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会議室と現場、科学と魔術。愛しあえば強くなる理由。

今回は「オーパーツ」の話からはじめる。

Out of Place Artifacts で OOPARTS 「場違いな工芸品」。米国の学者の造語だ。

それが発見された場所や時代とは全くそぐわない、出土品や加工品のことである。


『メイド・イン・アビス』のアビス

これ以上の画像は出さないで〜という人がいそうな、トラウマ・シーンでも有名な作品。

私がエロやグロを貼り出すことはない。恐いものにも必ず注意書きをしている。笑い話はぞんぶんに入れていく。

強制布教 ガチ同情 角界のボンドルド
とネットで話題になった。おもしろすぎるだろ。

デリーの錆びない鉄柱。

インドにある。

415年につくられて、今までさびていない。

高純度(99.7%)の鉄でできている。

ブラーフミー文字で何かが書かれている。
解読しきれていないそう。

純度の高い鉄だからさびないのではない。50年もあれば必ずさびる。野外で1500年もの間、高純度だからさびなかった?あり得ない。

今までの研究で、あらかた解明されている。

① リンが多めの錬鉄でできている。炭素が少なく(そのため強靭)リンも少ないのが錬鉄なのだが。この錬鉄は特殊。
② 鍛接でつくられた。加熱と強加圧で不純物が除去される。これを経てもまだリンの含有率は高めに残ったということ。
③ インドはリンを含む植物を加えて鉄を精製していた、という記録がある。

※一部おかしな書き方をしてしまっていた。修正した。ごめん!

センナ・アウリキュラータという植物だ。

④ 表面に FeOOH の非結晶質層が形成されている。これ以上酸化できない安定した形態だ。

これは misawite とも呼ばれている。1970年に(当時は未確認だったにもかかわらず)、FeOOH の非結晶質層というものが形成される可能性があることを予測した、日本人科学者の三澤氏にちなんで。

参考文献:『大気さび形成の機構と低合金鋼のさび形成に対するCuとPの影響』 (1971年)。『大気さび形成の機構と低合金鋼の保護さび』(1974年)。

三澤氏がいなかったら、オーパーツ(謎のまま)だったかもしれない。


要は、③がポイントだったのかもしれない。植物パワーすごい的な。でも、何かが欠けていたら④は発動しなかったかもしれないからな。

①~③やインドの気候などの環境要因があわさって、④という保護膜が発生していたため、さびなかったと。

どうやら、そういうことらしい。個人的に、「あーね」となるのに、もうひと押しほしいところ。

ここで、耐候性鋼のことを考えてみる。

耐候性鋼とは、Cu・Cr・Ni・P(リン)などの合金元素を少量含有する、低合金鋼だ。

経年とともに、耐候性鋼特有のサビが形成される。そう、さびるのだ。すると、耐候性鋼の腐食は遅くなる。サビが塗装のかわりをするような感じ。「サビでサビを制する鋼」と呼ばれる由縁である。

実際に見学におとずれた人々の、「案外さびているように見えた」「表面がザラザラして見えた。サビなのではないか」といった感想が、ネットでよく見られる。

むしろ、合点がいく。ねらわずにできた耐候性鋼のようなものだったのだろう。

うん、間違いないだろう。これ以上酸化しないコーティングの力で、これ以上さびないまま、1500年以上存在しているのだ。これを「錆びない鉄柱」とうたっていいか。いいに決まっている。

これがオーパーツ?とても科学的で現実的だ。


日本刀も、鍛接と鍛造でつくられる。

鍛接:ハンマーなどで材料を打つ。
鍛造:それをさらに打ち鍛える。

よく叩き火花を散らすことで、鉄に含まれる不純物は除去されていく。このことは、鉄に(ベーシックな)さびにくさを生みはする。

インドの鉄柱や耐候性鋼を例に考えるならば。また、一定程度以上さびないことを最重要点とするならば。リンなど、とりのぞかれない方が吉な不純物があるーーということになる。(いち仮説として)

だが。さびない刀 = 名刀 ではない。

天下五剣

日本刀は手入れを必要とする。でないと、赤サビにやられる。

過去の所有者たちが手入れをおこたらず、何百年・何千年と大切にあつかい続けて、存続している。刀とはそういうものだ。


個人情報になるのだけれど。私の先祖は、最高峰と認定された刀鍛冶だ。腕前をたたえて新しい家名を与えられた流れが、歴史資料館に残っている。彼の前後何代かも同業。

聞こえはいいが。もっぱら鍛冶しかしておらず、近隣の農家から作物をめぐんでもらっていたかもしれない。つくれるだけで、武士のように使えたわけはなかろう。

『鬼滅の刃』のこういうシーンには、ついつい感情移入してしまった。強い人、守ってくれてありがとう。

おそらくまわりに多分に世話になって、先祖は生き残った。その結果、私は今生きている。

鍛冶師の話はこの回にも書いた。


アンティキティラ島の機械。

アンティキティラ島(ギリシャのペロポネソス半島とクレタ島の間にある)の付近で発見された沈没船から、古代ギリシャ時代の遺物が見つかった。

紀元前3世紀~紀元前1世紀の間につくられた、天体運行を計算する道具だと推測されている。

内部構造
これは現代のロレックスのムーブメント。

18世紀の時計と比較しても、遜色ない。同様の複雑さをもった技術工芸品が世に出てくるのは、アンティキティラの機械から千年も後のことなのだ。(見つかっている限りでは)

「この装置はこの種のものとしては抜きん出ている。天文学的に非常に正確なつくり。極めてていねいな仕事。モナ・リザよりも希少」最後の一言は、学者の冗談であり(本来、比較するあれではない)本音でもあるのだろう。

紀元前3世紀にはすでに、アリスタルコスにより地動説がとなえられていたため、製作者がこれを知っていた可能性は高いが。だからつくれたというレベルではない。

うるう年を含んだ暦として最古の、ユリウス暦の成立は、この機械がつくられたよりも後だと考えられている。にもかかわらず。一部のダイヤルを4年に1回1日分戻すことによって、実際の1太陽年(約365.2422日)との誤差を補正することができる。

一体、どんなすごい人がつくったのだろう。
残念ながら、女性だった可能性は限りなく0に近い。
今は全くそんなことはなくなった。世界は変わった。

こちらはオーパーツらしいオーパーツだなと、そう思っただろう。

違う。そうではないのだ。因果関係は必ずあるのだ。

これを説明するには、長い話が必要だ。

途中、こんがらがってくる部分もあるかもしれないが。私に任せて、心配せずに読み続けてほしい。誰にでもわかるように書く。


Science(科学) の語源は、ラテン語の Scientia スキエンティア(知識)だ。

観察と推論によって、世界に関する特定の事実を発見し、事実どおしを結びつける法則を確立すること。= 事実と結びついているパターンの解明。これが科学だ。

将来の出来事を予測できるようにする体系的な試み、とも言えるだろう。

カール・セーガン氏はこう言った。

私たちは「中間の世界」に住んでいる。物事は絶えず変化するが、パターン・ルール・自然の法則にしたがって変化する。私が棒を空中に投げれば、それは必ず落ちる。物事を解明することは可能なのだ。私たちは科学を行うことができ、それによって私たちの生活を向上させることができる。


以下、過去回より。


自然現象の定期的な発生は、いくつかの科学分野の発展をうながした。

一定期間、観察と記録を続けると。ランダムに見えたものには、パターンがあることがわかった。予測不可能と思われていた現象も、規則的なパターンを示しはじめる。

例)日食

「太陽も勝負運(ツキ)もなんも完全にこっち向いていないが」「衝動は抑えたままターゲットとの感覚探れ」「操りたい運命の糸」


ネイティブ・アメリカンのチェロキー族は、月食は、月(男性)が太陽(女性)を訪ねる時に起こると信じていた。

イメージ的に、逆、月は女性とセットなことも多い。日本もこっち寄りと言えるかと。

過去回より。

ドイツも太陽女と月男らしい。アラビアにもそっちパターンがあると。トルコのおとぎ話(?)でも、太陽は若い女性で月は年配の男性だとか。

友人たちからの聞きかじりだ。間違っていたら申し訳ない。→ 友人が悪い。笑

北欧神話に登場するスコルという名のオオカミは、常に太陽を追いかけている。ハティという名のオオカミは、常に月を追いかけている。

北欧やゲルマンの地域で、天災の象徴にオオカミが使われることがあるのは、これに関連するのかもしれない。

ここで言いたかったことは。見解がこんなにも一致していないということである。1つの絶対的な解が定まっていない物事に対して拡がる、自由度の高さと言うか。そんなことを少し考えてみてほしい。


余談をはさむ。

英語式でジャーマンと発声していると、忘れてしまいがちだが。German はゲルマンだ。

飯テロがしたかったんだよね。

芋系の料理やスイーツを好まない私でも、美味しいと思う “ゲルマン・ポテト”。ドイツ人はこの料理をそう呼ばない。Bratkartoffeln だ。アメリカ人はアメリカン・ドックと言わない。コーン・ドックだ。日本人はけっこう自分たちで言う気がする。それこそ日本刀とか、和菓子とか。

Bratkartoffeln の発音はこの方から聞いて。↓


話を戻す。

自然界には。明確な発生パターンを示さず、特定の原因の結果として起こるようにも見えない、そんな現象もある。

そのような現象をどうにか説明しようとして、超自然的な発想が生まれた。それらは、神話や伝説と融合していった。超自然的な解釈から「魔術」も生まれた。

魔術思想とは、端的に言って。特定の呪文を唱えることで特定の出来事が起こせると、確信するものである。人々は、儀式やまじないを通じて、大自然などをコントロールしたいと願う。

たった12通りに分類される「うちらの恋のちょーし」(本当にこの文言が書いてあったのだ。私がひねり出したイヤミではない)
射手座に弓を向けられて書類を落とす山羊座すこ。笑
奇っ怪な面を直後に貼っているのが私のイヤミだ。
もっとキツいじゃん?謝らないよ。

科学:因果関係を信じている。原因をより理解できる。妥当な考えにもとづいている。
魔術:因果関係を信じている。原因が不明瞭。直感や希望にもとづいている。

直感や希望は素晴らしいものだ。私は、直感や希望を否定しているのではない。


自分がここ数年観た中で、一番おもしろかったドラマ『The OA』の内容をキーワードで羅列すると。超能力・信じる力・科学で解明されていないこと・愛・仲間・真剣さ……といった感じだ。

この作品のことを「見るタイプの信仰」と紹介する人がいる。信仰の意味あいによっては、賛成だ。

オススメの宗教関連の動画を貼っておく。YouTubeで学べるものとしては、最大限に良質だと思う。


2005年に米国で行われた調査から、わかったこと。

米国人の4人に3人が、少なくとも1つの超常現象が実際にあると信じている。米国で最も信じられているのは(4割)、ESP だそう。

超感覚的知覚/ESP(Extra Sensory Perception)とは。五感や論理的な類推などの、通常の知覚手段を用いずに、外界に関する情報を得る能力のことである。


私の「紗綾」は、伝説のヒロイン当麻紗綾から。彼女も、いわゆる超能力者だが。

ただの頭脳明晰ではなく、思考に抜群のセンスがある。性格はユニークで裏表がない。長いものには決してまかれず、己の信念を貫き通す。あきらめずに戦い続けた。孤独や悲しみから闇堕ちすることなく、懸命に生きて真の愛と絆を見つけた。

そういう、当麻紗綾の「普通の能力」が好きだ。

本当に好きな人が見つかってよかったね。
当麻も女の子なのだから、
元婚約者が悪だったのは普通に悲しかったろうよ。

作中、彼女は、優生思想から悪に染まった他超能力者たちをけなす。素晴らしい個性じゃないか・善い方向に活かせてさえいればさぞーーと、道をあやまった仲間らに残念がる。


紀元前700年までに、バビロニア人は、日食は新月の時だけ・月食は満月の時だけ起こり得ることを知っていた。ネブカドネザルがバビロンを統治した頃には、バビロニア人は、惑星の軌道を計算し太陽と月の軌道を描いていた。

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古代バビロニア人の計算技術は、古代エジプト人や古代ギリシャ人が用いた計算技術よりも、優れていた。

バビロニア人が天文学の才能を発揮した原因の1つは、ここにあるのだろう。


バビロンは、古代メソポタミア(チグリス川とユーフラテス川の間の沖積平野。現在のイラクの一部)で勃興した、バビロニア帝国の首都。

イラストのある位置が悪いな。位置は川と川の間だ。

バビロンに関する記録の最後の方では、そこはバベルと呼ばれる小さな村になっていた。衰退したんだね。

有名なバベルの塔については。創世記の中に登場するだけで架空だとする学説と、バビロンの神殿に実在した塔だとする学説と、にわかれている。


架空派と違って。実在派には証拠が要る。

戦争や過激派組織の活動により、イラクの考古学的遺産は破壊されてきた。大昔見えたであろう星々が、現代では見えなくなったように。

探求の手がかりはどんどん減っていっている。


ヒエログリフ(古代エジプトの象形文字)の数字を見てみよう。

1は棒。10は牛をつなぐ道具。100は測量用の綱。1000は蓮の葉、10000は指、100000はオタマジャクシ、1000000はおどろく人。

100万!いっぱい!!もう数えられないよ〜という感じがして、相当かわいい。

人間の感情の表出方法はずっと同じなんだな。かわ。

オタマジャクシの理由は、ナイル川で大量のオタマジャクシを見ていたからではないか。古代エジプト人は、カエルを妊娠や分娩に関わる神としていた。カエルが多産なことを知っていたのは間違いない。よって、膨大な数のオタマジャクシを見ていないはずがない。

古代エジプトには、位取り記数法は存在しなかった。


次は、バビロニアの数学を見てみよう。

よほどスッキリしており、よほど数字らしい。

六十進法による位取り記数法だった。分数のみのだったエジプトとは違い、バビロンには少数の概念も存在した。

プレースホルダーとして「0」を使用した最初の文明は、マヤだと考えられているが。


テーベ(古代エジプトの都市)の廃墟から、「リンド数学パピルス」が発見された。

リンド氏が見つけてこの名前に。書いたのはアーメスという人だ。(こんなことは確定でいい。パピルスにあった署名を疑ったところで意味がない)

数学の問題が84問書かれていた。

リンド数学パピルスの中でアーメスなる人物は、π= 4×(8/9)²=3.16049……というような計算式で、円周率を表した。

紀元前1650年頃に、256/81(3.16)だと。紀元前2000年頃のバビロニアの円周率(3.14826)の方が精度が高いのは、明らかだ。

当たり前だが。私は、エジプトが劣っていたと言っているのではない。


日本の江戸時代、大工らが用いていた円周率も、3.16 だったという。

建物をたてる時に使用する道具には「幅」がある。寸分たがわず測って作業するよりも、少し大きめにみておくくらいの方が、ゆるみが発生せずしっくりくると。そんなことが往々にしてあるらしい。

なるほど。これは、直感的にかなり納得がいく。

実は、この作品をよく知らない。ごめん。
部分的なニュアンスはわかっているつもり。

現実で活用される時、数学は数学でなくなってもいいーー?学問は学問のためにあらず、とでも言うか。いいね。

両輪があって駆動するよな。すごくいいね。

これをエジプトで考えると。

ナイル川は頻繁に氾濫したりしていた。古代エジプトの測量士たちは、境界を復元するために、測定を繰り返していた。

「土地の測定」を意味する Geometry の由来だ。

近世中国の洋学書が、Geometry の訳語に幾何学という言葉を用いた。① γη(ギリシャ語の geo で音はギー)を漢字で表す。②「いくばく」の意味である幾何という漢字をあてる。このダブルで、幾何学としたのだと。

ポン酢じゃん。オランダ語の pons は柑橘類の果汁を表す言葉だ。日本に伝わると、ポンスの「ス」に「酢」の字があてられた。オランダでは、ポンス(果汁)に酒と砂糖を足したりして、飲んでいる。

エジプト人が、辺の比率3:4:5の三角形が直角三角形であることを知っていたのも、経験則だったのかもしれない。


私が日本刀につなげて書いたのと、同様の主旨で書かれた記事を見つけた。いいライティングだった。

私がどんなサマリーをしても、元の文章の下位互換にしかならない。そのまま貼る。


古代ギリシャ人も。現代の科学的概念のいくつかと、驚くほど類似したアイディアを生んでいた。

紀元前685年~525年頃。エジプトとギリシャが貿易を行うために、港が開かれた。エジプトの数学はギリシャに伝播した。

ヘレニズム時代。アレクサンダーの東方遠征の影響を受け、バビロニアの天文学がギリシャに伝播した。

ギリシャ人は、エジプトとバビロニアの数学的および天文学的知識を、体系的に革新させていった。


この作品に関して、史実にもとづいていないなどの、ド三流批判があるようだね。

正直、憤りを感じる。

いいい加減、大局観を養え。amazarashi さんのような、森全体が見わたせる人を目指せ。

私たちに大切なことを伝えようと、物語がさけんでいる、その一番大きな声を聞け。

「作品をきっかけに、もっと知りたくなった。ありがとう。後は自分で調べてみるね」だろ。

史実に忠実だとか、よりよいと信ずるものを自らつくって、世に拡めたっていいじゃないか。どうした。なぜつくりはじめない。

私たちは、ある意見を表明して拷問を受けたりしないじゃないか。先人たちのおかげで、私たちは自由じゃないか。

批判も自由ーー?私が、そんなことも考えないで語っていると思うのか。笑


世界を自然の言葉で説明できるという考えを考案した、最初のギリシャ人は、ミレトス学派のタレスだったとされている。

彼は数学者であり哲学者でもあった。紀元前600年頃の人物であるから、ソクラテスよりも前だ。

どんな偉人にも先人がいる。どこまでさかのぼってもさかのぼっても、感謝する対象がいる。エンドレス感謝だ。


ギリシャには、“数学という正確な科学” 以外の全ての科学が、縮小してしまった時期がある。

何があったのか。

演繹的プロセスを優先するようになり、観察を軽視するようになっていったのだ。

演繹こそが、最高の方法であると信じて。

これはよくない。会議室も大事、現場も大事。

ここにつなげることを意識して、
インドの鉄柱の話をこれら両方法で書いた。

唐突の『デュラララ!!』?そんなことない。「無口な妖精はそこにいる」「今感じれば見えるのさ」「無意味じゃないあの糸が」

セルティ好き!

歌詞だけじゃない。

ブクロの生ける都市伝説 「首なしライダー」で、実態もアイルランドの妖精。彼女を愛している科学者の名前は、新羅(森羅万象からなんじゃないか)。だよ?笑。あうでしょう。


そろそろ、〆へ向かっていこうと思う。

言わずと知れた、アルゴリズムについて。

アルゴリズムが最も広く使用されるのは、コンピューター・プログラミングにおいてだが。数学の計算やその他の問題で使用される詳細で、多くの場合、繰り返しの多い一連の規則のことである。

この言葉自体の起源は、中央アジアにある。

現代のウズベキスタンやトルクメニスタン辺りに存在した、歴史的地域に。日本ではここをホラズムと呼ぶようだ。

ホラズムにある遺跡。

9世紀、この土地に、アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・ムーサー・アル・フワーリズミーという学者が住んでいた。

名前長い?そんなことない。世界一長い名前、これだから。

笑。ピカソの本名の長さの比ではない。

彼はアラビア語で本を書いた。その本がラテン語訳された。タイトルは『Algoritmi de numero Indorum』に。その本がさらに英語訳された。ラテン語の algoritmi を英語にして algorithm に。

と、こういう流れであるからして。アルゴリズムという言葉の源はこの男性だ。

何の本だったのか。西洋の数学者に、いわゆるヒンドゥー・アラビア数字を紹介する本だった。1 2 3 4 5 6 7 8 9 0

ぜんぜん、あんた誰?なんであんたがアルゴリズム?じゃない。思いきり重要人物だ。


今後。ソーシャルメディア・フィードの恩恵を受けるたび、オンライン・バンクの恩恵を受けるたび、この顔を思い浮かべるように。笑

彼の見た目の記録は残っていないため、
これはイメージなのだが。

半分本気で言った。

数多の先人へ、感謝を忘れずにいたいものである。感謝の念があれば。科学の使い道をよく考える傾向も、生まれやすいのではないか。


現代でホラズムと呼ばれているのは、ウズベキスタンの州だ。

画像検索をして。バベルの塔あるじゃん……と思ってしまった。スカイツリーを建てた国の人間には、言われたくないと思うが。

引きで見ても。本当にこれだけが高かったから……。
キレイなブルー。

〜私たちはもともと、同じ言葉を話す1つの民族だった。シュメールに住むようになり、技術を身につけるようになった私たちは、次第に傲慢になっていった。そして、天に届くほど高い塔をつくりはじめた。神と対等になりたいという野心から。このような事態を案じた神は、容易に意思の疎通がとれないように、人々の言葉をバラバラにした。それ以降、私たちは「話しあい」ができなくなったのである。〜


神話に未来予測をまんまと当てられている内は特に、科学は宗教を軽視などできない。

神話は教訓だ。大昔から成長していないと、古い教訓が現代人にもあてはまってしまうのだ。

だが、全てが過去のままではない。努力次第で明日を変えれるというのは、間違いない。