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【無料で5000文字読めます】親から無条件に受け入れられた経験の重要性(コフートの自己心理学とフロイト・ユング・交流分析)

みなさんいかがお過ごしでしょうか。
トビタケです。

だんだんと寒くなってきまして、北海道ではもう雪降り。
みなさんも、寒さに負けず、風邪をひかないように気をつけてくださいね(*^^*)

今回は、向後善之さんの『わかるカウンセリング 自己心理学をベースとした統合的カウンセリング』を参考書として、コフートの自己心理学について学んでみたいと思います。

また、それを起点として自己変革と対人関係論の完全版をお送りします!


本編

この本では、最初の方に、幼少期からのこころのダメージについての説明があります。

災害や肉親との死別、事故等によるトラウマは、もちろん急激なダメージとなりますが、もっと幼少期の体験の中でじわじわと形成されるこころのダメージがあります。

「ダブルバインド」と「ミスティフィケーション」というのがキーワードです。

 ダブルバインドとは、相異なるメッセージを同時に発することで、例えば、常々子供に「将来は、(世の中の常識にしばられることなく)なんでも自分の好きなものになりなさい。」と言っているにもかかわらず、子供が(仮にA君としておきましょう)「ぼく、将来コメディアンになりたい!」と言ったら、お母さんが、「そんなものにさせるために育てているわけじゃない!」と怒ってしまうような対応の仕方です。
 A君にすれば、お母さんの言うとおり、自分の好きなもの(コメディアン)にならなければならないはずなのに、同時に「好きなもの」自体を否定されてしまって、頭の中が混乱してしまいます。そして、A君は、「コメディアン」自体を否定されてしまって、頭の中が混乱してしまいます。そして、A君は、「コメディアン」ではなく、無意識的に、「大企業の社員」を自分の理想の将来像と思い込もうとします。なぜなら、そうすれば、母親のメッセージをとは矛盾しなくなるからです。

『わかるカウンセリング 自己心理学をベースとした統合的カウンセリング』p.2

 ミスティフィケーションは、他人の気持ちを勝手に代弁してしまうやり方です。例えば、「うちの子は、五歳の時、自分からケイオーのヨーチシャに入りたいから塾に行きたいって言うのよ」というような介入の仕方です。本当に(奇跡的に)五歳の子供が塾に行きたいと言ったのなら、それはめでたい話でしょうが、たいていの場合、それは親の希望の反映にすぎません。
 子供から、お母さんから「Bちゃんは、ケイオー大好きなのよねー?」と言われてきたら、「あ、そうか。僕は、外で遊ぶよりもケイオーに入るために塾で勉強したかったんだ」と思い込むようになってしまうかもしれません。また、マンガを読みたいと思っている子供に対し、「Cちゃんは、マンガなんて大嫌いだもんね?」と言いながら、世界文学全集を与えるなどもミスティフィケーションといえます。そこには、母親の自分の子供に対する、「小さい頃から文学全集を読むような、勉強のできる良い子になってほしい」といった欲求が隠されているのですが、そうした自己愛的な欲求は、巧妙に隠されています。

『わかるカウンセリング 自己心理学をベースとした統合的カウンセリング』p.3

ダブルバインドとミスティフィケーションで共通することは、その経験が、それ以降の自分の気持ちを殺してしまう要因になることです。

結局自分はどうしたらいいんだ?と分からなくなってしまうんですよね。

やってもいいよ、やっぱりやったらだめだよ。
あなたはこうに決まってるでしょ、そうだよね?

と言われ続けると、自分がなくなってしまいます。

本書に書いてあったエピソードで、こんなものがありました。

小学校1年生のときに友だちに「お前将来コメディアンになれるよ!」と言われ嬉しかった男性がいて、母親にそれを言うと、そんなものを目指させるために育ててきたんじゃないと言われた。それが二十年経ってうつ病になったときに、カウンセラーに「きっといいコメディアンになったと思うわ。だって、あなたは、人を楽しませるのが、とっても上手だもの」と言われて涙が止まらなくなった。二十年間ずっと待っていた言葉をかけられたから。


少し、本にない内容をはさみますが、

「自己一致」が重要だよと言った人もいます。

それは、カウンセリングの基礎、自己理論を作ったロジャーズという人なんですが、簡単に言うと「自分に嘘をつくのはやめようね」ということです。

ロジャーズは、自分が自分をどう評価しているか、自分をどんな人だと思っているかという「自己概念」を、先天的な体の感じ(ホンネの欲求)と一致させることを重要視しました。

不一致の状態は、例えばこんな状態です。

・自分はホントは楽しいことが好きなのに、その本来の印象とは違う自分を植え付けられる
・自分の体がホントは恐怖でふるえているのに、自分は恐れを知らない勇者なのだと思い込んでいる

これは、先ほどの「ダブルバインド」や「ミスティフィケーション」によって生じる現象でもあると思います。

ホントのことを知るのは怖いですが、いつになっても、自分のほんとうの気持ちと、自分の過去に向き合う必要性は出てきます。


ようやく本題の自己心理学(コフート)に入りますが、

人間の精神的成長に必要な基本的な欲求は三つあり、

・他人から無条件の賞賛を受けたいという欲求
・他人を無条件に理想化しようとする欲求
・特定の他人の有用な資質を自分も持ちたいと思う欲求

これらが適切に満たされ、そして同時に

・母親の失敗(無条件には要求に答えられない部分)
・理想像の失敗(他者も完璧ではないのだということに気づく)

という過程を経ることでみずからの資質と力に気づき、自己変容をしていくことができるとされます。


少々分かりづらいと思うので解説したいと思います。

人は生まれてから、お腹が空いたらお母さんにミルクをもらいます。泣き叫んだらお腹が空いたんだねということを察してもらえ、無条件にみずからの要求を受け入れてもらうことができるんです。

私という存在は、受け入れてくれる他者と繋がっていて、無条件に受け入れてもらえるという「安全な基地」が心のなかに形成されます。

しかしながら、次第にこのような理想的な母親の呼応が、実は完璧ではないということがわかってきます。泣いてもすぐには来てもらえないので、少しの間、生理的な欲求を我慢しなければいけません。

ここで、自分と母親は実は分離した存在なのだということに気づきます。自分の要求が完璧には応えられないという「適度なストレス」を感じることで、少しの間がまんするという「自分の中の力」を悟ることができるのです。


また、成長の過程において人は他者の理想的な部分、有用な部分に注目するようになります。兄弟や友人、親などに対して「すげえ人」、「完璧な理想像」という印象を受けることがあります。そして、その親切なところであるとか、力強いところ、よく頑張るところ、しなやかなところなどを自分も身につけたいと考えます。

しかしながら、これは本書の中に出ていた例ですが、父親がパソコンを買ってきたけれどもコンピュータに弱くて、実は子供である自分のほうが十分に操作をすることができると気づく。そして、完璧ではない、完全ではない他者を認識することで、自分も完璧ではないものの自分でもできるというほのかな自身が芽生えます。


このような、他者との関わりの中での自己の認識において、

・無条件の受容
・他者の性質の摂取

の欲求を持ち、そしてそれらと付き合っていくことで人は育っていくのだと言います。


幼少期の心のダメージの原因は、まず無条件の受容がなされなかったということがあればそれが大きな原因となります。

人は、その時々の状況に対応していくための「心の安全基地」を幼少期に育てられ、挑戦できる心のしなやかさを身につけることで成長していきます。

成長といっても、新たな環境に足を踏み入れ、だんだんと適応していき、少しずつできることが増える。ということだったり、

今いる環境の中で自分のできることを見つけ、折れないで生活の工夫をしようとする。

これが成長であるので、あらゆる状況にいる人が成長の連続の最中にいると考えられます。そこで、心に問題が生じたり、身体に症状が出てきたり、解決のできない悩みがだんだんと大きくなってきたりするのは、何か生活や心のバランスが不均衡になっているからかもしれません。現在、あるいは幼少期・過去の経験も合わせて。


精神分析の創始者であるフロイトは、

超自我(何をするか自動的に判断するマシーン)が、生物的・本能的な欲求を押さえつけてしまうことで心の奥深く(無意識)にある葛藤が生み出されるとしました。それが悪さをしていて、心の問題が生じるとしました。

超自我(自動判断マシーン)が、ホンネの自分を殺すマシーンとなってしまっていないかを注意深く見てみることが重要です。

先ほどの「ダブルバインド」や「ミスティフィケーション」は、超自我をホンネの自分を殺すマシーンにしてしまう引き金になりかねません。

また、深く考えてしまわないように無意識に思いをしまい込む、心を守るための防衛機制=抑圧というのも、ときに心の問題を引き起こす原因になっています。


ユングは「無意識の認識できていない部分」において、例えば

・責任感を持ちなさい

という教育を受け、責任感の強い人になった人が、人生の「生きられなかった反面の部分」として「無責任に自由に生きる」という葛藤の要素を持つと考えました。

これが、シャドウ(影)として心につきまとっているのだということです。

対人関係の中で、このシャドウの存在が「嫌悪感」などに繋がることもあります。シャドウは、自分がホントは生きたかった反面だったりするからです。


精神分析の現代語訳と言われている「交流分析」という流派では、

「脚本分析」というアプローチがあります。

これは、カンタンに言うと形成されてきた不合理的な「人生のシナリオ」を再考しようという営みです。

人生とは、各自がシナリオを演じているプロセスです。

アドラー心理学でも不幸な人は不幸な「ライフスタイル」を自ら選択しているだけだ。幸福になろうと思えば書き替えればいい。と言われますが、

脚本分析では、シナリオはまず両親のメッセージを受け入れてできたと考えられます。事実やホンネに基づかないシナリオは個人を苦しめるし、個人の持っている能力を超えた期待を押し付けられても個人は苦しみます。

・長男として絶対に家業を継承してほしい
・あなたは女の子だから控えめにしてないといけないよ
・好きなようにしていいけど、私には迷惑をかけないでね
・進学するお金はないから、すぐに就職して家を出てちょうだいね
・有名私立大学に合格させるために、大手予備校に通わせているんだよ

そんなメッセージが、知らぬ間に個人のシナリオを形成します。

また、状況ごとにそのメッセージが個人を応援する形に働くか、個人を縛る方向に働くかは変動します。

良いメッセージであっても、良くないメッセージであっても、まだ自我が未熟な幼少期においては「親から有無を言わさず伝えられたメッセージ」として強く影響を与えます。

・各自の興味や能力に適さないことを強いるメッセージ
・各自の独自性を実現・発揮することを否定するようなシナリオに繋がるメッセージ

これらは、どんな思いや考えを持ってかけた声であっても相手を苦しめてしまいます。


心のひっかかりを解くカギが、今回ご紹介した各理論の中にあると思います。

カギとなるのは、個人の欲求です。

・無条件に保護者に受け入れてもらいたいという欲求が満たされること
・やりたいことを頭ごなしに否定されないこと(ホンネを言えること)

心理学を学んで、どこか満たされていなかった部分に気づいて、何か1つ取っ掛かりを外すことができたら、少しずつ自分の気持ちが認識しやすくなるかもしれません。

そのようなアプローチで人は癒やされることがあると思います。


ここからは、幼少期からの心のわだかまりがあったり、自分の気持ちが複雑に絡まったりしている場合でもシンプルな解決を目指していく「アドラー心理学」をご紹介して終わりにしたいと思います。

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