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ものを書くこと(ライター&創作)

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ライターであり、創作活動(アマ)をしているわたしの「ものを書くこと」関連のnote。
運営しているクリエイター

#書くこと

がんばれ、凡人の脳みそ

がんばれ、凡人の脳みそ

うんうん頭を捻る。脳みそを振り絞る。ぐーっと考えてばかりいたら、視野も思考も狭まって、かえってよくないんじゃないかと思い、ぼーっと椅子に座ったまま天井を眺めてみる。……はい、ぼーっとしてみても何かが「降ってくる」ことはなく、ただぼーっと時間が過ぎゆくだけでした。残念。

映画「ベイマックス」に、主人公・ヒロが大学に入るための発明中(でいいのかな)、己の限界にぶち当たって「使えない脳みそめ!」と頭を

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ずっと「何もないなあ」と思うのかもしれないね

ずっと「何もないなあ」と思うのかもしれないね

何もないなあと、思ってしまう。自分に対して。

わたしができることを万人みんなができるとまでは思わないけれど、少なくとも似たようなことをやっている人たちの中だけで考えてみると、わたしがやれることは「当たり前」の範囲内のことであり、そこに甘んじていたらダメだぞ、おまえは何にもできないんだからな、という声がする。

まあ、実際「できる」人間ではない。そこそこ何となく、ならなんとか……が関の山で、「でき

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あえて、書かない

書かなければならない義務なんかなかった。はじめにあったのは、ただ「書きたい」、それだけだった。

理屈っぽく、見ようによっては可愛げのなかった子ども時代のわたしは、ただひたすら思考と感情を文章にすることが好きだった。口達者のくせして肝心なときほど役立たずになってしまう口に比べ、文章であれば深く大きな呼吸ができる。自由に書ける。上手に書きたいと思ったことはなく、ただただ書いていたかった。たぶん、「書

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垂直に書く

垂直に書く

ホルモンのせいで体調が芳しくない週末だった。

寝転がってスマホでパズルゲームをしたり、本を読んだり、漫画を読んだり。掛け布団にくるまったり蹴飛ばしたりしながら、不調をやり過ごしていた。(まだ痛い。困る)



最近、母校の文芸部のホームページを久々に検索してみた。HTMLタグを手打ちで作ったのであろうイニシエのホームページは今も変わらず存在していて、パスワード式の掲示板も未だに健在だった。(パ

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たとえ本当の姿を正しく残せないとしても

たとえ本当の姿を正しく残せないとしても

好きであればあるほど、うまく言葉に表すことができない。懸命に言葉にしようとすればするほど、本当から遠ざかっていってしまう。どんどん余計なものを貼り付けて、飾り立てて、そうして受け取ったときに抱いた感情とは別のものにしてしまう。

身体も心もすべてが飲み込まれるような「好き」は、取扱注意な壊れものだ。少し力を加えただけで、もう違うものに形を変えてしまう。形が変わってしまうだけならまだしも、壊して取り

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「読んで」って、いつも言えなくなってしまう私だけれど

「読んで」って、いつも言えなくなってしまう私だけれど

昔むかし、わたしにとっての読み手は妹でした。その頃に書いていたのはルーズリーフ。読み手は妹ただひとり。どこに出すわけでもなく、中学生頃までのわたしはただただ書いていました。

中三の秋、文化祭に行った高校で手に取った文芸部誌。そこに書かれていた小説や短歌の数々にすっかり魅了されたわたしは、当時の偏差値では無理めも無理めだったにも関わらず、その高校を第一志望に。

結果、志望校に入学。はじめて妹以外

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名のある日記帳から、名のないnoteへ

名のある日記帳から、名のないnoteへ

「こんなことを考えています」と書きはじめたのは、小学校一年生のこと。

本来は日記である「あのね帳」に、途中から「しぜんはたいせつ、しぜんをまもろう」と連載スタイルで毎日書き綴ったのが最初だ。

読書感想文も、感想というよりも小論文のようで、子どもらしさはあまりなかったかもしれない。幸いだったのは、「意見します」といった可愛げのないスタンスの文章も、先生方がおもしろがって受け入れてくれていたことだ

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我思い書く、ゆえに我あり

我思い書く、ゆえに我あり

夫の仕事が当面休みのため、言ってしまえばこれまでより時間・体力的には楽なはずの外出自粛期間。(ふだんは90%以上ワンオペ)にもかかわらず、妙に疲れるし夜は眠いし、これは単にホルモンの時期によるものなのか、本当に疲れているのか、自分でもよくわからない。

ただ、書くときの集中力は何となく減だ。いや、確かに減だ。能率が悪くなっているなあと思う。割とインドアで出不精なわたしですらそうなのだから、もともと

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わたしの「聞いて・書く」、何かお役に立てませんか

わたしの「聞いて・書く」、何かお役に立てませんか

非常事態が起こると、いろいろな人が自分にできることを探しては、時に「自分には何もできない……」と無力感に打ちのめされる。そんな姿を、これまでも何度も目にしてきました。

2011年の震災のあとには、個人的に好きで読んでいたブログを書かれている人たちの多くが、上記のような状態に陥っていました。節電する必要性が叫ばれていたし、「楽しいことは自粛すべき」といった雰囲気もあったから、いくつものブログが「更

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インタビューメディア「ミチイロ」をはじめて。

インタビューメディア「ミチイロ」をはじめて。

先日、こんなことやるよーとnoteに書いた。

無事、先日7日に開始。小さな一歩を踏み出した。

わたしはTwitterの固定ツイートに、以前からこんなことを提示している。

1年と少しが経過した今も、わたしには書くことしかない。ここに「聞くこと」が加わってできたのがミチイロだ。



人のことをコンテンツのネタにする、ということに抵抗感がある。だから、基本的にわたしが個人で書くものは「わたし

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揺らぐ光の話を、聴かせて

揺らぐ光の話を、聴かせて

あのとき、ああしていたら、とか。あのとき、何も言わなかったら、とか。そんなことを思わないなんて、無理だ。

人生は一度きりしかなくて、一時停止もスローダウンさせることもできなくて、ただただ残酷に時間は過ぎる。ついこの間まで賑やかにやっていたはずの人たちも、お互いの環境の変化で何となく疎遠になった。「ついこの間」といったけれど、そのついこの間は、もう10年も前の話になる。

それぞれが、それぞれの生

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完成させつづけること

完成させつづけること

文章は粘土細工や油彩画みたいだ。

付け加えて、削って、削りすぎて、また付け加える。「ここで終わり」だと決めなければ終わらない。そして、その終わりを決めるのは自分だ。

趣味で書いているものであれば、いついつまでも手元に置いておける。作品に一生涯手を入れ続けた画家がいたように、一見完成品に見えたとしても、本人が未完成としてしまえば永遠に未完成のままだ。

でも、仕事の文章はそうはいかない。締め切り

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書くことが好きだと思っていたけれど

書くことが好きだと思っていたけれど

「書くこと」に出会ったのは、文字を覚えた幼稚園時代のことだ。

拙い字で絵の横に描いたものを書き記し、それがいつしか絵本のようなマンガのようなものに変化した。

絵本を読むのが好きな子どもだった。2歳の頃には、絵本を与えておきさえすれば静かにしていられる子どもだったらしい。文字を読めるようになる前から、物語の世界にどっぷり身を沈めていたのだろう。

マンガのようなものだったり、日記だったり、自然の

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痛みや苦しみは必須じゃない

痛みや苦しみは必須じゃない

苦しさを乗り越えて到達した山頂からの眺めは格別だ。達成感が美しさを際立たせるのだろう。山登りは趣味ではないけれど、あの「やった、綺麗!」という感覚は身体が覚えている。

同じようなことなのか、誰かがハードルを乗り越えた先に何かを成し遂げることに、わたしたちはいたく感動する。投げかけられる「感動しました」「勇気をもらいました」の数々。

代表的なものはスポーツの試合や大会だろう。スムーズに実績を打ち

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