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カウンセリングで辛くなった話②

前回は、「自分に合うカウンセリング、合わなかったカウンセリング」に関して書いてみた。

今回も、その続きを書いてみようと思う。

私は、親の金で大学院まで出ている。

…だから、そこを突かれると、痛い。

「どうして、親御さんともっと早く離れなかったんですか?」と。

そして、少し厳しめの人だと、
「高校からは、義務教育じゃないんですよ。」
「…あなたにも、”旨み”があったからではないですか?」
とまで言われる。

”旨み”とは、暗に…というより、かなりストレートに、「金」のことを指している。

…これ、親子関係でかなり有名なカウンセリングセンターにお願いした時だったからけっこうショックだった(もう何年も前の話)。


***

「なぜ、親から離れないのか?」

…これを、なぜ ”毒親” "機能不全家族" の専門家が言うのだろうか?


そこには(歪んでいるとはいえ)、”愛”があるからだ。


例えば、我が家の場合、父は直球ドストレートなDV野郎だったので、逃げることにも絶縁することにも1ミリの迷い罪悪感もなかった。

「どうやって逃げるか」……「どうやって生き延びるか」を考えていた。

不思議と、父のことは恨んでいない。
「怖かった」という記憶はあるが、恨みの感情はない。
父と離れてから、日々の暮らしの中で、父のことは思考から消えている

まして、父を思い出して「死にたい」とは思わない。
(子孫を残さないようにしよう、とは思う)


しかし、母が絡む記憶は、父とは全く異質のものである。

10年前のことが昨日のことのように思い出され、悪夢にうなされ、夢の中で何度も何度も弁解している。

「ごめんなさい、ごめんなさい…」
と言っている。

頭の中は ”罪悪感” で膨れ上がり、針を刺せばバンっと爆発して、罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感罪悪感が溢れだす勢いだ。

「死にたい」

実家から独立して10年、今でも母の目を気にしている。
毎日、「死にたい」と思っている。


***

「〇〇高校に行っくれさえすれば、ママたちみんな満足だから」

…競争は、最初穏やかに始まった。

しかし、

「〇〇高校卒業なんだから、せめて〇〇大学以上には受かってほしい」

といいつつ、机の上に『ドラゴン桜』を無言で積み上げておいたり、関連記事を切り抜いてわざとらしく置いておいたり…(ついに一度も言葉にしなかったが)明らかに”東大”を期待してくるようになった。

学部は無理だった。だから、大学院を受験して合格した。

そのあとは、国家公務員!国家公務員!
私が試験に落ちると、
「何のために育ててきたのかわからない」
と言われて泣かれた。


「学歴、学歴、学歴、学歴、学歴、学歴、」
「英語!英語!英語!英語!英語!英語!英語しゃべれ!」
「いい就職、いい就職、いい就職、いい就職、いい就職」
「結婚!結婚!結婚!結婚!結婚!」

毎回の猛プッシュに耐えてきたのは、そこに”愛”があったからだ。

応えたかったからだ。

口を開けば、
「子供が心配、心配、心配、心配、心配、心配」

親戚からも教師からも、
「あんなに子供を心配してくれるいい親御さんはいないよ」
と言われまくって育った。


罵倒の言葉も、(疑問は大いにあったが)、「応援だ」「愛のムチだ」と言われれば概ね信じた。

親の方に、(執着や支配欲が入り混じったものだとしても)”愛”があったことは事実であったし、私も家族を愛していたから応えたかった


…ただ、それが拗れてしまったのだ。

親は、「応援」と称して「弱い者」を罵倒すること快感優越感を感じていたと思うし(親はあくまで応援のつもりだったと言うが、その表情を見て、「…イジメを楽しんでるよね?」と思い始めてから、私は反抗的になってしまった)、無自覚に「もっと上、もっと上」を子供に求めるようになっていたと思う。

最初は、愛情故だったと思う。

愛情から、「いい大学、いい就職、いい結婚」と追い立て、文字通り「子供のため、子供のため」”無能な子供””管理してあげて”いた。


そこに愛情があるのをわかっていたから、父に対してしたように強い態度や行動には出られなかった。

そして、自分が頑張れば、頑張って結果を出せば、家族が円満になると信じていた。

なぜなら、母と祖父母は、私の成績が振るわないと、
「どちらが長女(=私)をダメ人間にしたか」
で激しく言い争っていたからである。

「あんたのせいで、家族が壊れた」
…何度言われたかわからない。

言われるたび、次こそはと思って焦って頑張った。


多分、我が家がお金に困っていたら、”学歴”ではなく”お金を稼ぐこと”に私は執着したと思う。

親の学歴コンプレックスがドンっとそこにあり、それにずっと向き合ってきた。向き合わされてきた。

我が家は”学歴”に縁遠い。だから、
「我が家から、東大出を出したい」
その親の思い、コンプレックスに一心に向き合ってきた結果が、なのだ。


***

私は、それなりに親の期待に応えてきた。

家族がうまくいくようになると思ったからだ。


でも、家庭の事情は刻々と変化する。

大学院を卒業する日、
「もっと、もっと、家のことを手伝って欲しかった」
「妹や弟の面倒も見て欲しかった」
「あんたは、自分、自分、自分ばっかりで何にもしてくれなかった」

と大いに罵られた。

「あんたは、なんにもしてくれなかった!」
「あんたは、なんにもしてくれなかった!」
「あんたは、なんにもしてくれなかった!」
母から、何度も叫ばれた。

「あんたが、家族のことを”ほんの少しでも”考えてくれれば…」
と言われて、心が折れた。

「これからは、あんたが、恩を返していく番だからね」

燃え尽き症の症状はこの日から出始めた。


祖父母の変化に気づき、寄り添えなかったことは、私が100%悪い。

ただ、言い訳になるけれど、元々優秀でもない私が高い目標に向かうには、本当に”全力投球”しなければならなかった。”全自分”をかけて挑まなければならなかった。


頑張ったのに、犯罪者みたいに言われて悔しい思いと、
後悔、懺悔、罪悪感。

死にたい、と、返り咲きたい。


ノーベル賞取ったら、ママにまた笑ってもらえるかな、
…と、定年退職したおじいちゃんと「軽作業」しながら想像する。

私の中で、「ママの娘」だった自分の心が、凍結されている。

成長できず、死ぬこともできず、亡霊のように居座っている。

無視して、「今の仕事」に集中しようとすると、それは悪霊となって、悪さをする。体と脳を壊しにかかってくる。


だから、今日も、自分の中の「インナーチャイルド」をひとり、ひとり、成仏させていく。成仏させないと、「私」が大人になれない。


***

「どうして、親御さんともっと早く離れなかったんですか?」
その質問に、今だったら何て答えるだろうか。

…いや、「離れた後も続く問題」に、私の中で課題は既に移行している。


離れて何年も経っても、母との記憶は「昨日のこと」としてここにある。

インナーチャイルドは、まだ母を見ている。

罪悪感からの「死にたい」もずっとここにある。


離れても、ついてくる。


心が殺されてしまって亡霊になったインナーチャイルドを成仏させて、
親と本当に分離するために、私は今日も足掻いている。


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