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後悔のない人生について
後悔のない人生は存在するだろうか。
もしそのような人生を歩めるとしたら、それは幸せなことだろうか。
高層階にあるカフェから渋谷で行き交う人たちを眺めながらふと考える。
「生き方に正解はない」いつからかそう思い生きている。
選択を迫られる度、将来後悔しないか自問自答を繰り返した。
すべて大丈夫なはずだった。後悔はしないと未来の自分と約束してきた。
しかし時が過ぎ、過去を振り返れば後悔ばかりが思い浮かぶ。
言語化できていない正体不明の「申し訳無さ」が押し寄せてくる。
人の記憶から自分を消してしまいたくなるが、それはできないので、自分が消えればいいという考えがよぎる。
情けない話である。
当然、ポジティブな思い出もたくさんある。
ただし僕の脳内では、甘い果実がたくさん実る思い出の楽園に行くには、後悔の川を渡らなければならない。
川に足を踏み入れると、物を大切にしなかったことや、心無い言葉や行為で人を傷つけ悲しませたことが思い出される。自己中心的な考えと行動だ。
法を破ったわけでも、非人道的なことをしたわけでもないが、自分自身への期待や周囲からの信頼に反したことが体にまとわりついて離れない。
後悔の川を渡り切ることができない。
しかし、渡ったところで淡い思い出に浸り続けることなどできないし、僕はそれを生き方として望まない。
自分がしてきたことを背負いながら、後悔しながら、申し訳ないと思いながら、不甲斐なさを感じながら、悲観はせず、挫けず、倒れても起き上がり、前を向いて、まずは目の前の物事や周囲の人を大切にしながら、これから生まれてくる人たちのことまで考えながら、少しずつでいいから自分ができることに取り組んでいたい。
後悔の川を渡るのではなく、その流れを歯を食いしばって全身で感じ続けていたい。
それが、生きている証だからだ。
もしたった一つ願いが叶うなら、これまで出会った人たち一人ひとりと一対一で話す時間がほしい。
出会ってくれことと一人の人間として関わってくれたことに感謝を伝えたい。
そして自身の未熟さゆえ敬意をもって接することができなかったことを詫びたい。
それでもきっと、一度失ってしまった信頼や愛は取り戻せないのだろう。
「生き方に正解はない」という言葉を、僕は都合よく捉えていた。
どうやら、自分勝手な振る舞いへのアクセルペダルでも思考停止のためのボタンでもないようだ。
一歩を踏み出す勇気を与えてくれる言葉だからこそ、踏み出す方向には気をつけなければならない。
これでまた一つ、学びを得た。
いつの間にか夕日に照らされている街の上を、大きな飛行機が飛んでいる。