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たとえ本当の姿を正しく残せないとしても
好きであればあるほど、うまく言葉に表すことができない。懸命に言葉にしようとすればするほど、本当から遠ざかっていってしまう。どんどん余計なものを貼り付けて、飾り立てて、そうして受け取ったときに抱いた感情とは別のものにしてしまう。
身体も心もすべてが飲み込まれるような「好き」は、取扱注意な壊れものだ。少し力を加えただけで、もう違うものに形を変えてしまう。形が変わってしまうだけならまだしも、壊して取り返しのつかない状態にしてしまう怖さもあるのだ。
結局、適した言葉はいつだってシンプルで、けれどもその背後には言葉にできないあれやこれやがあるのだと思う。それらを伝えるすべを、わたしは持っていない。「書く人」なのに、持ち合わせていない。
不完全だと思う。わたしの扱う言葉には、何かが足りない。何かが何なのかについて、その正体をおぼろげにはつかめているのだけれど、それもまた、言葉にしたとたんに嘘を孕ませてしまう。できるだけ本当に近づけようとするために足りないものは、簡単にいえば覚悟なのだろう。あと、恐怖心に打ち克つ心だとか。安全圏にいながらにして手が届くわけなんて、ないのだ。
でも、そうはいっても、わたしは今いる場所で何とか生きていかなければならない。ただでさえバランスを取るのに苦労するタイプなのに、自ら不安定に突き進むわけにはいかない。安全圏から出て先の見えない穴に手を突っ込んでみようとしないのは、だからわたしの防衛本能が働いている、ともいえる。今いるこの場所の地盤を固めることのほうが、生きていくためには必要だ。わたしには子どもがいる。もうひとりでは、ないのだから。
それでも、「深みに入ってみなくていいの?」と囁く。そのままでいいのか、と問われる。断ち切れない思いが、しゅるしゅると体に巻き付いていく。その場所で満足していていいのか。見たいものはそこにはないのではないか。首をひねり、違う景色を見せようとする。だけど、そこに突っ込んでいくと、きっとわたしはバランスを崩してしまうのだ。
感受性をフルに使って受け止めたものほど、うまく言葉にできない。無理に正しそうな形に整えずに、そのままふわふわ漂わせておくほうがいいのではないか、そんな気持ちになる。でも、そうなると過ぎ去る時間とともに失われてしまう。本当からほど遠かろうが、言葉にしておくことで今を封じ込めることができるのも、またひとつの事実なのだ。
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