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病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈54〉

 年をまたいでしばらくして、巷ではいよいよペストの終息が現実のところとなってきていた。そして、もう数日もすれば長らく閉ざされていた市の門が開放されようとしていた頃に、タルーは倒れた。

 実のところそのしばらく前あたりから、タルーの書き記していたペストの手記は「かなり奇妙なものになって」きていたと、それを読んだリウーは証言している。文面の筆跡は乱れ、内容も脈絡を欠くようにあちらこちらへと散漫飛躍するようになってきていた。何より、これまで一貫性を保っていた、客観的で細密にわたるその記述姿勢が影を潜め、代わってタルー自身の個人的な見解の吐露にその席を譲っていた。
 その原因は主に保健隊の激務による疲労のゆえだろうとリウーは分析しているのだが、しかしそれだけが理由なのではなかっただろう。おそらくは、リウーに自分の身上を打ち明けたことが、そのように彼の心持ちを変容させる大きなきっかけになっていたというのは、十分考えられることである。あたかも懺悔の告白によって、抱えていた心の屈託がほぐれた罪人のように、タルーもどこかしら、今まで押し殺していたさまざまな思いを一気に解き放ったことで、彼自身としても少なからずその肩の荷が下りたような気持ちにもなっていたのではないだろうか。
 硬く張り詰めていた「緊張」が弛緩し、その頑なで単層的だった「意志」が、重層的で自由な想念の横溢に取って代わっていった。それは少しでも彼の心が、「外側」に向かってほぐされつつあることを表している証しなのだというのなら、それはそれで彼にとってはきっと、けっして悪い傾向というわけでもなかっただろう。しかしやはりそういうときの心には、いかんせん隙のようなものもまた同時に生まれてきてしまうものなのだ。そして、その隙間に抜け目なくペストの毒爪が忍び込んでいったというわけだった。

 けっして疲労のせいばかりではない我が身の異変を、タルー自身もやはりそれなりに自覚してはいたのだった。
 コタールの遁走に図らずも立ち会うこととなり、帰宅してからその事件の顛末について手記に書き記した後、続けて彼は、その自分自身の異様な疲労感について、この数ヶ月に渡って嫌になるくらい見続けてきた、幾多の具体的な先例に裏付けられた予感と共に、乱れた文字によってペンをノートに走らせた。
 タルーは、「自分にはまだするべきことがある、しかしそれは心構えができていなくてもよい理由にはならない」と、その胸の内の思いを紙面に刻み込むように書き留めた。そして、「人間が意気地なしになるようなときが昼夜問わず必ずある、自分が恐れるのはそういう時間だけなのだ」という言葉を最後に、彼のその手記は途絶えてしまうところとなった。

 タルーの異様な疲労感は、ほどなく一つの具体的な結論に導かれた。下宿先でもあるリウーの家で、ある朝彼はついに、ベッドから起き上がることさえ出来なくなってしまった。
 午前の仕事を終え、昼休みを取るために帰宅したリウーは、下宿人の面倒を見ていた自分の母からその報告を受け、これまで何度も繰り返してきた事態への、一抹の悪い予感を覚えながら、自室のベッドに横たわる友人を診察した。はたして彼のその予感は、どうやら最悪の方向で的中してしまったのだと思わざるをえなかった。友は、彼自身による告白のような比喩としてではなく、まさしく「本物のペスト」に感染していたのだった。
 自分のその腕に血清が注射されるのを見て、タルーは「自分はまだ死ぬつもりはないし、最後まで戦うつもりだ。しかしもし勝負に負けたなら、立派な終わりにしたい。だから、もしそうなりそうなら正直に全て自分に話してほしい」と気丈に振る舞った上で、友である医師に望んだ。それに応じてリウーは、「けっしてそんな弱気にはならずに、もし本当に聖者になりたいというのなら、しっかり病気と戦って生き延びてくれ」と友人を励ますのだったが、しかし、この先の見通しに何らかでも希望を見出そうというには、二人ともあまりにペストと深く関わりすぎていたのだった。

 それにしても、「立派な最後を迎えたい」というタルーの言葉は、実際最後まで何も語らぬまま、本当に「立派に」死んでいったパヌルーの有様に重ね合わせると、少し切ない思いがしてくるのを否めない。とはいえ、ここでタルーの「心構えの足らなさ」を指摘するというのは、余りに酷というものだろう。
 むしろ彼はようやくここに至って、こういった普通の人がいかにも言いそうなことを、彼自身としても口に出して言えるようになったのだということなのである。ここに来てやっと彼は、凡人になれたのだ。そのように受け取ってやる方が、彼にとってはまだしもの慰めとなるのではないだろうか。

〈つづく〉

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