垂直に書く
ホルモンのせいで体調が芳しくない週末だった。
寝転がってスマホでパズルゲームをしたり、本を読んだり、漫画を読んだり。掛け布団にくるまったり蹴飛ばしたりしながら、不調をやり過ごしていた。(まだ痛い。困る)
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最近、母校の文芸部のホームページを久々に検索してみた。HTMLタグを手打ちで作ったのであろうイニシエのホームページは今も変わらず存在していて、パスワード式の掲示板も未だに健在だった。(パスワードも変わっていなかった)
文芸部では、卒業生たちが文化祭に合わせて冊子を作る活動を行っている。わたしも一度寄稿したけれど、その後は連絡先を知らない見知らぬ後輩が取りまとめていたこともあり、活動状況を知りもしなかった。どうやら、2019年までは活動していたらしい。掲示板にその様子が書き込まれていた。
2019年の書き込みには、現役部員がひとりになってしまった、とあった。そのため、卒業生の活動もフェードアウトしそうな雰囲気だ。「残念ですが、時代の流れかもしれませんね」。その見知らぬ後輩の書き込みに、パソコンから目を離してぼうっと壁を見つめた。
とはいえ、本当に「時代の流れ」かどうかはわからないな、と感じている。部員がいない=書く人がいないわけではないからだ。少なくとも、わたしが在学当時の文芸部の雰囲気は、ちょっと近寄りがたい雰囲気があったから。何なら、わたし自身が部員じゃないけど書いている人だった。結局、たまたま部員の子と友達になったのを契機に、部誌に書くことになったのだけれど。
今は昔と違って、あちこちに書いたものを載せられる場所や手段があるから、「部」としての必要性が希薄になってしまったのかもしれない。ただ、同年代の人たちの書いたものを読めるのは良い機会だった。純文学やラノベ、短歌など、いろんなものを書いている人たちがいたなあ。
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なんでまた唐突にホームページを検索してみようと思ったかというと、顧問の先生が卒業時の部誌に寄せてくれた言葉が、近ごろやけに頭から離れないからだ。
「平行に書ける人はたくさんいるけれど、垂直に書ける人はそうはいない。君たちは垂直に書ける人たちです。卒業おめでとう」
卒業を祝う文章のなかにそう書かれていた。当時はあまりこの言葉について深く考えることはなかったのだけれど、卒業して15年近く経つ今になって、この「垂直に書く」という言葉がわたしのなかで存在感を増してきている。
「垂直に書く」とは、一体どういうことなのだろう。わたしは、文字通り物事を深堀して考えて考えて、そのアウトプットとしての「書く」を「垂直に書く」と理解していた。果たしてそれで合っているのかはわからない。
「垂直に書ける人たち」という言葉を卒業祝いに受け取ったわたし(たち)は、さて大人になってしまった今、垂直に書きつづけることができているのだろうか。
体調に振り回されて頭のなかが取っ散らかり、文章がまとまらなくて天井を眺めていた日曜日。あの先生は、わたしの小説を初めて読んでくれた大人だったのだなあと思い返す。先生、今もわたしは書いています。垂直かどうかは、ちょっと自信がないけれど。