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本とのつきあい

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本に埋もれて生きています。2900冊くらいは書評という形で記録に残しているので、ちびちびとご覧になれるように配備していきます。でもあまりに鮮度のなくなったものはご勘弁。
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#聖書

『ゲーテはすべてを言った』(鈴木結生・朝日新聞出版)

『ゲーテはすべてを言った』(鈴木結生・朝日新聞出版)

2025年の第172回芥川賞受賞作。いつも受賞作を読むわけではなく、興味があつたら『文藝春秋』の発売を待つのだが、今回は早くに目を通したいと思った。地元福岡では大騒ぎだったのである。だが、私が興味をもったのは、福岡県民だったから、というだけの理由ではない。
 
作者が若いクリスチャンだったからである。否、それだけでも関心はそう湧かない私である。しかし、西南学院大学の大学院生であり、教会関係でも牧師

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『詩篇の花束』(広路和夫写真・草苅美穂花・いのちのことば社)

『詩篇の花束』(広路和夫写真・草苅美穂花・いのちのことば社)

義母に差し上げようと思った。店頭で見たとき、これはステキだ、と感じたのだ。
 
2003年に発行され、入手したものは2014年の第8刷である。長きにわたって、よく売れているということなのだろう。ただ、私が好んで買うタイプの本ではなかったので、私の視界には入っていなかった。いま、こうして誰かのために役立つことを考えるようになって、目に映った景色だ、ということだろうか。だから、写真がこよなく美しく輝い

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映画「きみの色」

映画「きみの色」

8月末に封切りで、この近くでは遂に10月末で上映終了となった、映画「きみの色」。その最終上映で、機会を得てやっと観ることができた。
 
ずっと観たかった。山田尚子監督の作品は好きだし、評判も良かった。こういうとき、私は細かな下調べはしないことにしている。殆ど白紙の状態で、映画館に臨むのがいいと思っている。今回も、評判の良さ程度が、予備知識のすべてだった。
 
結果、言葉にできない感動を与えられた。

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『加藤常昭説教全集24 ペテロの第一の手紙・ヨハネの手紙一』(加藤常昭・教文館)

『加藤常昭説教全集24 ペテロの第一の手紙・ヨハネの手紙一』(加藤常昭・教文館)

加藤常昭先生の本は、振り返ってみると、ずいぶん読んでいる。代表作はもちろんのこと、聖書講話シリーズや、道シリーズなどもある。翻訳ものを含めると、個人別にして一番多く持っているだろう。だが、「説教全集」は、一冊も持っていなかった。なにしろ高いのだ。そして、きりがないからだ。
 
しかし、D教会で一年間説教を続けた2003年度のものが入った巻があるという。D教会のH牧師から聞いたので、「これは」と思っ

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『光かがやく未来へ』(千葉明徳・イーグレープ)

『光かがやく未来へ』(千葉明徳・イーグレープ)

本書を読み始めて、最初に言い様のない違和感に襲われた。目次はいいとして、最初に出会う文章が、「推薦のことば」であった。それが10頁もある。5人が寄せている。教会や保育園をつくったということで、大きな働きをした著者だということは分かる。だが、これほどの推薦文を冒頭に並べる本は、ちょっと記憶にない。
 
「はじめに」は「死刑囚からの手紙」であった。すでに回心した死刑囚が、著者を呼び、若い人たちに福音を

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依存と信仰について

依存と信仰について

新教出版社『福音と世界』誌は、いつも新たなチャレンジを投げかけてくれる。お決まりの良い子でいるキリスト教雑誌もいい。心が洗われる。本誌は、心が洗われる効果は殆どない。だが、常に新たな視点をもたらしてくれる。知らないことを教えてくれる人が多いというのは、私にとり良い雑誌である。もちろん、それらは真摯な姿勢であり、多面的な調査や研究に基づいた記述であり、信頼のおけるもの、という理解に基づいての意見であ

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『天の国の種』(バーバラ・ブラウン・テイラー;平野克己・古本みさ訳;キリスト新聞社)

『天の国の種』(バーバラ・ブラウン・テイラー;平野克己・古本みさ訳;キリスト新聞社)

以前本書をメインに据えて触れたことがあるが、本の内容の紹介はしていなかった。本書に関して再読する機会があったとき、それで発覚した。以前読んでいたのに、このコーナーにまとめていなかったのだ。不覚である。遅ればせながら、ご紹介申し上げる。
 
最初に読んだときも、そのイメージ豊かなメッセージに驚愕した。それは明らかに聖書を逸脱している。だが、いま手許の私たちのいる世界での場面としては、まさにそういうこ

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『イエスの降誕物語 クリスマス説教集』(及川信・教文館)

『イエスの降誕物語 クリスマス説教集』(及川信・教文館)

日本基督教団の牧師である。その説教集が何冊か出版されている。私は好きだ。
 
神の言葉を自分における出来事として聴く。それを語る。また、安易にキリスト教を弁護しない。むしろ、キリスト教世界や教会の中に、とんでもない罠が潜んでいることを感じており、それを告げるのに憚らない。
 
私がもし牧師だったら、きっとこの人のように語るだろう。考えるだろう。だから好きだ。非常に共感できる、ということだ。
 

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『聖書的説教とは?』(渡辺善太・日本基督教団出版局)

『聖書的説教とは?』(渡辺善太・日本基督教団出版局)

加藤常昭先生のお薦めであった。1968年発行の本である。探すと入手可能だった。半世紀以上前の本である。届いた本は日焼けしていたが、線引きなどなく、気持ちよく読めた。
 
渡辺善太(ぜんだ)は、牧師も務めたことがあるが、印象としては説教者である。神学校で教えることも長かったと思う。とにかく「説教」について極めようと努めた方である。本書には、その説教への熱い思いがふんだんにこめられている。
 
自分の

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『書物としての新約聖書』(田川健三・勁草書房)

『書物としての新約聖書』(田川健三・勁草書房)

いつか読みたいと思っていた。ただ、手が出なかった。最近では8000円+税である。分量があることは厭わないが、先立つものがとにかくない。古書も決して安くはならない。価格がどうなのかを、ずっと見守っていた。ここでは明かすが、私はこの度、これを1400円で手に入れたのである。送料込みで1500円を少し超えるだけの価格提示に対して、少しばかりポイントを使ったのだ。それも、線一つ引かれていない、カバーと天に

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『八色ヨハネ先生』(三宅威仁・文芸社)

『八色ヨハネ先生』(三宅威仁・文芸社)

同志社大学神学部元教授・八色ヨハネ先生は去る十一月一日に、独り暮らしをしていた大阪市西成区のアパートで死亡しているのが発見された。享年八十八。
 
物語は、この2行から始まる。その扉に「本作はフィクションであり、登場人物や出来事は作者による創作である」と記されているが、「同志社大学神学部」は設定場面であるから、創作ではないということなのだろう。著者は、その同志社大学大学院神学部(研究科)教授である

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『キリスト教の本質』(加藤隆・NHK出版新書708)

『キリスト教の本質』(加藤隆・NHK出版新書708)

さて、どうしたものか。この本について書かなくてはならない。
 
まず、我ながらよくぞ最後までこれを読んだものだ、と自分を褒めてやりたい。若い頃、こうした本を読んだとき、途中で壁に本を投げつけたことがあった。人間、まるくなったものだ。
 
若いときには、憤りをそのまま出していた。だが今回は、怒りはなく、憐れみの思いが膨れ上がってくるのを感じた。どうしてこの人はこんなになってしまったのだろうか、と。最

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『主が、新しい歌を 加藤さゆり説教集』(加藤常昭編・教文館)

『主が、新しい歌を 加藤さゆり説教集』(加藤常昭編・教文館)

説教者を知らなくても、編者の名前から検討がつくだろうと思う。日本で説教を最も重視し、説教塾を立て、何百人もの牧師の説教に対する考え方をつくりかえた加藤常昭氏の妻である。
 
2014年8月、本書の発行後間もなく召された。
 
1964年の大きな手術以来、多くの病を担い続け、もはや治療不可能という事態になり、本書が編まれた。夫常昭氏の、感情溢れんばかりの、しかし結局は信仰に溢れた形の、「まえがき」や

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『凜として生きる』(平塚敬一・教文館)

『凜として生きる』(平塚敬一・教文館)

キリスト者として、何かしら重荷を負うというものがあるという。どうしてだか分からないが、そのことのために心血を注ぐしかない、という思いで生きるのだ。生きることが、考えることが、すべてそれのために営まれている、という気持ちになる。
 
著者にとり、「教育」がその重荷であるのだろう。しかも、「キリスト教教育」である。キリスト教を信じさせる教育だという意味ではない。教育する側が、キリスト教精神を以て教えて

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