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子供時代に「子供らしく」生きられなかった人間の末路
私は、子供時代、人一倍「大人びている」と言われて育った。
褒め言葉だったと思う。
「真面目」で「おとなしい」、「手がかかならい」
これらも、褒め言葉だったと思う。
しかし、私はいつも苦しかった。
それは、我慢すれば我慢するほど褒められるからだったと思う。
空気を読んで、場にあった発言をする。
親や教師が、期待し求める発言をする。
自分の本心でないことを、本心のように言うほどに、大人からの評価は上がっていった。
大人たちの「笑顔」は、私の回答が「正解」だった合図。
嘘が正解の世界。
「将来の夢は?」
「国家公務員」
…答えると、おお〜っと歓声が上がり大人たちは手を叩いて喜んだ。
嘘をつき続けると、精神がどんどん不安定になっていく。
私は「瓢箪から駒」を出すように、自分の気持ちを無視して、自分の言ったことを本当にするように、がむしゃらに勉強した。
でも、自分の中の空虚さはどんどん膨れ上がって、次第に収拾がつかなくなっていったのだった。
***
人間の成長過程には、「ステップ」があって、きちんと段階を踏んでいかないと”成長し損なう”ことがあることを、大人になってから知った。
子供時代には ”子供らしく”、安心して甘えたりワガママをいってみたり…と抑圧されずに感情のままを表現することが許されている必要があるということだ。
こうした「子供時代」の感情体験の喪失が、様々な「生きづらさ」の原因であるという。それを示す内容の記事やブログが、専門家・非専門家によらず数多くの人に書かれ、出回っている。
私は、それらを読んだ後、巨大な脱力感・虚無感に苛まれた。
なぜなら、子供時代の私は、毎日、一生懸命、一生懸命、必死で "我慢" してきたからである。
それが、良いことだと思って、自分のためになると思って、努力してやってきたことだからである。それが、今の自分の「生きづらさ」や「社会不適合」の原因になっていたとは…。。。それは残酷な事実であった。
***
両親は、幼稚園児の私に、「幼稚だ」と言って怒ったり、小学校低学年の私に「常識がない」とか「甘えるな!」言って怒ったりしたものだ。
とにかく、幼稚であることはいけないことだったので、そうあらないように(怒鳴られないように)気をつけて生活していた。
教員からの私の評判は、すこぶる良かった。
手がかからないからだ。
しかし、今思うと、それは同じお金を支払っていても、同じ教育サービスを受けられていないということになる。
私が先生に相談事を持ちかけると、先生はいつも少し困った顔をする。
やんちゃなA君やBちゃんが問題を起こすことは想定しているが(きっと無意識に時間を確保している)、私に時間を割くことは想定していないからだ。
(「…あなたも、私の時間を奪うの? 忙しいから、手短にね。」)
という先生の心の声を表情から読み取って、本当に「解決すべき事項」だけを端的伝えて、いつも「気持ち」は言えないまま終わった。
私は、放っておかれていたと思う。
いい子だから。
手がかからないから。
…勝手に、「手をかけなくていい存在」にしないでほしかったなと、今になって思う。
***
先生は、私にいろいろな頼み事をした。
まるで自分の部下のように。
一方、不良のAくんやBちゃんとは、楽しくおしゃべりもしていた。
私には見せない笑顔で。
私は、たくさん勉強した。
学級新聞を作って、課外活動も一生懸命取り組んだ。
しかし、自分の気持ちを話す練習はしてこなかった。
***
私は、社会人になって、……と書こうとしてその手を止めた。
私は、社会人になれなかった、が正しい。
私は、社会人になることに失敗した。
大人になることに、失敗した。
あんなに「優等生」だったのに。
あんなに期待されていたのに。
今、私は「適応障害」と診断され普通には働けずにいる。
実家には、今でもたまーに、同級生のママや先生から電話がかかってきて、
「らむちゃんは、今、何されているんですかーーー♪」
と聞かれるらしい。
恥かかせて、ごめんね。
子供時代、周りの誰よりも大人びていた私。
褒められて、”この子は大丈夫だから”と放っておかれて、
学校で怒られることもなく、
家庭や進路の悩みを真剣に相談したり意見を戦わせることもなく。
私は、成長しそびれた。
大人の年齢になった私は、
「考えが幼すぎる」
「いい大人が……ありえない」
「恥ずかしいと思った方がいい」
と周囲から呆れられる人間になっていた。
私は、私のまま変わらないのに、
なぜ周囲の反応が180度変わったのか分からなかった。
…いつの間にか、「大人の対応」はできて当たり前の年齢になっており、
成長する機会を失った私は、「幼いままの本物の精神年齢」が露呈して顰蹙を買い、適応障害で感情失禁して会社をクビになった。
***
中高生だったあの頃……
”やんちゃ”に見えた彼ら。
必死で親や先生と意見を戦わせて、
「青い」「若い」と言われて悔し涙を流しながら、
それでも思いの丈を叫んでいた。
…私は、そんな彼らを尻目におとなしく勉強していた。
論破されてまだ大人に食ってかかる彼らを、
先生や親たちと同じ目線のつもりで、
「幼稚だなー」
と、遠くからみていた。
私はただ問題集と向き合ってきた。
必死に生きてきた一方、
何も考えずにぼーっと生きてきたとも言える。
”やんちゃ”に見えた彼らは、
今、会社で偉くなったり、起業して社長をしたり、
とても立派になっていることを知った。
いつの間にか、私は”やんちゃ”だった彼らに、
ずっとずっとずっとーーーーーっと先を越されていた。
もう背中が見えないくらい、彼らは遠くにいた。
***
私は、カウンセラーから「子供時代を(擬似的にでも)しっかりやり直しましょう。その時の感情を出し切りましょう」と言われても、なんとなく嫌だった。
自分の中に何人もの「チャイルド」が存在するのを知りながら、
頑として大人として扱って欲しがった。
今、ふと理解できた。
「大人として扱って欲しがった」のは、「チャイルド」本人たちだ。
それが、彼らのアイデンティティだから。
「大人しい」「大人びている」「いい子」
そうでなくなったら、「私」には……いや、あの「チャイルド」たちには、何もなくなってしまうから。
それでしか褒められ、存在を認められてこなかったから。
幼稚園児のくせに「幼稚」であることを許されてこなかったから。
「幼稚」であることは、いけないことだったから。
***
「子供時代をやり直す」って一体どこまで遡ればいいんだろう…といつもぼんやり思っていた。
…やっとわかった。それは、私にとって、本物の「(幼稚)園児」であったのに、幼稚でいてはいけなかったあの頃だ。
子供らしくありたかった頃の、自然な気持ちを解放するのだ。
ただ、その気持ちを認めてやる。
すると彼らは、「本当に話したかったこと」をそっと話して、成仏していく。
今の私が、本気で大人になりたかったら、そうやってインナーチャイルドをひとり、ひとり、成仏させていくしかないようだ。