「お父さんとお母さん、どっちが好き?」という魔の質問
言葉がわかるようになったばかりの幼い子供に、
「お父さんとお母さん、どっちが好き?」
と聞く、親がいる。
また、ハイハイする子供に「こっちよ〜!!」と手を叩く母親と、
その逆方向から「こっち!こっち!」と手を叩く父親がいる。
私は、そういう光景を目にすると、その両方の親を殴り倒したくなる。
SNSでは、「お父さんとお母さん、どっちが好き?」と質問をされた子供が、
おまんじゅうを2つに割って、「どっちが美味しい?」と返したというストーリーが、いっとき関心を集めていた…。
……「(返しが)うまい!」などと言っている場合か!
みんながみんな、こんな機転の効いた返事ができるわけじゃない。
そもそも子供が困る質問を”からかい半分”でして、子供にMAX気を遣わせて回答させて喜んでるんじゃねーよ!と、怒りをぶちまけたくなるのだ。
***
さらに許せんのが、夫婦がお互いをちょっとからかう(挑発する)ために、
子供に「お父さんとお母さん、どっちが好き?」と聞いておいて、
子供がどちらかを選ぶと、選ばれなかった苛立ちを子供にぶつける場合があることだ。
父「はぁ?ふざけんなよ。誰の稼ぎで飯食えてると思ってんだよ(ムスッ)」
or
母「パパ選ぶとか信じらんない!誰がいつも世話してると思ってんのよ!」
…という具合だ。
そして、選ばれなかった方の親が不貞腐れて子供を軽く無視したり、
ご飯の器をドンっと置いて睨んだりする。
……”仕掛けてきた” 配偶者にではなく、”自分を選ばなかった”子供に理不尽に怒りの矛先が向く。これが許せない。
***
我が家の場合は、私が高校生になってもこれがあった。
どういうことかって?
私の塾の帰りが遅くなると、両親と祖父母が、なんと別々の車で同時に迎えにくるのだ。
そして、お互いに見えている距離にいながら、私に向かって、
「こっち、こっち!」
と手を振る。
両親の車に乗れば、家で祖父母が、
「じいちゃん、ばあちゃんの愛情を無にした!」
と、涙を浮かべて激怒している。
祖父母の車を選べば、家で両親が、
「愛情を踏み躙った!」
と青筋を立てて激怒している。
それが、週2、3で続く。
頭がおかしくなりそうだった。
もちろん、何度も何度も「迎えはいらない」と伝えた。
まだ公共交通機関がある時間だったので、どちらの車にも乗らずにバスで帰るという選択をしたこともある。
すると、家では両親祖父母が揃って激怒している。
なんなんだ。
祖父は、家でも「社長」として振る舞うので、
「社長の言うことを聞け!俺について来い!」
で全て通そうとする。
両親は、「親としてのプライド」があるので、
「子供の世話は、私たちでやります!」
と言って聞かない。
そして、両親と祖父母は、大人同士で話し合おうとしない。
「俺の(私の)言うことを聞け!」
を子供に直にぶつけてくる。
そして、当の本人たちは、
「子供が言うことを聞かない」
「どうしたものか」
となぜか ”一緒になって” 悩み始めている。
私は、本当に不思議だったし、混乱していた。
普通に ”バスで帰る” でいいじゃん!
…しかし、何度言っても迎えにくるのだ。
バス停に並んでいる私の手をとって車に連れて行く。
毎日、毎日、家で無駄に怒られていたと思う。
今考えても不思議だ。
なぜ彼らはあんなに ”本気で” 激怒できるのか不思議だ。
何度も、冷静に、起こっていることを伝えようとした。
「どちらかを選ばざるを得ない状況では、毎日、私もママもおじいちゃん、おばあちゃんも辛いよ」と。
「お前の立ち回りが悪いんだ!!!!」
と両親祖父母からの怒号が飛んできた。
***
あの日々のことは、本当に辛くて、混乱していて、10年経ってもトラウマとして記憶に焼きついている。
…当時は、母は私に何か指示を出したり頼み事をすると、祖父がそれに被せるように別の指示を出してくることが多かった。
母:「夕食のお皿洗ってちょうだい」
祖父:「やらなくていい。お前は勉強しろ。一番とってこい。」
…例えば、こんなところだ。
一時が万事、こんな調子だった。
どちらに従っても、必ず、従わなかったもう一方から激しく怒られる。
たいてい、母が「家事をしろ」と言う一方、祖父が「お前は、勉強で一番になれ。家事はやらんでいい!」と割って入る。
そして、当の大人たちは、”一緒になって”
「本当に長女(=私)が言うことを聞かなくて困ったものだ」
と言い合っていた。
それは、驚くべきことに、大人になって独立してからも続いた。
母から週末は家事を手伝ってくれと頼まれ、電車で帰省する途中、祖父から電話があり、「来なくていい。間に合っている。お前は仕事を頑張れ。」とだけ言われて電話を切られる。
…その後の展開は、お察しの通りだ。
***
大人たちは言う。
「選択をしたのだから、責任をとれ。」
…選択しなかった方の気持ちをケアしろということか?
…それとも、選択しなかった方の怒りの感情を受け止めろということか?
よくわからん。
大人同士が互いに ”仕掛けて” おいて、……つまり、どちらがより「親として子供を使役できるか(言うことを聞かせられるか)」を試しておいて、その選択の責任を子に負わせている。
選択を迫っておいて、選択されたかった側に発生する感情の責任を子供に負わせている。
***
我が家で起こっていた一連の出来事は、
「お父さんとお母さん、どっちが好き?」
と聞いておいて、選ばれなかった方の親が不機嫌になる流れと同じだ。
大人たちが、互いに ”仕掛けて” おいて、その結果を子供に負わせる。
どちらがより子供に好かれているか、言うことを聞かせられるかを、大人同士で競っておいて、「選ばなかった責任」…を「罰」として子供にぶつける。
そんなことがあっていいのか?
***
今、思い返すと、我が家の大人は全員、「自分の時間」を持ったりゆっくりしたりする時間が、1日に1度もなかった。みな、朝起きてから寝るまで、仕事、家事、育児とあくせく働きまくっていた。
たくさんのストレスを溜め込んでいた。
そして、怒りは、相手を選んで顔を出す。
親たちは、「仕事上の相手」にはむやみに怒りを表せず、また母はその両親に怒りや苛立ちを表すことができない。
だから、溜まった怒りを「出す」きっかけとして、 ”仕掛ける” のだと思う。
配偶者の見ている前で、「お父さんとお母さん、どっちが好き?」と子供に聞いてみたり。母親が子供に指示した側から、それを打ち消すような指示を祖父母が出してみたり。
子供が自分を選べば、ほくそ笑んでちょっとスカッとする。
選ばれなければ、怒りを出す口実ができる。
…でも、大人同士が諍いにならないように、器用に怒りの矛先を捻じ曲げる。
大人たちは、完全に「自分は子供に怒っている」「子供が悪い」と思って "叱って" いた。
私も、「自分がもっと 母が完全に満足するくらい家事” を一生懸命やって、祖父母が完全に満足する成績をとってくれば解決したこと。それができなかった自分が悪い」と思っていた。
でもね、親の要求や期待は、応えれば応えるほどエスカレートしていくもの。
もっと頑張ったとしても、ほんのもう少し先で擦り切れて、同じ”今”にたどり着いていたような気がする。
あの時、なんて答えればよかったのか。
何が正解だったのか。
今でも、その時の「チャイルド」は困った顔をして考えている。