ずっと「何もないなあ」と思うのかもしれないね
何もないなあと、思ってしまう。自分に対して。
わたしができることを万人みんなができるとまでは思わないけれど、少なくとも似たようなことをやっている人たちの中だけで考えてみると、わたしがやれることは「当たり前」の範囲内のことであり、そこに甘んじていたらダメだぞ、おまえは何にもできないんだからな、という声がする。
まあ、実際「できる」人間ではない。そこそこ何となく、ならなんとか……が関の山で、「できる」には程遠いことばかりだ。それでも少しでも成長したいし、せねばならんとも思うし、他でもないわたしを選んでくれた相手には喜んでもらいたいし、がっかりさせたくないし……とこんがらがったり思い詰めたり。良い反応に安心し、至らなかったら申し訳なさでしゅるしゅる身と心を縮ませて。それでもなんだかんだと食らいついている、そんな感じで生きている。
「この人ってすごいなあ」とか、「こうはなれないなあ」とか、「引き出しが多い上にどれもこれも深いのとか何それどうやったらそうなれるんだ」とか、あれやこれやと思いながら、自分、浅いなあーと思ったり。「本当におもしろい人だなあ」とか、「知識が豊富だなあ」とか、「ユーモアセンスのかたまりだなあ」とか、センスの良さに「ひゃー」と思いながら、自分、つまんないやつだなーと思ったり。
まあ、隣の芝生は青いというからには、わたしを青い芝生だと思っている人ももしかしたらいるのかもしれないけれど。
まじ、無難でしかないなとか。頭かったいなとか。結局はただのマジメっぽいつまんない人間にしか過ぎないんだよなとか。そんなことを思い、しゅーんとなることもね、ある。めちゃくちゃある。ありまくる。
「表現したい欲が本当に強いんだね」と、とある人に言われたのはもう三年近く前のこと。今のわたしは、欲だけ強くてもなー、力が見合ってないとどうしようもないんだよなーと思う。まあ、それでも書くんだけど。やめられないんだけど。
「才能」とか言い始めたくなったら、「そんなん言えるほどおまえは努力したのか、言い訳してんじゃねえ」と自分をぶん殴らねばという思いに駆られる。それでもまあ、天性のアレコレはたぶん持ち合わせてはいないんだろうと思うくらいには大人になったよねとも思う。せめて、少しずつでも旨味のある人間になりたいものです。歳を重ねることで意味が生まれるものだってあるだろう、そう思っていたいよね。でも、きっとずっと「何もないなあ」と思いつづけるような気もしている。結局のところ貪欲なのだ、わたしは。