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採用されて勤続丸6年の障害者の俺がトイレ掃除のできる「奥様」になるとは?定着率をあげたい採用担当や求職する当事者の方へも伝えたい熱情



障害者雇用の定着率アップの鍵は「雑用」に対する価値観が大切になる

障害者雇用で今の職場に6年以上在籍が実現できたのはトイレの神様のおかげ

「今日で障害者採用から勤続7年目になりますね。6年間もお疲れ様。6年といわずウチの会社でぜひ10年を(目指してね)」周囲から拍手♪


と朝礼で言われるくらいになったら嬉しいと思いませんか?


私は同僚たちの前で店長から直々にそんな言葉をもらえたん
です。私は少なくとも今でも幸せを感じます。

この言葉をもらえた背景があります。

なぜ店長が私に10年選手を目指してとねぎらってくださったかを述べていきたいと思います。


さらに具体的に言います。


私はなぜだかわかりません。大手企業(*注1)といわれる会社に転職が落ち着いて今年で障害者雇用枠で6年間以上働き続けることができています。

私にはトイレの神様が与えてくださる幸運(金運?)が舞い込んで来てるというのが大きいのです。


突然ですがあなたが健常者から急に障害者になってしまいましたとします。
でもそれにめげないあなたは障害者雇用でなんとなくこの会社で良いと思い応募し運良く採用されます。

ただし最初は雑用ばかりで仕事が面白くなく結局試用期間も満たされぬままでこんなつもりではないと別の会社を探して「私にふさわしい会社」を探し続け?結局どこにも大手企業から採用が来ないままになって時間ばかりが過ぎてしまう。


就労継続支援A型はもちろんB型の低賃金にも魅力を感じない。
無賃金で就労支援移行にも行くのは回り道ですぐにでも稼ぎたい。
大体あの手の組織って障害者を食い物にして補助金を目当てに障害者をだしにして自分たちがビジネスチャンスをもらいたいだけで当事者の心を大事にできていないよね。

なんてことのないように。

そのために私は特別に今回の記事を書きました。

少し耳の痛い内容もあるでしょう。あれこの記事の著者って(上から目線で)感じ悪いという印象ももしかしたら与えてしまうかもしれません。

ただ、あなたにも偉そうな発言をしたいから書いているわけでないのです。

ちなみに精神障害者などメンタルをやられて自殺に陥る可能性の高いのは無職の状態だという統計があるそうです。

この記事を読んでくださってる方には決して命を粗末にしてもらいたくないです。

心を病んだからといってあなたが自殺すべき理由なんてありません。
私はあなたの存在価値を高めたいとまで思います。

仕事が長続きできて周囲から自分の出勤を歓迎される。
あなたがこの職場にいて助かるって言われたいだけです。
そのために私は今パソコンのキーボードを連打しています。

確かに障害者雇用で仕事が長続きしないで困ってる定着率をあげたい雇用主や人事の方へも言いたいことがあります。


トイレの掃除など障害者にはその辺の雑用でもやらせておけ?


障害者の雇用で求職者と雇用者側のどちらの立場の人にも参考になるように配慮したいと思います。

でもまず言わせてください。


障害者にはトイレ掃除等は任せておけばよい
なんていうメンタリティになっていたら大問題ですよ。

その企業の持ってる文化や社会的な意義はその程度ということでしょう。

私はお店で雑用を任されてる立場です。

しかしそれらの仕事を他の人へ譲るつもりはありません。

もちろんやり方を教えてくださいとか、私もやりたいというならシェアしてあげてもいいですけれど。

だってやりがいのある仕事に間違いはないんです。
この私が保証します。少なくとも私には明日があるし。

だれがこの一連の楽しい仕事を譲るもんですか?

私は誇りを持ってこの仕事を続けてるんです。

障害者にでもやらせておけばよいですか?

まずはトイレ掃除を舐めないでくれますかね?

雑用という小さな仕事を任せられないで大きな仕事が任さられると思ますか?

元マクドナルド店長時代にも大活躍された炎の講演家の鴨頭嘉人さんの言葉

上のこの原則。元マクドナルドで店長として大活躍され、今はYoutube他で炎の講演家として露出されている鴨頭嘉人さんから私はずいぶんと励ましをもらいました。

あのピカピカ輝いてる鴨頭さん。
Youtubeでしかまだ拝見したことはありません。

でも鴨頭さんの口から発した言葉が今も私の耳に残っています。

雑用は大事です。さらにトイレの掃除も特に大事ですと熱弁していますよ。



雑用の仕事の価値を舐めないでください。


あなたには雑用の仕事ができるというのにそこに満足したくない。
にもかかわらず自分には雑用以上の価値があると信じているわけです。

例えば私は有名大学を一生懸命勉強して合格し様々な経験を得て大きな仕事を任せてもらえるはずだと会社に期待して入社します。

で幸か不幸か中途で障害者になってしまったものの。

私の労働力市場における価値があまりに低く評価されている。
そしてそんな待遇は自分のプライドがそれを許さない。

もっと「いい仕事」があるはずなのに⁉️


どうして私にこんなちっぽけで誰にでもできるような仕事が回ってきてそれを毎日毎日のようにやらせられている?

え?ちっぽけ?

え?誰にでもできる?

え?やらされている?

あなたの気持ちに共感できる人はどれくらいいるんでしょう?


「そうだね。障害者だからって雑用押し付けるようなひどい会社はじめからこっちからお断りだよね?」

という類の共感なんでしょうか?

もしそれは本当だとしますね。



それって実に低次元な共感かなぁ。


例えば掃除ばかり延々と毎日毎時間している若年男性について「もっといい仕事ができるのに(もったいない)」という感想を述べた身内がいました。

その身内は私よりも数歳だけ若い女性でした。

仕事が公務員の身内でした。私はこの身内にとても悲しい気持ちになっています。


もっといい仕事って何なんです?

ゴミの収集でお仕事をされ同時にお笑い芸人をされるマシンガンズ滝沢秀一さんの発信を読む限りです。

まだまだエッセンシャルワーカーと呼ばれる仕事について意識の低さが私の身内にも懸念されます。


もっといい仕事という評価にはどこか職業に貴賎はないという原則からズレを持ってるかのようです。


いい仕事ってデスクワークとか頭脳労働なんですか?


もっと組織を動かすような頭脳を使う仕事ですか?体を使う仕事だから汚い自らの身体を汚す仕事はいい仕事に入らない?

などなどその身内と縁を切りたくなるくらい嫌な気分になります。

まぁ一流国立大学から同大学院で法学部卒業をして順調に出世し今は管理職のその身内がどうなっているのか?
鬱病状態で今は仕事の現場から離れて静養しています。
休職している間は実に苦しそうです。

公務員って食いっぱぐれないし有利でいい仕事かと思っていませんか?
激務ですよね。

さて、いい仕事もいい仕事をしていない人も本当にいるんですか?
まずはそこからです。

例えばオフィスでお茶くみやコピーを取る仕事ばかりやらされてやりがいがないなんていう話をかつてはよく聞きました。

いわゆる内助の功みたいな話ですね。

大好きな漫画で総務部総務課山口六平太という作品があります。
いわば総務部は会社の女房役という言葉みたいなものでしょうか?


内助の功のどこに問題があるのでしょう?


それはやりがいのある仕事とそうでない仕事があるという仕事にたいする二項対立的なものの見方、仕事観そのものに問題がある(*注2)と私なら思います。

数ある従業員の中で指名されて仕事を任されるという意味

きっと承認欲求は誰にでもあるものだとして。

自分の周囲からこんなふうに言われるのが悔しかったりするのかもしれません。

障害者には雑用でもやらせておけばよい。障害者も含め
新人やアルバイトには雑用や単純作業などでもやらせておけばよい。

著者の思いついた残念な職場の構文たちより

「~でもやらせておけ」構文へ異議有り!

は?
なんですと?

埼玉県民には草でも食わせておけっていうディスりの発言以前の問題です。
(かつては私はチバラキ県民でしたけど。)


仕事は指名を受けてできるもの。
使命感をもつとモチベーションもあがりますし。

例えばタクシードライバーという職業。


感動させるドライバーさんは常に指名を受けます。
自分の仕事にやりがいや自信をお持ちです。


気くばりの効かないドライバーさんはご指名をなかなかもらえません。

どうしたら人気の高いドライバーさんになれるか?


それは快適に乗られるお客様へ気配りができたり運転の仕方が丁寧だったり乗車されている間にいかにおもてなしができるかにかかってるのでは?

英語や日本語以外で外国語が堪能なタクシードライバーさんの話を聞いたことがあります。日本の観光名所を母国語に合わせてくださいとか。
そのドライバーさんは海外から観光客からひっきりなしに指名されているそうです。

それを思えば、これやってほしいとあなたはたしかに仕事をもらったのですよね。

あなたに頼まなくて誰に頼むのでしょうか?
タイミーアプリであなた以外にやってもらうとさらにコストをかけてお店の経費を圧迫させるわけにはいかないかもしれません。

雑用かいい仕事なのかという評価は実はあなたではなくて、あなたの周囲にひとまず委ねておけばよいでしょう。

もっとも「自分のやる仕事への価値は自分で見出す」くらいの主体性をもてればなおよいのだとも思います。

そして自分の労働の価値って案外時給換算ばかりが絶対ではなく相対的なものかと思うのです。

加えて雑用でもやってほしいという要請を受けるまえに自ら動いて率先して引き受けると仕事に対する楽しさも増します。

歴史を遡ると秀吉の信長に対する貢献度を振り返るまでもありませんよね。

自らやりますという仕事が雑用であれトレイの掃除であれ任せてもらえるのは誇りにもつながります。

自ら仕事を買って出るという姿勢は大変重要なものです。

私は前にも述べたことがあります。
働くの語源は周囲を楽にするという「傍を楽にする」にあると私は信じています。


だから無理してまで働くことはありません。

働きたい人が働きたいで大丈夫です。
働く意欲がないのに働くのを強いられると辛いのだと私は今になって思うのです。

ただしそれはきちんと休養ができて心の健康さをたもつ十分な健康状態をもっているし仕事にも趣味にも家庭でも活躍できるというワークライフバランスのとれた状況でという保留が必要です。


雇用する側が過労死させたり、やたら低賃金で長時間の労働で人を搾り取るようなあこぎな企業文化を礼賛するものではありません。

もっともフリーランスで働くのも全部自分が何もかも責任を応分会社の束縛から解放されたからといって自由が得られるとは限らないのです。

自由な働き方はその人にしかわからないものでもあるようですしね。



俺は障害者雇用の枠の中で「奥様」になる

いよいよ主題に入ります。

奥様になるとはどういうことか?

その人はお掃除の達人かもしれないです。

もともと奥様とは

奥様:「お店やお家の奥で帳簿などを管理しあまり店頭には顔を出さない重要な位置についている」様のこと。

学部時代に指導教官から教わった「奥様」の言葉の語源

さらに婦人という漢字は「ほうきを持ってる女性」を指すとかつてNHKのアナウンサーで人気だった鈴木健二の気配りのすすめの関係での講演で聞いた記憶があります。

女性には女性らしい仕事の役割があるから。
それをもっともらしく言う勢力があります。

性別役割分業の固定化したい保守反動みたいな思想には私なら抵抗したい側の人間かもしれません。

かねてから疑問でした。


なぜだか妙齢の女性が男性のトイレ掃除には抵抗なく入ってきますね。
でも、男性が女性のトイレ掃除をしに入ってくると、女性がぎょっとしませんか?


入社して初めてトイレ掃除を任せられた当初の頃です。
社員の方にノックをしてもらってから中に人がいないか必ず確認してもらったものです。


マスクで必死に顔を隠しながら恥ずかしさ一杯で女性トイレ掃除をしていました。


当店は構造上なぜだか掃除用具は女性トイレの奥の方にしか器具庫がありません。お店の都合で男子トイレには掃除用具はおいてないタイプです。


この辺は配慮がまだまだ行き届いていないんですよね。


中年男性の私だって掃除をする時は今でも必ず女性であれ男性であれ障害者用であれトイレをノックして誰もいないことを確認していますしそうすべきでしょう。


障害者健常者とか男女の区別なくお客様用トイレ全般を私は担当していて、女性のトイレにばかり道具が集中するのはちょっとおかしな話かと思うのです。


ジェンダーフリーが盛んなこのご時勢です。


中年男性の「俺」がかつての女性の内助の功のような役割を果たそうともがいています。

かつて女性中心だったかもしれないトイレなどの炊事掃除洗濯。
俺が奥様の仕事を引き受けるんです。


つまり、

俺は障害者枠の「奥様」になる。

ワンピースもびっくり?!


かつての婦人の役割を男性も担うんです。

社会学者のイリイチはシャドウワークという概念やジェンダーという概念を提唱したそうです。

イリイチの研究成果はともかくとして、女性はケアという無賃金労働により長期間ずっと搾取されたままだったと大学院時代に学びました。

だからというわけでしょうか男性である俺もケアの仕事を分担するのは男の使命であるとさえ思っています。

女性でないので出産はできなくてもできる仕事は多々あります。

トイレの掃除も洗濯機で衣類を洗う仕事も全部(少し苦手なところは教わりつつ)やります。

お店の出勤時には、俺が男性であろうとなかろうとも多くの女性と分担して担当範囲を大きく広げていきます。


つまりは自分を成長させていくんです。


お店の仕事で炊事だけはできませんがやれと言われたら喜んで自慢の料理の上でを発揮したいところです。


オレオレと俺ばかり言ってきました。ここで一度自分の一人称を「俺から私へ」戻します。

私という言い方は著者の性別を女性と勘違いする人もおられるかもしれないですしね。

私という呼び方ながら私は中年男性で独身(毒死じゃなかった)です。


一方で、奥方なんていう言葉もありますね。

中年男性ながら私はそのような立場を続けていきます。

お店の黒子や裏方の立場で働く姿勢が私には強く響くのです。



トイレ掃除はモノの輝きを生み出し人を輝かせる



汚いトイレで誰がスッキリさせられますか?


きれいなトイレは必要なんです。人が必要としています。

(猫ですら汚いトイレだとストレスを感じるとも言いますね。)

トイレをきれいにたもつ仕事は地味ですね。
そしてまた私はお店ではむしろあまり目立ちたくないんです。
ただしでも声だけは大きくありたい。

お店に足を運んでくださるお客様には大きく元気な声で挨拶をします。
たまには店頭で展示品のお掃除やメンテナンス、品出しなどします。

その時の私はお客様がお店から出られる際には頭を下げます。
来店時にはご来店への感謝をしつつご頭をさげて挨拶します。

接客5大トークとか7大用語ってなんでしたっけ?
最初これらを言わされると恥ずかしかったりなにかやらされてる感に悩みますね。

でも、移動で新しく入ってくる方や新しくお店に入る新人さんには
「私は障害者雇用で裏方を担当しています。よろしくお願いします。」
このようにはっきりと自己紹介できるようになりました。

今現在の私はあまり店頭にはおりません。
だいたいがバックヤードなんです。

そこは雑用のオンパレードかもしれないですよ。
でも意外と楽しいんです。
お客様の目の届かない場所で赤裸々な雑談ができます。
お店の裏の本音も見えてきますし聞こえてきますね。


音無響子さんみたいになりたい

私は中学生時代に高橋留美子の漫画作品の「めぞん一刻」を読みまくりました。

そして大きくなったら未亡人ヒロインの音無響子さんと結婚したいと思っていました。

でも私自身が響子さんになりつつあるんです。

家事の能力のずば抜けたぼろアパートの管理人で未亡人というヒロインにメロメロになりましたが。

そして私は家事に夢中です。

上の記事を投稿して早くも1年が経過しました。
丸6年間今のお店にお世話になります。

先にも書きましたように私は双極性障害で28日周期で通院している精神障害者です。

今までの経験上、接客が好きな部分もあります。
がしかし得意ではありません。
そこは自覚しています。

今の店の入社当時は相当周囲に違和感を持たれておりました。

私に不快感を持たれてずいぶん辛く当たる同僚もいなかったわけではありませんでした。

でもそれも年単位のうちに和んでくるんです。
長時間かけての相互理解ですね。本当にご縁に恵まれています。

今この記事を読んでるあなたには私がやってきてしまった若さゆえの失敗であえて遠回りする人生を踏んでほしくないのです。

この記事が参考になったあなたのやりたい仕事へ最短コースで最速であなたの夢をかなえてほしい。そう願っています。

私は私で、出勤日である今日というこの日もトイレブラシで便器をこすり、ハンドペーパーの補充し、女性用の生理用のナプキン入れも黒い袋で交換し、おむつのはいったゴミ箱を片付け、トイレクイックルで便座を拭き取り、そして、最後には大きな鏡を磨くのです。

だれがこの一連の楽しくてやりがいのある仕事を譲るもんですか?

私は誇りを持ってこの仕事を続けてるんです。

障害者にでもやらせておけばよいですか?
いつまでもそんなふうにいってればいいんですよ。

俺は世界で一番トイレ掃除のできる奥様になるのだから。

(了)

最後に

もし参考になったら嬉しいです。

きっと雑用という仕事の奥の深さトイレの神様そして日本の生活文化から生まれた奥様という言葉の真の意味とは何なのか考えるきっかけを得られたなら…。

障害者になったがゆえに「つまらない仕事」しか回ってこなくてすぐに職場をやめたくなってる残念な事実に少しでも波風を起こすことができたなら。

著者はとてもとても嬉しく思います。

そしてまたの機会にもお会いできますように切に願います。

脚注

(*注1)私の所属する企業の従業員数はちょっとおおざっぱにいいます。
6000人以上です。社員数は1500名を超えます。

もっとも本部にいるわけでなく末端の店舗に私は在籍しています。
それはきちんとしておきますね。ただし会社の上層部であれ地方であれ私の本記事で主張したい点に影響はありません。

(*注2)かく言う私も地方の国立大学→大学院を卒業した世間知らずでしかなく新卒のカードを切った際にはずいぶん生意気な口を叩いていました。


noteは私にとって宇宙。 そんな宇宙と宇宙の間で巡り合うことの不思議さを共有したいのです。 共感してもらえたらもうそれだけで十分。 仮にも頂いたご支持/Supportはあなたに会うその日のためにプールされます。で、実際に会ってあなたとお話したらそのお金を再度宇宙へ還元されます。