@国宝を見てみましょう。干潮だからできる風景写真です。
→「右楽房」「左楽房」「門客神社」
平舞台の海側に社殿がありますね。
まず社殿はないが「右楽房」「左楽房」がある。高舞台で左舞が舞われるときには左楽房、右舞では右楽房を使用するようですね。「楽房」は、中国系の舞や器楽に由来し、平安時代に左方として整えられた舞楽が左舞、朝鮮半島系の舞や器楽に由来するのが右舞なんだそうです。左舞と右舞とでは、舞や器楽の違いだけでなく、舞の装束や作法、演目の構成など、多くの面に対称的な差異があるとのこと。
左舞では舞人は客席から向かって左奥から現れますが、右舞は右奥から登場と配置も異なることから、左右に楽房が配されている。
また「門客神社」がある。この神社は、厳島神社御本社の海側の出入口を守護する社のようです。祭神は、豊石窓神(トヨイワマドノカミ)、櫛石窓神(クシイワマドノカミ)で「御門の神」とのこと。古来、宮殿の四方の門に祀られていたようですね。管絃祭の出御、還御はここから行なわれる。
創建当初は門客神社はなく、1241年に創建されたようで、権威と権力が海から大鳥居をくぐり、ここでケガレを祓ったのでしょうかね。
2023年12月9日に6:30から参拝したが、神職がこの2社にお祈りをささげていた。すごく間と音が素晴らしい柏手を打つな~と思ったら神職だった。
→厳島境内摂社・末社「大国神社@重文」と本殿横
祭神はオオクニヌシ。オオクニヌシは、出雲の神様で、本殿に祀られている主祭神の1柱・タギリヒメと結婚している神様。まっ出雲大社(私のNOTE)ですね。出雲大社は知っているが、こういう所に来たら「誰やろ~」とか言っている方がいました。神様の性格や繋がりを知ると色々面白いのですがね~。
ここからの背後に本殿が見えます。妻の近くに夫ですね。
では、さらに奥に行きます!
→境内摂社・末社「天神社@重文」「長橋@重文」
長橋@重文ですね。神饌が運ばれる橋で、32mの長さと3mの幅がある。
創建は、1556年で毛利隆元によって寄進された。祭神は学業の神様として有名な「菅原道真」で、沢山の合格祈願の絵馬が奉納されている。前述した客神社の祭神・アメノホヒ(私のNOTE)の末裔ノミノスクネ(私のNOTE,、私のNOTE、私のNOTE)のさらに末裔ですね。出雲大社にも祀られています。
別名「連歌堂」で、明治まで連歌会が行われていた。棟札によると1556年に建築となっている。
あっ、2012年(上の写真)と2023年(下の写真)見比べすると色が違うな。
元に戻します。
→西廻廊
干潮から満潮へ!左から海水が攻めてくる。
→反橋@重文、能舞台@重文
国内唯一の海上に設けられた能舞台では、平清盛が伝えたとされる「陵王」「納曽利」などの舞楽が年11回ほど披露される。平安時代末期に、平清盛によって大阪・四天王寺から伝えられた。
ちなみに、日本三舞台と言われるものがあり、それは大阪・四天王寺の石舞台、大阪・住吉大社の石舞台、広島・厳島神社の板舞台となっている。
干潮時と干潮時から満潮に向かっての鯛視した写真をどうぞ。
能舞台は1680年のもの。毎月4月に「桃花祭御神能」が行われ、ユネスコ無形文化財の指定されている。
この急角度!古社に多く残っていますね。渡れるところが少なくなってきました。
干潮から満潮へ!
→西廻廊から出口
2023年、ここの砂で出来た夫婦茶碗を買いましたね!
→摂社・末社「金毘羅神社」
厳島神社出口すぐですね。ちょっと見落としそうな場所になりますが。
祭神は「金毘羅さん」なのでオオモノヌシですね。と思ったら、飛鳥時代の安芸の豪族で、厳島神社を創建し、神職である佐伯氏も祀られています。厳島神社の初代神主「佐伯鞍職(さえきのくらもと)」です。
→2012年:境外から社殿×大鳥居
→2023年:早朝の西側からの社殿×大鳥居×鹿
すると獣臭が・・・。
→西側からの「大鳥居」と「清盛神社」
厳島神社出口を真っすぐ行くと後述する神宮寺で、左に金毘羅神社、右に進むと清盛神社です。
→境外摂社・末社「養父崎神社」「七浦神社」は海より上陸!?
「養父崎神社」は、前述した石燈籠とカラスのいわれから「御鳥喰式」という神事が執り行われる。
神様は住吉三神、シオツチと水系の神様たちですね。どうやって行くんですか??というと答えは船です!!期間限定なので乗れない時期でした!!次回、宮島制覇します!!!
▽主祭神背後にスサノオ「荒胡子神社@厳島神社境外末社」
厳島神社の出口から裏手を通って入口に戻ると「荒胡子神社」がある。厳島神社と五重塔の間にある厳島神社の境外末社。祭神はスサノオとコトシロヌシの出雲コンビですね。本殿は重要文化財。
後述する大願寺の子院・金剛院の鎮守社だったが、神仏分離令の後に末社になった。
2023年は厳島神社入口に修学旅行生が居たので、「荒胡子神社」から「五重塔/豊国神社」の次に「厳島神社」で回りました。五重塔とのコントラストが良い!
▽厳島神社の歴史が詰まった「三翁神社@厳島神社境外末社」
厳島神社裏手で、厳島神社と地下で繋がっているという噂の社務所前にある!
平安時代、平清盛が日枝神社から勧進したものが始まりと伝えられていいる
証拠に日吉お馴染みの「山王社」と言われていたようだ
明治維新後には、島内にあった末社を三翁神社に合祀した
1878年、厳島神社の摂社に指定された
三翁神社祭が行われ、舞楽が奉奏される宮島で大事にされている神社
社殿は小さいが、雰囲気のある社殿
中央殿は、厳島神社を創建した佐伯鞍職(さえきのくらもと)、鞍職の部下・所翁(ところのおきな)、村の主・岩木翁(いわきのおきな)、8歳で入水し崩御した第81代天皇である安徳天皇(あんとくてんのう)、安徳天皇の祖母で平清盛の正室・二位尼(にいのあま)、海の神様である大綿津見命(オオワタツミノミコト)
左殿は、出雲大社・オオクニヌシの別名・大己貴命(オオナムチノミコト)、サルタヒコと出雲ですね
右殿は、平安時代末期の厳島神社の巫女で、平清盛の妾・御子内侍(みこのないし)、竹林内侍(ちくりんのないし)、徳寿内侍(とくじゅないし)を祀る
右殿に平清盛が祀られていたようです
巫女が個人名で祀られているのって面白い気がする。私見では、時代の流れで神を奉仕する巫女は、ヤマトヒメなどに集約されたと思っているので、私の認識が正しければ、歴史を大事にされている神社なのだろうと思う。
▽厳島神社の神宮寺「大願寺」は宮大工集団でもあり!宮島仏像たちの習合場所(集合場所)
前述の通り、厳島神社横で、神社の大鳥居はこの寺が修復していたことは古門書よりわかっており、多くの権力者に話を通しお金を集めたよう
なお、100年ほどは大鳥居はなかったと思わせる書がある
正式名は「亀居山方光院大願寺」
了海が再興したと伝えられる真言宗の古刹
神仏分離令までは、筥崎宮(私のNOTE)や宇佐八幡宮など多くの社寺の修理造営を掌っていたよう
厳島神社の仏像たちを安置し、厳島神社の神宮寺とも
本尊・不動明王坐像は厳島大仏とも言われている
本堂から見ると厳島神社本殿が眺められるようになっている
室町時代の釈迦三尊は厳島神社の五重塔に安置されていた
神社の御祭神と神仏習合で同一とした弁才天が本尊で、6月17日のみ御開帳である
宮島に現存する仏像の中で最も古いとされる薬師如来像@重文、千畳閣の本尊・釈迦如来坐像@重文と脇侍の阿難尊者像@重文・迦葉尊者像@重文、五重塔の本尊・釈迦三尊像、多宝塔の本尊・薬師如来像、護摩堂の本尊・如意輪観世音などを安置している
勝海舟と長州藩が日本の夜明けを話した場所でもある(場所は非公開)
入ってまずは弁財天、イチキシマヒメの場所ですね。龍神様となっています。
こちらに安置されている「厳島弁財天」は、日本三大弁財天の一つとされており、全国的にも有名なんだそうな。弁財天の使いである龍神が境内の池の中に祀られている。厳島弁財天は秘仏で旧暦の6月17日にご開帳。
本堂の軒先に置かれた「なで仏様」は、体の悪い部分にご利益を頂けるという仏で、自分の悪い部分をさすって、仏様の同じ部分をさするとご利益が頂ける。
本尊は「薬師如来像」で 明治の神仏分離で千畳閣から移された「釈迦如来像」や五重塔からの「釈迦如来像」、 多宝塔から移された「薬師如来像」、「迦葉尊者」、「阿難陀尊者」なども安置されている。
現代の仏師が造った丈六不動明王坐像ですね。
倒木したんですね。。でも本NOTEでは生きています!!次の写真です!
↓大願寺から清盛神社ルートは厳島神社のビューポイント
▽清盛神社@厳島神社境外末社
厳島神社の西側と清盛神社の間の地域で、江戸時代に土砂や砂を固めてできた砂州。西松原から見る厳島神社大鳥居の風景は美しいので、厳島神社の参拝後に「清盛神社」に行くのも良い。
祭神は「平清盛」。厳島神社を宮島に鎮座させ、平家の棟梁で武士の出身でありながら政権を握った。清盛が亡くなってから770年経った後、この場所にこの社殿を建立されたそうです。
1954年、清盛の没後770年を記念して、西の松原にされた。
▽厳島神社境外末社「大元神社@重文」
大分・宇佐神宮の奥宮に大元神社があるように、厳島神社の元宮かなと思っていましたが、そうではなく、厳島神社よりも古社のようです。祭神に「国常立尊」、「大山祇神」、「保食神」が祀られている。
▽多宝塔@重文:廿日市市宮島町121
桜の時期は、水族館から大元神社の山側を抜けて多宝塔に行くと、桜と厳島神社のコントラストが素晴らしい(という写真を見た)。
▽大聖院:廿日市市宮島町210
明治の神仏分離令までは十二坊の末寺を有し、厳島神社の別当職として祭祀を司ってきた宮島の総本坊。
→大聖院全体
宮島で最も古い歴史を誇り、厳島神社の別当寺として祭祀を司り、社僧を統括してきた寺院。真言宗御室派の大本山で、島内仏教信仰の中心となり、弘法大師が求聞持の秘法を修めた遺跡を管轄している。
厳島神社から弥山の方向に5分ほど坂道を登った場所にある。宮島最古の寺院で空海こと弘法大師が開いたとされる。平家、足利将軍、豊臣秀吉、伊藤博文や、鳥羽天皇や明治天皇などの皇室、ダライラマ法王も参拝している。
1回転回すごとにお経を1回唱えるのと同じ功徳を得られると言われている「摩尼車」があり、帽子をかぶった「五百羅漢」が並んでいる。
本堂・勅願堂は、豊臣秀吉が奉納した本尊・切不動明王が安置されている。お不動さんの周りには「百体不動」と「千体不動明王像」がいる。
御成門の右手にある「観音堂」は、チベット密教僧によって作られた「砂曼荼羅」や、金色に輝く「弥勒菩薩」、「戒壇めぐり」がある。
行基菩薩作の十一面観音立像は長谷寺クラスの大きな仏像で厳島の本地仏として本殿背後に安置されていた。錫杖を持っていたら長谷寺式十一面観音ですね。また厳島神社から移った薬師如来坐像は額に傷が残っている。
806年、平安時代に僧・空海が唐から帰国、宮島へ渡り弥山で修行をなされ開基
宮島で最古の歴史を持つ寺院
摩尼殿には、弥山の守護神・三鬼大権現が祀られていて、健康・長寿などに御利益がある
自分の身体の悪いところと同じところを撫でると治癒すると言われている「撫で仏」
愚痴を聞いてくれる「愚痴聞き地蔵」
柄杓で水をかける「水掛地蔵」
触ると福がやってくる「目だしダルマ」
3回まわして自分の罪や煩悩をすりつぶす巨大な「大摺粉木(大すりこぎ)」
包丁に感謝して調理した霊を供養する「包丁塚」
纏めると御利益ワンダーランド!!
→境内へ
→「仁王門」境内カフェ「大聖院茶室」
現在の仁王門は1939年に再建されたもの。獏、龍、鳳凰、雲、如意宝珠が彫られており、巨大な草鞋と鈴付きの鈴の緒が垂れ下がっている。
ランチもできるカフェもありますね。と言いたいが、豊臣秀吉が茶会を開いたこともあるという「大聖院茶室」である。季節ごとにお茶会も開かれるようです。
御成門(おなりもん)まで続く階段の手すりには「大般若経筒」というものがある。まわしながら登ると経文を読んだことになる。
反対側には、五百羅漢が並ぶ庭園がある。 冬は1体1体に毛糸の帽子を被せる。
→宝物館
宝物館は5百羅漢の道に続いている。ってアンパンマン??
弘法大師作と伝えられる「不動明王坐像@重文」は、後述する弥山の「大日堂」に安置されていた。国の重要文化財に指定されてからここに安置されている。弥山仁王門の仁王像もここに収蔵されたようです。
不動明王の脇侍は菩薩ですね。文殊菩薩と普賢菩薩なら本尊は釈迦如来坐像でしょうし、勢至菩薩と聖観音なら阿弥陀如来でしょうし、本来は何だったのでしょう。興味のあるところです。可能性としては日光・月光菩薩なら薬師如来となるが、坐像であり持っているものから薬師三尊はなく、釈迦三尊や阿弥陀三尊かと思います。
下の写真から広目天かな?四天王がいたということは、チーム釈迦(車間如来×文殊・勢至菩薩×四天王)の確率が高いかも。
ただ、明治時代の神仏分離、廃仏毀釈でバラバラになったことも考えると、分からないな・・。
→「御成門」と「鐘楼」
鐘楼は、京都妙心寺の黄橦調を模したもの。御成門をくぐると庭園があり、それを囲むように建物が並んでいる。素晴らしいお堂が並んでいるのが分かる。
金剛界式大日如来がありますね。言うことを聞かないと大日如来は、コワモテな不動明王になります。如来=神様では和魂、明王=神様では荒魂ですね。
門柱には「真言宗御室派・厳島御室」と「弥山本坊・大聖院」とある。
→「勅願堂」
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に海上安全と必勝を祈願したといわれる念持仏、波切不動明王が安置されている。「守り砂」というお守りは、このお不動の前で祈祷された砂が使用されている。
おっ十二神将と思ったが数が違う・・・「十六善神」ですね。十六善神は大般若経を守護し、常啼菩薩・法誦菩薩、玄奘三蔵・深沙大将の20体となっている。んっ16じゃない・・。
本尊「波切不動明王立像」は良い仏像ですが、護摩で黒くなっていますね。
→「勅願堂」から「大師堂」へ
煩悩を浄めて、108の智慧(知恵) をいただく「百八観音霊場」です。
極楽観音が安置され、広島の「百八観音霊場」の巡礼スポット。
観音様は相手によって姿と形を変える。仏像では変化六観音で表現することが多いが、一般的には三十三観音も多い。西国三十三札所など、33が多いのは、観音さまの数字ですね。
涅槃像と十六羅漢。その手前に釈迦の足跡を石に刻んだ仏足石がある。
京都・鞍馬寺(私のNOTE)、滋賀・太郎坊(私のNOTE)と同じく修験道と天狗ですね。
→別名八角万福堂「万福堂」には宮島七福神
万福堂は八角の形をしており、別名八角万福堂とも呼ばれてる。池の中心に建てられており、お堂の中には宮島七福神(大黒天、毘沙門天、恵比寿天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋尊)の木像が安置されている。
→足元には四国八十八カ所札所「遍照窟」
大師堂の地下にある。世の中を平和にするため、幸せの火をあまねく(遍)てらす(照)道場(窟)という意味なんだそうな。
足元には「四国八十八カ所」札所の砂が埋められていて、『お砂踏み』をするとお遍路参りしたことになる!?
金剛界式大日如来坐像と胎蔵界式大日如来坐像が石仏ながら並んでいる。
→「阿弥陀堂」
大師堂途中にある。阿弥陀三尊を安置している。2層の方形造りで面白い。
→裏手に謎の参拝場所「大師堂」1つだけ願いを叶える「一願大師」
この大師堂の裏手に一願大師がある。
「一願大師」は、願いごとをひとつ叶えてくれるといわれるご利益スポット。
神社では一番神様に近い場所として本殿裏に祈願場所を置くところがあるのだが、ここにもあるな。って、寺だけど・・。
なかなかお姿の良い愛染明王です。奈良・西大寺(私のNOTE)級に感じました。
→摩尼殿
弥山の守護神である三鬼大権現が祀られている。三鬼大権現は偉大な神通力を持つといわれ、あの伊藤博文公も厚く信仰した。弥山に行くと御堂があります。
外観の彫刻と建物が美しく、迫力ある龍や獅子の隅木彫刻は必見。弥山にもお堂があり、天狗の姿のようですね。堂内は写真禁止!
弥山三鬼堂に同じく、大日如来の化身である時眉鬼神(じびきしん)、虚空菩薩の化身である追帳鬼神(ついちょうきしん)、不動明王の化身である魔羅鬼神(まらきしん)の三鬼神を全国唯一でお祀りしています。下から見上げると屋根の造りが圧巻です。
→「観音堂」
1932年と新しいが、広島県内最大の仏堂。明治天皇が観音堂の御所で宿泊された所でもあるので「明治天皇行在遺跡」として看板が取り付けられている。厳島神社の本地仏「十一面観音」が安置されている。
お堂左側は下の写真です。
お堂右には、チベット密教の僧によって作られた「砂曼荼羅」や金色に輝く「弥勒菩薩」が安置されている。
上の写真はイッちゃっている「目出しダルマ」。
下の写真は「狸僧」です。狸僧は「物事に対して、寛大太腹」、金袋には「金運を呼ぶ」、笠は「災難から身を守る」という意味がある。
観音堂には「お戒壇めぐり」もある。
→春の火渡り式
▽大聖院奥「瀧宮神社@厳島神社摂社」
祭神はタギツヒメとスサノオです。背後懸崖に「白糸の滝」があるので「滝宮」とも呼ばれている。の称があり、1180年、安徳天皇に譲位した高倉上皇は平清盛と参拝しているようで、龍神じゃないか?とも思うのだが。
スサノオって、愛娘・スセリヒメの夫で浮気性?のオオクニヌシを高いところから睨んでいるところに鎮座している感じがするのは気のせいか??
▽粟島神社@厳島神社末社
大聖院の旧社僧・東泉坊の鎮守社で、スクナヒコを祀る。粟島さんと称して女性特有な信仰を集めている。大聖院から下りすぐ左手に鎮座!
▽四宮神社@厳島神社境外末社
「しのみやじんじゃ」と読み、紅葉谷公園内にある小さな神社で、中宮とも言われている。
祭神は火の神「加具土神(カグツチノカミ)」で、キュートな狛犬である。元は紅葉谷川の上流である御陵川沿いに建立されていたが、前述した大国神社に合祀され、現在の地に遷座した歴史がある。鳥居の扁額には「四之宮神社」と「大国神社」となっている。
実は大国神社はここから厳島神社の本殿横に遷ったのではないかとも思ったり。扁額を移すかな??
▽霊山「弥山:霊火堂、磐座、山頂、御山神社@厳島神社奥宮」
山頂は、野生の猿の群れ!巨岩・奇石のパワスポですね!!繰り返しになるが、「安芸の宮島」は、島そのものが神域のため、背後の「弥山」は、林業や農業が禁止されていたため、古来からの原生林が残っている。世界文化遺産に登録されたのは「厳島神社の建造物群と背後の弥山を含む森林区域」となっており、神島なんだとの認識である。
厳島神社が海上に建てられたのは、ご神体である島に直接建造物を作るのを避けたためといわれている。
弥山展望台・・・・・・10:00~16:00
弥山本堂・霊火堂・・・ 8:00~17:00
そんな弥山は今では登ることができる。登山道は三本で、ロープウェイのそばを通る「紅葉谷コース」、大聖院仁王門から登る「大聖院コース」、大元公園から駒が林を通る「大元コース」である。
ロープウェイもあるので、駅付近だけ景色を楽しむのも良し、駅から歩いて頂上まで行くのも良し!ロープウェイ公式HPで確認を!
ただね甘く見ないほうが良い・・・。この順で参りました!
古代から霊山とされ、人々の信仰の対象だった
806年、空海こと弘法大師が修業道場を開基
空海は厳島神社の宮司を継承している佐伯家出身である
ロープウェイです。
15:00ぐらいに上がっても展望台と本堂ぐらいじゃないかな。。16:30になったら徒歩で下山です。90分かかるので時間には注意を!
まずは獅子岩展望台です。
この段階でキツイと感じる。。。弥山本堂→不消霊火堂(霊火堂)→弥山山頂の磐座→御山神社コースです。はい、舐めていました。。京都・愛宕神社級ですね・・。いや、部分部分での角度がえぐい・・・。
登りが終わったと思うと、あああ~下るんかい・・。
写真撮る元気なし・・。なので動画紹介です。頂上に行くにつれて磐座・奇岩・巨石がアチコトに出てきます。
→弥山本堂
本尊は「虚空蔵菩薩」で、脇侍に不動明王と毘沙門天なので、天台宗のような組み合わせ。平宗盛が寄進した大梵鐘@重文もある。
帰国した弘法大師・空海が100日間修行したところとも。
虚空蔵菩薩は、智恵と福徳を司り、戦国武将に信仰されていたようだ。
→不消霊火堂(霊火堂)
その時から消えずに燃え続けていると言われるのが「消えずの霊火」(って、比叡山(私のNOTE)と山寺の話にもつながる)
消えずの霊火は、登山道の途中にある「不消霊火堂(きえずのれいかどう)」にある(獅子岩駅から徒歩20分程の所にある)
この火で沸かした大茶釜の湯は、万病に効く霊水と言われている
山頂手前の「干満岩」は、大きな岩に小さな穴が開いていて、その中の水は海の潮が満ちると溢れ、潮が引くと乾くと言われている
霊火堂の横には「錫杖の梅」があり、弘法大師が立てかけた錫杖が根を張ったというものらしい。。。
この火で沸かした水を飲むと万病の病に効くとか。ということで挑戦しよ うとするが、モクモクと立つ煙と護摩でギブアップするのであった・・。
ちなみに火をバックアップしてるようだ。これで比叡山のように火が消えても続くんだな。
帰りたい気分だが、10分休んで山頂を目指す!!
→景色が良い「三鬼大権現」は天狗兄弟
大聖院「三鬼堂(さんきどう)」の紹介は他力本願でこちらを参照ください。
806年、空海は弥山で修行した際に、三鬼大権現を勧請したと伝えられている
初代総理大臣の伊藤博文も篤く信仰した
三鬼堂の「三鬼大権現」の扁額も弥山本堂とともに伊藤博文の直筆
三鬼大権現堂は、「福徳」の徳を司る鬼神・追帳鬼神(ついちょうきしん=本地仏:大日如来)、「智恵」の徳を司る鬼神・時眉鬼神(じびきしん=本地仏:虚空蔵菩薩)、「降伏」の徳を司る鬼神・魔羅鬼神(まらきしん=本地仏:不動明王)を指す
三鬼大権現は、大小の天狗を眷属に従え、強大な神通力で衆生を救うとされる
後述する「御山神社(みやまじんじゃ)」に祀られていたが、神仏分離で三鬼堂へ遷座させたよう
ふと思ったのだけど、厳島神社は宗像三女神の和魂で、奥宮・御山神社は荒魂だったのでは?そして、仏教が入り、宗像三女神と三鬼大権現が紐ついたのかなとも妄想してしまうのだが。
と考えていると頭は回復してきた。そして、景色が素晴らしい!!晴れていたら、もっと素晴らしいのだろうな。
→観音堂・文殊堂
弥山本堂と弥山展望台の間にあり、どちらがが観音堂でどちらかが文殊堂か分からないなと話をしていました。手前は観音堂で奥が文殊堂のようですね。
どちらにしても、文殊堂は文殊菩薩で、観音堂には観音菩薩を安置している。、
ふと思ったのだが、ラインナップのお堂が鳥取・三徳山と似ている気がしてきたぞ。
→弥山山頂の磐座「不動岩」「くぐり岩」と展望台
古代祭祀場だったと分かる磐座ですね。どんどん登ります!
この隙間に入りますと不動明王ですね。ということで「不動岩」で良いでしょう。しかし、階段が怖い。私たちの前にいた家族はコケそうになっていました。そのままコケていたら、大けがになりそうな・・。
では、山頂の入り口にもなる「くぐり岩」です。これは参道なんだと思います。
展望台からの景色です。
やっぱ人工的に並べられたとしか思えない・・そうでなければ奇跡だなと思う。自然は偉大なり!
下の写真真ん中がロープウェイです!あそこから歩いたのか・・自分で自分を褒めてあげたくなった。
では、ここまでをダイジェストでどうぞ!動画です!!
下の写真の正面にある巨石の間から来ました。
ガイドの方に「御山神社」はどこから行くかと聞くと、下の写真の右側からが良いとのこと。右に行くと細くて急な階段があり、そちらを下って行くと御山神社です。(が、本堂からロープウェイルート逆の下り階段の方が近いです・・。)
先にお伝えすると、行く人が少ないと思われます。ロープウェイルートよりハードです。登りは相当きついんじゃないかな・・。途中、山登りの格好をした人ばかりと出会います。観光ルートではないなと思います。
せっかくなので、攻めます!が、一番初めのところが自然階段っぽく、先行きが不安ですが、戻る気もしないので突き進みます。下りは膝のダメージが大きい。
妻が「炭治郎~」といきなり話してきた。振り向くと割れ石ですね。『鬼滅の刃』ゆかりの場所とかなりそうですが、聞いたことがないので、来る人少ないんでしょうね。
→「干満岩」「舟岩」「疥癬岩」
干満岩は、海が満潮のときには溢れ出し、干潮のときには乾くといわれている「弥山七不思議」の一つ。
自然石だろと思わせる階段で、木の生え方が変だなと横を見ると岩の上に木が生えている・・。あっパンフレットで見た岩だ!!
ロープウェイ逆方向は奇岩が多い!なるほど、役行者、修験道など好む場所だなと・・。
→「大日堂」「水掛地蔵」「鯨岩」
弘法大師が修法の道場として建てたのが大日堂で、弘法大師作といわれる大日如来が安置されている。不動明王は、台風災害のため、(前述の通り)大聖院霊宝館に安置されています。本堂背後には巨石ですね。
806年、弘法大師空海によって修行の道場として創建
平安時代末期に、後白河上皇と妻・建礼門院が宮島に訪れ「厳島神社の神は大日如来を本地としている」と発言している
1376年、「弥山御堂神護寺」として再建(神護寺といえば京都・神護寺)
大日堂は「厳島神社の別当だった」ということになる
1599年、毛利輝元によって再建し現在に続く
ああ~大日如来坐像が安置されていた!弘法大師の作といわれる大日如来を安置するようです。
「神護寺」と名乗っていたことからやはり京都・神護寺(私のNOTE)のイメージもあったのでしょうかね。
さっ、どんどん下って厳島神社奥宮・御山神社に向かうぞ!と気合が入りなおした次の瞬間・・なんじゃこの階段・・急だな・・・。もう戻れないな・・・行くしかない。って、はじめの方の手すりないし、途中の手すりは凹んでいます。倒木でしょうね。。
この階段を下り左に行くと本堂で右に行くと御山神社です。弥山本堂・霊火堂から山頂に行く場合、この階段は怖いかも。。この階段上る気にはならないな。。
階段を下ると登山クラブっぽい大学生が私たちを行く方向から登ってきた。この階段を見上げて、女性が叫んだ「ヤバッこの階段・・上るの??」と。上からだと急で、下から見ると上が見えないのだろう。男前が「俺が先行で行くは!」と言い盛り上がっていた。
私たちはさらに階段を下る。御山神社と思ったら「水掛地蔵」でした。
そして、急ではないが足をぐねりそうな階段に変化します。こんなのが続きます・・。そして登山服の方が登ってきます。顔が死んでいます・・。
徒歩で下山する気はないが「どんな感じですか?こういうのが続きますか??」と聞くと「はい」と元気がない回答でしたね。ということで「仁王門」は行かないことにした。厳島神社の奥宮は行きたい!
この後に本堂で道を尋ねてきた海外からのお客様カップル。、フェリーまで歩くと言っていたが無事着いたのかな??
→厳島神社末社「御山神社」
本NOTEのルートか、弥山霊火堂から仁王門方面へ下がる2ルートがある。途中左手にいきなり現れるのだが、下の写真と鳥居で気づくのでスルーすることはないだろう。
厳島神社の奥の院で山頂近くの大きな岩の上に建てられています。
神代の昔、アマテラスの娘である宗像三女神が降り立った場所として、3つの社殿がある。社殿の神紋も厳島神社と同じですね。
本殿裏はやはり磐座だ。しめ縄はないが乗る気にはならなかった。
この神紋!!そう厳島神社でもありましたね!!
ちょっとボリュームが足りないんで他力本願です。油断大敵なんですよね実は。
ここを下がっていくと仁王門がありますが、仏像は寺の宝物館に移されたので、本堂→ロープウェイに戻ります。
→本堂に戻り、ロープウェイで下山
帰りは気持ち的に楽だった。ただ、足は棒になっていた・・面白いものですれ違う人たちに「こんにちは」と言いたくなるのは何なのか・・。
ロック地蔵??たしかにロック(岩)な場所でした・・・・。
ロープウェイなしの場合の見どころは次の写真です。これを見てロープウェイ必須と思った。予想以上にきつかった。
いろいろ大変ですね。
でだ「弥山」って奈良にもあるよな・・そう!「天河大辯財天社」ですね。なんか繋がりあるのかな・・。
▽ここも必見「豊国神社(千畳閣)@厳島神社境外末社」&五重塔:廿日市市宮島町1-1
神社を見下ろすところに建築したのは神を上から見下ろすためなのか?という人がいる。なるほどね~と思ったり。
→五重塔@重文
→紅葉の名所「豊国神社@重文(千畳閣)」
宮島の五重塔の近くにある「豊国神社」は、畳857枚分の広さがあることから「千畳閣(せんじょうかく)」と呼ばれている。
高台にあるため景観が良く、風通しも良い。千畳というだけあって広いため、ゴロ寝も可能のようだ。(2023年、ごろ寝NGの絵があった)
神社ツウは神社名から「豊臣秀吉」だとわかるかと。豊臣秀吉が戦で亡くなった者への供養するために、1587年に発願した大経堂。秀吉が急死したため、壁板もないまま工事が中断。明治に秀吉霊神を祀り豊国神社と改称した。「千畳閣」はその前の名称なのだろうか。その後、加藤清正を合祀した歴史がある。
1587年、豊臣秀吉が発願
1598年、完成しないまま秀吉死去
完成しないまま今に至る・・・
明治の神仏分離令で、仏像を大願寺移し、豊国大明神を分霊し廃仏毀釈の難を逃れた
絵馬が多いが、元々は厳島神社に奉納されたもので、回廊に飾られていた
ここからは厳島神社逆の風景です。
厳島神社方面です。
下通れます!って談山神社(私のNOTE)と同じですね。
▽道祖神社(幸神社)@厳島神社末社、北之神社@厳島神社末社
サルタヒコですね。
1800年頃までは疫病の神の「牛王天王」が祀られていた。その後は「幸神社(サイジンジャ・現在はサイワイジンジャ)」となる。本殿後には陰陽石があり、これが道祖神の神体とされていて道祖神社とも言われていた。
徒歩10秒の場所にある「あなご丼」の名店からの香りがたまらない。その匂いが確かに「幸」ということか!?
▽厳島神社末社「今伊勢神社」「在光院」
元々は神仏習合!急な階段要注意!!!寺は残念ながら2023年は修復中でしたね・・。
今伊勢神社の祭神はアマテラス、八幡大神、奥津彦神、スサノオ、オキツヒメ、春日大神、サルタヒコ。相殿に藤原鎌足が祀られている。
って、上るのが怖い超急な階段です。降りるときは裏の坂から行くと良いでしょう。裏の坂はフェリー乗り場前に出ます。最後の方は急な階段になりますが。
▼ぐるっと宮島再発見(宮島裏側):厳島神社摂社・末社を船参拝??
次回はこことフェリー乗り場周辺の寺を巡ります。宮島コンプリートさせます。
▼メディア情報
2023年に宿泊したところは神社が見えるのですが、朝方に大量の鳥が鳥居付近に・・。なんじゃアレ?と思っていたが謎が解けました。
では宮島情報です。
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄かXで追記します。
▼旅行記
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